中世イスラーム世界で、代数学を新たな高みへと押し上げた偉大な数学者、アブー・カーミル。
彼の最も重要な功績は、無理数(平方根)の代数的計算を本格的に導入したことです。
すなわち、それまでは幾何的にしか扱われなかった$~\sqrt{2}\times\sqrt{3}~$のような計算を簡単に行えるようにしました。
この記事では、アブー・カーミルの生涯と功績、そして彼にまつわる興味深いエピソードについて、数学史の先生Fukusukeが中学生・高校生レベルで分かりやすく解説!
この記事を読めば、アブー・カーミルが「エジプトの計算家」と呼ばれた理由がわかります。
| 時代 | 9世紀後半~10世紀前半 |
| 場所 | エジプト |
アブー・カーミルの生涯
アブー・カーミル(Abū Kāmil , 850年頃 – 930年頃)は、9世紀後半から10世紀前半にかけてエジプトで活躍した数学者です。

(AIによるイメージ)
彼は「エジプトの計算家(al-ḥāsib al-miṣrī)」という異名で呼ばれ、アル・フワーリズミーに次ぐ第二世代の代数学者として、数学史上重要な位置を占めています。

アブー・カーミルの年譜
アブー・カーミルの生涯は以下のとおりです。
| 年代 | 出来事 | 補足 |
|---|---|---|
| 850年頃 | エジプトで生まれる | 詳しい出生地は不明だが、エジプトで生まれ育ったとされる。 |
| 901年頃 | 数学者として活躍する | サービト・イブン・クッラが亡くなった901年頃に、代数学者として名声を得ていた。 |
| 生きている間 | 代数学の研究に没頭し、『代数学』を記す | フワーリズミーの『ジャブルとムカーバラの計算の書』を発展させ、無理数を含む計算法を確立した。 |
| 930年頃 | エジプトで没する | 約80歳で死去。彼の著作は後にフィボナッチなど、ヨーロッパの数学者に大きな影響を与えた。 |
アブー・カーミルの活動場所
アブー・カーミルは生涯をエジプトで過ごしました。
当時のエジプトは、アッバース朝の支配下にありながらも、独自の学問的伝統を持つ地域でした。
エジプトの中の細かい場所については、当時の写本が作成・保存されていたフスタート(現:カイロ)の可能性が濃厚なものの、詳しいことはわかっていません。
アブー・カーミルの功績:無理数を代数的計算で扱った
アブー・カーミルの数学上最も重要な功績は、無理数(平方根)の計算を代数的に行ったことです。
古代ギリシャのエウドクソスが無理数を数として扱ってから1000年以上経ち、エジプトの地でやっと無理数に計算規則が与えられました。

カーミル以前は幾何学的計算
フワーリズミーをはじめとする初期の代数学者たちは、主に整数や分数を用いて方程式を解いていました。
無理数が現れる場合でも、それらは幾何学的な線分の長さとして理解され、数そのものとして自由に計算することは避けられていました。
例えば、$~\sqrt{5}~$ のような無理数は、「面積が5の正方形の辺の長さ」として幾何学的に表現されることが多かったため、次のような計算結果がどれくらいの大きさなのかがわかりませんでした。
(面積が5の正方形の辺の長さ)\times(面積が7の正方形の辺の長さ)=??

ルートどうしのかけ算が可能に
アブー・カーミルは、この制約を打ち破り、無理数を「数」として扱うことを可能にしました。
彼は以下のような無理数の計算規則を確立しました。
- $~(a+px)(b+qx) = ab+bpx+aqx+pqx^2~$
$~(a-px)(b-qx) = ab-bpx-aqx-pqx^2~$
$~(a+px)(b-qx) = ab+bpx-aqx-pqx^2~$
$~(a-px)(b+qx) = ab-bpx+aqx-pqx^2~$ - $~\sqrt{a}\cdot\sqrt{b} = \sqrt{a b} ~$
$~\displaystyle \sqrt{\frac{a}{b}} = \frac{\sqrt{a}}{\sqrt{b}}~$ - $~\sqrt{a+\sqrt{b}} = \sqrt{a}+b+2\sqrt{ab}~$
$~\sqrt{a-\sqrt{b}} = \sqrt{a}-b-2\sqrt{ab}~$
具体的な例として、カーミルは $~\sqrt{5}\times\sqrt{7}=\sqrt{35}~$ のような計算を、何の躊躇もなく行いました。
これにより、先の計算結果がすぐに求められ、どのくらいの大きさを持つ数かがわかるようになりました。
\sqrt{5}\times\sqrt{7}=\sqrt{35} \fallingdotseq 6これは、幾何学的な制約から解放し、純粋に代数的な操作の対象として扱った画期的な発展です。

