中世イスラーム世界に、天文学、数学、物理学、地理学、歴史学、比較宗教学まで、あらゆる学問に通じた「万能の天才」がいました。
その名は、アブー・ライハーン・アル・ビールーニー。
彼は、ギリシャから受け継がれた三角法を、地球の大きさを測ったり、日々の礼拝に役立てたりと、現実世界の問題解決に応用した実践的な科学者でした。
さらに、インドの高度な数学や文化をイスラーム世界に紹介する架け橋となり、その後の科学の発展に大きく貢献しています。
この記事では、アル・ビールーニーの驚くべき生涯と功績、そして彼の人柄がうかがえるユニークなエピソードについて、現役数学教員で数学史の先生Fukusukeが分かりやすく解説します!
この記事を読めば、アル・ビールーニーがイスラーム科学の黄金時代を代表する、いかに偉大な知の巨人であったかがわかります。
| 時代 | 10世紀~11世紀半ば |
| 場所 | 現在のアフガニスタン |
ビールーニーの生涯
アル・ビールーニー(Al-Biruni, 973年 〜 1048年)は、現在のウズベキスタンにあたるホラズム地方で生まれた、ペルシャ系の学者です。

(出典:The original uploader was Romanm at Slovenian Wikipedia.,
Public domain, via Wikimedia Commons)
彼のフルネームは「アブ・アル・ライハン・ムハンマド・ベン・アーマッド・アル・ビールーニー」と非常に長いですが、一般的には出身地ビールーンに由来する「アル・ビールーニー」として知られています。
ビールーニーの年譜
アル・ビールーニーの生涯は、以下の通りです。
| 年代 | 出来事 | 補足 |
| 973年 | ホラズム地方のビールーンで生まれる。 | 裕福ではない家庭の出身だったとされる。 |
| 997年 | カースで月食を観測する。 | 協力者のおかげもあり、2地点間の距離を求めた。 |
| 999年 | 故郷を離れ、イランのライイなどに滞在。 | 政情不安を逃れつつ、各地で研究を続ける。 |
| 1017年 | ガズナ朝(現アフガニスタン)のスルタン・マフムードに仕える。 | 王の庇護のもと、研究に没頭できる環境を得る。 |
| 1017年以降 | マフムード王のインド遠征に随行。 | インドに長期滞在し、現地の言葉(サンスクリット語)を習得。 |
| 1030年頃 | 主著『インド誌』を執筆。 | インドの科学、宗教、文化を客観的かつ詳細に記録した名著。 |
| 1048年 | 没する。(1055年説もあり) | 生涯で140冊あまりの著作を残した。 |
ビールーニーの活動場所
ビールーニーは、中央アジアのホラズム地方のビールーンという町の近くで生まれました。
同地域出身の優れた天文学者に師事し、様々な知識を会得します。
政治的紛争に巻き込まれながらも997年には、カースで月食を観測。
この月食を友人にバクダードで観測してもらい、2都市間の経度差を測定しています。
当時仕えていた国がガズナ朝によって999年に陥落し、ライイなどを転々としていたものの、最終的にはガズナ朝の宮廷学者に仕えることになりました。
1017年からはスルターン・マフムードに仕えることになり、彼のインド遠征に随行。
インドとガズナを行き来することで、インド文化をイスラームに伝える役割を果たしました。
ビールーニーの功績:三角法で地球の大きさを計測した
ビールーニーの功績の核心は、数学、特に三角法を、人々の生活や世界の謎を解き明かすための強力なツールとして活用した点にあります。
まずは山の高さを求めた
ビールーニーが地球の大きさを測るにあたり、まずは山の高さを求めました。
山は棒ではないため、タレスの手法のように影から高さを求めることはできません。
そこで、正方形の形をした測定器具を使って、山に登らずにその高さを測りました。
正方形の板$~ABCD~$を用意し、$~C~$を地面に固定する。
正方形の板を半直線$~CB~$上に山頂$~M~$がくるように傾け、$~D~$から地面への垂線を$~DH~$、山の高さを$~MN~$とする。
この状態で、$~D~$から山頂$~M~$を見たとき、辺$~AB~$と視線$~DM~$の交点を$~E~$※とする。

