『心は孤独な数学者』
『心は孤独な数学者』(藤原正彦 著)の読了記録です。
Ⅰ 書評
Ⅱ 本のデータ
Ⅲ 登場した数学の問題
Ⅰ 書評
数学者でエッセイストの藤原正彦氏が、憧れ続けた3人の天才数学者であるニュートン、ハミルトン、ラマヌジャンのそれぞれの思い出の地を訪れ、彼らの人生を辿り、その思いを綴った紀行文となっている。
本書は3つの章から成る。(一部のみ抜粋)
神の声を求めて
――――アイザック・ニュートン――――
アイルランドの悲劇と栄光
――――ウィリアム・ロウアン・ハミルトン――――
インドの事務員からの手紙
――――シュリニヴァーサ・ラマヌジャン――――
アイザック・ニュートン
ケンブリッジを訪れた筆者。そこで、ニュートンが書いた手紙や手稿を見ながら、ニュートンの人生に思いを馳せていく・・・。
*
数学のみならず物理学でも大業を成し遂げたニュートンは、ひねくれた性格であると表現されている。
その理由として、先取権(ある業績を一番乗りに達成したという証)に執拗にこだわるのに、自らの論文を公表しない点が挙げられていいるからだ。
特にその中でも、フック(フックの法則で有名)との光や重量に関する論争や、ライプニッツとの微積分に関する批判の応酬は細かく描かれていて、時間を喪失していたことが窺える。
ただ、筆者はどちらに関してもニュートンを支持しており、その根拠になる歴史的事項も羅列している。
この章のいたるところで、ニュートンの逸話や人生観を通して数学者の特殊な一面が描かれているところが興味深い。
ウィリアム・ロウアン・ハミルトン
イギリスに住んでいたときには訪れなかった隣国アイルランドに降り立った筆者。
この国は、四元数で有名なハミルトンの誕生地であり、彼に縁のある場所を訪れていく。
*
ハミルトンは幼少の頃より多分野で才能を発揮し、周りの羨望の的であった。
しかし、本書ではハミルトンの悲憐な女性関係について取り沙汰されている。
まずは、19歳になったときの1歳年下のキャサリンとの恋。
臆病ながらも恋詩を送ったものの、キャサリンの父親の目に止まり、彼女は他の男と婚約させられてしまった。
さらに、26歳のときには良家の娘を見初める。
しかし、その恋もハミルトン自身の臆病な性格が災いし、実らずじまいであった。
ハミルトンの抽象的な志向や、自己陶酔に陥りやすい国民性も原因だと筆者は分析する。
そして、ハミルトンは45歳のときに、キャサリンの家の跡地を訪れ、その床に接吻をする。
48歳のときには、罪の意識がありながらも、病気がちなキャサリンの見舞いを訪れている。
これほど長い年月、これほどの烈しさで想い続ける、というところにハミルトンの真骨頂がある。
と表現している。
ハミルトンの恋からもわかるように、情熱や執念が数学者の重要な要素の1つであると、筆者は感じているのではなかろうか。
シュリニヴァーサ・ラマヌジャン
インドに一週間ほど訪れることになった筆者。
その理由は天才数学者シュリニヴァーサ・ラマヌジャンについて調べるためであった。
この本の面白いところは、イギリスの数学者ハーディとの研究成果ではなく、彼の生まれ故郷且つ終焉の地にスポットライトが当てられている点である。
*
ラマヌジャンの家は、インドのカースト制におけるバラモンに属し、母の寵愛を存分に受けて育った。
順風満帆に育っていたラマヌジャンだが、15歳のときに無名の数学者カーの『純粋数学要覧』に引き込まれた。
この本に載っている定理を自力で証明しながら、新たな定理や公式を発見し、書き込んでいったノートブックが彼の人生を変えていく。
そのノートに書いた公式の一部をケンブリッジの数学者たちに送ったラマヌジャン。
そこでG・H・ハーディの目に止まる。
未知で正しいように見える公式だが、数学では当たり前に必要な証明が書かれていない。
それをラマヌジャンに求めようにも、証明がインドから返ってこない。
独学ゆえに証明の必要性を理解していなかったのだ。
しかし、手紙でのやり取りから彼の天才ぶりに気づいたハーディは、彼をイギリスに呼び寄せた。
そして、ラマヌジャンが新定理を発見し、ハーディがその証明を与えるという絶妙なコンビが生まれた。
ラマヌジャンは自身の発見をナーマギリ女神のおかげと表現している。
ただ、彼の栄光の日々は長く続かず、イギリスの気候やそこでの孤独を原因に病んでしまう。
留学5年目にして故郷インドに帰ったものの、その1年後、32歳で死去。天才の早すぎる死であった。
*
筆者はその人生の起点であるインド各所を巡り、ラマヌジャンの独創の要因を探っている。
ラマヌジャン自身が「ナーマギリ女神のおかげ」と言った彼の独創については、こう述べている。
数学では、大ていの場合、少し考えれば必然性も分る。ところがラマヌジャンの公式群に限ると、その大半において必然性が見えない。ということはとりもなおさず、ラマヌジャンがいなかったら、それらは百年近くたった今日でも発見されていない、ということである。
彼の独創の希少性を強調していることがわかる。
そして、筆者はラマヌジャンの独創の源泉について、ラマヌジャン研究家たちを訪ねる。
彼らによれば、詠唱による大量の知識の蓄積と、数をもてあそぶ経験が独自の発想を引き起こしたという。
インド式算数が、20×20まで暗記させると聞くが、そういった詠唱が数的センスを涵養し、現在でも数学国として有名な理由だと言えそうである。
藤原正彦氏が憧れていた3人の天才数学者。彼らのルーツの巡る旅を追体験できるような紀行文であった。
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Ⅱ 本のデータ
タイトル | 心は孤独な数学者 |
著者 | 藤原正彦 |
出版社 | 新潮社 |
初版発行日 | 2001年1月1日 |
価格(税抜) | 490円 |
ISBNコード | 9784101248066 |
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Ⅲ 登場した数学の問題
p260では、12世紀に南インドで生まれた数学書『リーラーヴァティ』の中の問題として、次のものが挙げれれている。
“ミツバチの群が遊んでおりました
その半分の平方根のハチ達は
ジャスミンの草原へ飛び去って
さらには夜の帳の下りた後
ハスの花の甘い香りに誘われて
そのまま中に閉ざされて
うなり続ける雄バチ一匹
心配のあまり眠られず
回りを飛ぶは雌バチ一匹
あとに残ったのは全体の\(~\frac{8}{9}~\)
ミツバチは全部で何匹いるのでしょう”
筆者は答えをすぐに述べておりますが、解法を考えてみましょう。
解法はこちら
偉大な数学者と言えど人間。恋をしたり、孤独を味わったり・・・。数学者である藤原氏の視点だからこそ、彼らの人生がわかりやすく味わえます。
◇参考文献等
・藤原正彦(2006)『心は孤独な数学者』,新潮社.
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