重根号や分母の有理化も扱った
アブー・カーミルの無理数に対する理解は、さらに高度なレベルにまで達していました。
彼の著書『代数学』の問題61 にその高度な計算が出てきます。
$~10~$を三つに分けて、最小のものにそれ自身を掛けて中間のものにそれ自身を掛けたものに加えると、その和は最大のものにそれ自身を掛けたものに等しい。
またこのとき最小のものと最大ものの積は中間のものにそれ自身を掛けたものに等しい。
最小を$~x~$、中間を$~y~$、最大を$~z~$とするとき、
\begin{cases}
&x + y + z = 10 \cdots ① \\
&z^2 = x^2 + y^2 \cdots ② \\
&xz = y^2 \cdots ③
\end{cases}という連立方程式を解くことになります。
$~x, y, z~$を正の数としたうえで、アル・カーミルはエジプトの「仮置法」を使って解きました。
まずは仮置法の部分を見てみましょう。
$~x = 1~$と仮定する。このとき、$~y = p~$、$~z = q~$とする。
$~②,③~$の式はそれぞれ次のようになる。
\begin{align*}
q^2 &= 1 + p^2 \cdots ④ \\
q &= p^2 \cdots ⑤
\end{align*}$~⑤~$を$~④~$に代入すると、
(p^2)^2 = p^2 + 1
となり、この方程式はフワーリズミーの二次方程式のパターン⑥の形である。
それによって次のように変形できる。
\begin{align*}
p^2 &= \frac{1}{2} + \sqrt{1+\frac{1}{4}} \\
p^2 &= \frac{1}{2} + \sqrt{\frac{5}{4}} \cdots ⑥ \\
p &= \sqrt{\frac{1}{2} +\sqrt \frac{{5}}{4}} \cdots ⑦
\end{align*}$~⑥~$を$~⑤~$に代入して、
q = \frac{1}{2} + \sqrt{\frac{5}{4}} \cdots ⑧まで求められた。
ここで、$~⑦,⑧~$を$~①~$の左辺に代入すると、
\begin{align*}
&x + y + z\\
&= 1 + \sqrt{\frac{1}{2} + \sqrt\frac{{5}}{4}} + \frac{1}{2} + \sqrt{\frac{5}{4}} \\
&= \frac{3}{2} + \sqrt{\frac{5}{4}} + \sqrt{\frac{1}{2} + \sqrt\frac{{5}}{4}}
\end{align*}であり、これが$~10~$になればよいので、
b = \frac{10}{\frac{3}{2} + \sqrt{\frac{5}{4}} + \sqrt{\frac{1}{2} + \sqrt\frac{{5}}{4}}} \cdots ⑨とすれば、$~⑨~$は、
b + b\sqrt{\frac{1}{2} + \sqrt\frac{{5}}{4}} + b\left(\frac{1}{2} + \sqrt{\frac{5}{4}}\right) = 10が成り立つ。
よって、連立方程式の解は、
x = b, \quad y = b\sqrt{\frac{1}{2} + \sqrt\frac{{5}}{4}}, \quad z = b\left(\frac{1}{2} + \sqrt{\frac{5}{4}}\right)と求められた。
次に$~⑨~$で与えられた$~b~$を簡単に表します。
$~⑨~$を次のように式変形していく。
\begin{align*}
&b = \frac{10}{\frac{3}{2} + \sqrt{\frac{5}{4}} + \sqrt{\frac{1}{2} + \sqrt\frac{{5}}{4}}}\\
\frac{3}{2}b + \sqrt{\frac{5}{4}}b + \sqrt{\frac{1}{2} + \sqrt\frac{{5}}{4}}b &= 10 \\
\sqrt{\frac{1}{2} + \sqrt\frac{{5}}{4}}b &= \left\{10 - \left(\frac{3}{2}b + \sqrt{\frac{5}{4}}b\right)\right\} \\
\left(\frac{1}{2} + \sqrt\frac{{5}}{4}\right)b^2 &= 100 - 20\left(\frac{3}{2} + \sqrt{\frac{5}{4}}\right)b + \left(\frac{3}{2} + \sqrt{\frac{5}{4}}\right)^2 b^2 \\
\left(\frac{1}{2} +\sqrt \frac{{5}}{4}\right)b^2 &= 100 - 20\left(\frac{3}{2} + \sqrt{\frac{5}{4}}\right)b + \left(\frac{7}{4} + \frac{3\sqrt{5}}{2}\right)b^2 \\
(1 + \sqrt{5})b^2 &= 200 - 20(3 + \sqrt{5})b + (7 + 3\sqrt{5})b^2 \\
20(3 + \sqrt{5})b &= (6 + 2\sqrt{5})b^2 + 200 \\
20(3 + \sqrt{5})b &= 2(3 + \sqrt{5})b^2 + 200 \\
10b &= b^2 + \frac{100}{3 + \sqrt{5}} \\
10b &= b^2 + \frac{100(3 - \sqrt{5})}{(3 + \sqrt{5})(3 - \sqrt{5})} \\
10b &= b^2 + \frac{100(3 - \sqrt{5})}{4} \\
10b &= b^2 + (75 - 25\sqrt{5})
\end{align*}
これはフワーリズミーの二次方程式のパターン⑤の形である。$~25\sqrt{5} = \sqrt{3125}~$として、方程式を解くと、
\begin{align*}
(5-b)^2 &= 5^2 - (75 - \sqrt{3125}) \\
(5-b)^2 &= \sqrt{3125} - 50 \\
5-b &= \sqrt{\sqrt{3125} - 50} \\
b &= 5 - \sqrt{\sqrt{3125} - 50}
\end{align*}と求められる。
ここまで見てきた式変形の内容から、アル・カーミルが
\frac{a}{b + \sqrt{c} + \sqrt{d + e}}という複雑な式の分母を有理化できたことがわかります。
ちなみに、$~x = b~$、$~y = b\sqrt{\displaystyle\frac{1}{2} +\sqrt \frac{{5}}{4}}~$、$~z = b\left(\displaystyle\frac{1}{2} + \sqrt{\displaystyle\frac{5}{4}}\right)~$に代入して、整理すると、
\begin{align*}
x &= 5 - \sqrt{\sqrt{5} - 2} \\
y &= \frac{5}{2}\left(1 - \sqrt{5} + \sqrt{2\sqrt{5} + 2}~\right) \\
z &= \frac{5}{2}\left(1 + \sqrt{5} -\sqrt{2\sqrt{5} - 2}~\right)
\end{align*}という解が求められます。
アブー・カーミルのエピソード:「エジプトの計算家」の異名を持つ
アブー・カーミルは「エジプトの計算家(al-ḥāsib al-miṣrī)」という異名で知られていました。
この異名は、彼の卓越した計算能力と、エジプトを代表する数学者としての地位を表しています。
後世でも、アブー・アミールが名を馳せたとわかるエピソードは他にもあります。
- アブー・カーミルの主著『代数学』には69問もの複雑な代数問題を収録しており、これはフワーリズミーの著書『ジャブルとムカーバラの書』の40問を大きく上回る数だった。
- 歴史家イブン・ハルドゥーンに、フワーリズミーに次ぐ年代で2番目に偉大な代数学者として評価された。
- 『代数学』の内容は、12世紀のイタリアの数学者レオナルド・フィボナッチの『算盤の書』でも数多く引用された。
アブー・カーミルにとって、無理数は「まったく問題とならなかった」と記録されており、彼が数学の抽象化において、いかに先進的な思考を持っていたかがうかがえます。
まとめ
アブー・カーミルは、フワーリズミーが築いた代数学の基礎の上に立ち、無理数を自由に扱える新しい数学の世界を切り開いた偉大な数学者でした。
- 平方根を含む計算を体系化し、代数学の適用範囲を大幅に拡大
- 代数的計算に、ユークリッドの『原論』に由来する幾何学的な証明を与える
- 著作『代数学』を通し、 フィボナッチを経由して、イスラーム世界の高度な代数学をヨーロッパに伝達
アブー・カーミルの業績は、数学を具体的な幾何学的対象から抽象的な数の操作へと発展させる上で、決定的な役割を果たしました。