このとき、測定できる長さは$~AE, AD(CD), CH, DH~$などである。

$~\triangle ADE~$と$~\triangle CMD~$において、平行線の錯角から
\angle ADE = \angle CMD, \angle AED = \angle CDM
なので、$~\triangle ADE ∽ \triangle CMD~$。
したがって、
\begin{align*}
AE : CD &= AD : CM\\
CM &= \frac{CD \cdot AD}{AE}
\end{align*}であり、$~CD, AD, AE~$は測定できる長さであるため、$~CM~$が上式で求められる。

次に、$~\triangle DCH~$と$~\triangle CMN~$において、垂線から、$\angle DHC = \angle CNM = 90° \cdots ①$
\begin{align*}
\triangle DCHから、\angle CDH &= 180° - 90° - \angle DCH\\
&= 90° - \angle DCH \cdots ②
\end{align*}\begin{align*}
直線NHから、\angle MCN &= 180° - \angle DCH - 90°\\
&= 90° - \angle DCH \cdots ③
\end{align*}$~②,③~$から、$~\angle CDH = \angle MCN \cdots ④~$
$~①,④~$から、$~\triangle DCH ∽ \triangle CMN~$
したがって、
\begin{align*}
DC : CM &= CH : MN\\
MN &= \frac{CM \cdot CH}{DC}
\end{align*}であり、$~CM, CH, DC~$はすでに求められているので、山の高さ$~MN~$が上式で求められた。$~\blacksquare~$
※ビールーニーは、正方形の板の辺$~AB~$に目盛りを入れることで、視線と辺$~AB~$の交点$~E~$を観測しました。

山に登れば地球が測れる
ビールーニーが997年の月食時に行った、「2地点間の観測結果の差から地球の全周を測る」という試みは、古代ギリシャのエラトステネスが有名です。
しかし、ビールーニーは全く異なる独創的な方法も考案しました。
その方法とは、高さが求められている一つの山を使うという驚くべきものです。
高さ$~MN~$の山の頂上から地平線を見るとき、その俯角※を$~\theta~$とし、視線と地球$~O~$の接点を$~T~$とおく。
山のふもとから、地面と平行になるように目を向け、頂上からの視線$~MT~$と交わる想像上の点を$~F~$とおく。

このとき、$~\theta~$の大きさと山の高さ$~MN~$は測定することができ、平行線の錯角などから、
\angle MFN = \theta~,~\angle FMN = 90° - \theta~,~\angle MOT = \theta
が求められる。

$~\triangle MNF~$で正弦定理より、
\begin{align*}
\frac{FN}{\sin(90° - \theta)} &= \frac{MN}{\sin \theta}\\
FN &= \frac{MN \sin(90° - \theta)}{\sin \theta}
\end{align*}であり、$~MN~$は測定でき、当時の正弦表を使うことで、$~\sin(90° – \theta),\sin \theta~$が求められるので、上式で$~FN~$も求められる。

ここで、$~\triangle MFN~$で三平方の定理を使うと、
MF = \sqrt{MN^2 + FN^2}で、$~MN~$、$~FN~$は求められているため、$~MF~$も求めることができる。
また、$~F~$は円$~O~$の2本の接線の交点なので、
FT = FN
となり、$~FN~$は求められているため、$~FT~$を求めることができる。

$~MT = MF + FT~$であることに注意して、$~\triangle MOT~$で正弦定理を使うと、
\begin{align*}
\frac{OT}{\sin(90° - \theta)} &= \frac{MT}{\sin \theta}\\
OT &= \frac{MT \sin(90° - \theta)}{\sin \theta}
\end{align*}であり、右辺はすべて既に求められているため、上式で地球の半径$~OT~$も求められた。$~\blacksquare~$
※俯角とは、水平な視線よりも下にあるものを見るとき、その視線と水平な視線がつくる角のことです。