$~\sqrt~$の計算って当たり前のように行ってたけど、無理数の発見と1000年以上も離れていたんだ!



幾何学的な計算という古代ギリシャのしがらみに、多くの数学者が囚われていたことがわかる事実だよね。
このブログの参考文献
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- 『カッツ 数学の歴史』
- 『メルツバッハ&ボイヤー数学の歴史(Ⅰ・Ⅱ)』
- 『数学の流れ30講(上・中・下)』
- 『数学の歴史物語』
- 『フィボナッチの兎』
- 『高校数学史演習』
- 『数学の世界史』
- 『数学の文化史』
- 『モノグラフ 数学史』
- 『数学史 数学5000年の歩み』
- 『数学物語』
- 『世界数学者事典』
- 『数学者図鑑』
- 『数学を切りひらいた人々(1~5)』
- 『天才なのに変態で愛しい数学者たちについて』
- 『素顔の数学者たち』
- 『数学スキャンダル』
- 『ギリシャ数学史』
- 『古代ギリシャの数理哲学への旅』
- 『ずかん 数字』
- 『πとeの話』
- 『代数学の歴史』
- 『幾何学の偉大なものがたり』
- 『アキレスと亀』
- 『ピタゴラスの定理100の証明法』
- 『ピタゴラスの定理』
- 『フェルマーの最終定理』
- 『哲学的な何か, あと数学とか』
- 『数と記号のふしぎ』
- 『身近な数学の記号たち』
- 『数学用語と記号ものがたり』
- 『納得する数学記号』
- 『図解教養事典 数学』
- 『イラストでサクッと理解 世界を変えた数学史図鑑』(拙著)
- 『教養としての数学史』(拙著)


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