この方法の画期的な点は、エラトステネスのように「二つの離れた都市」間の距離を実際に測る必要がないことです。

ビールーニーが求めた地球の全周は39675.7km
ビールーニーは、インドのナンダナ付近の山で実測しました。
当時は$~60~$進法で、長さの単位にはキュービットが使われており、ビールーニーが使っていたのは$~1~$キュービット$~= 49.3 \text{ cm}~$だったと言われています。
ビールーニーは、次の情報を元にした。
| 山の高さ | $~652 ; 3 , 18_{(60)}~$キュービット |
| 俯角 | $~0 ; 34_{(60)}~$(度) |
ビールーニーが測定した情報を、10進法かつ今の単位に変換すると以下の通り。
\begin{align*}
(山の高さ)&= 652;3,18_{(60)}(キュービット)\\
&= 652.055(キュービット)\\
&= 321.463115 \text{ (m)}
\end{align*}\begin{align*}
(俯角)&= 0;34_{(60)}(度)\\
&= 0.57 \cdots(度)
\end{align*}これらを使い、地球の半径を求めると、
\begin{align*}
(地球の半径)&= 12803337;2,9_{(60)}(キュービット)\\
&= 12803337.04 \cdots(キュービット)\\
&= 6312045.16 \cdots (m)\\
&= 6312.04516 \cdots (km)
\end{align*}となる。
地球の実際の半径は約$~6378 \text{ km}~$に対し、ビールーニーが実際に算出した値は約$~6,339.6km~$とされています。
偶然にも、より真値に近い値となっていますが、これは当時の三角比表の正確さに起因するものです。
いずれにせよ、非常に高い精度で地球の大きさを求めたことがわかります。
約1200年前のエラトステネスの計算では、地球の半径は約$~7321 \text{ km}~$となるため、ビールーニーは大幅に真値に近づいたと言えます。
ビールーニーの功績:三角法を礼拝の方向決めに応用した
ビールーニーは、正弦定理の球面バージョンを利用し、ムスリムたちの日課である礼拝をより正確に行えるようにしました。
正弦定理の球面バージョンは、同時代のイスラームの数学者アブール・ワファ(Abū’l-Wafā , 940年 – 998年)によって示されています。
球面三角形$~ABC~$において、
\frac{\sin a}{\sin A} = \frac{\sin b}{\sin B} = \frac{\sin c}{\sin C}が成り立つ。


礼拝の方角を求める公式
ムスリムたちにとって、一日五回、聖地メッカの方向(キブラ)を向いて礼拝することは、非常に重要な務めです。
メッカから遠く離れた土地でも、メッカの方向を正確に求める技術が必要とされました。

(AIイメージ)
そこで、ビールーニーはアブール・ワファの正弦定理を利用し、以下の公式と同様の求め方をしました。
ある地点$P$(北緯$~\phi_1~$、東経$~\phi_2~$)から、メッカ(北緯$~\mu_1~$、東経$~\mu_2~$)への方位角(北を$~0°~$として時計まわりの角)は、次の式で求められる。
\tan \theta = \frac{\sin(\phi_2- \mu_2)}{\cos \phi_1 \tan \mu_1 - \sin \phi_1 \cos(\phi_2 - \mu_2)}
実際に東京からメッカの方向を求めてみましょう。
東京からメッカの方向を求めるため、以下のデータを使う。
| 場所 | 北緯 | 東経 |
| 東京 | 35.6762° | 139.6503° |
| メッカ | 21.4225° | 39.8262° |
このとき、キブラの公式 から$~\tan \theta = -2.3560033~$と求められ、正接表から$~\theta = -67°~$とわかるので、東京からメッカへの方向は西北西である。

彼の研究によって、信仰という精神的な営みが、数学という論理的な体系によって支えられることになりました。
より細かな正弦表が必要になった
天文学の計算や測量において、三角関数の値をまとめた「正弦($~\sin{}~$)表」や「正接($~\tan{}~$)表」は不可欠な道具です。
ビールーニーは、プトレマイオスやアブール・ワファよりも、正弦表を精緻なものへと仕上げました。
| 数学者 | 年代 | 正弦表の精度 |
|---|---|---|
| プトレマイオス | 2世紀 | 0.5°刻みで、60進小数第3位まで正しかった。 |
| アブール・ワファ | 10世紀 | 0.25°刻みで、60進小数第3位まで正しかった。 また、正接表も作成している。 |
| アル・ビールーニー | 11世紀 | 0.25°刻みで、60進小数第4位まで正しかった。 正接表は1°刻みで、60進小数第4位まで正しかった。 |
プトレマイオスやアブール・ワファは10進小数第5〜6位、ビールーニーは10進小数第7〜8位の精度で正しく求めたことになります。
ビールーニーの功績∶インド数学を継承した
ビールーニーのもう一つの大きな功績は、インドとガズナを行き来したことで、当時世界最先端レベルにあったインドの数学や天文学を深く理解し、その知識をイスラーム世界に紹介したことです。
ブラーマグプタの公式を補足した
インドの偉大な数学者ブラーマグプタは、4つの辺の長さから、その面積を直接求めることができる美しい公式を発見していました。

4つの辺の長さが、$~a~,~b~,~c~,~d~$の円に内接する四角形$~ABCD~$で、
s=\frac{a+b+c+d}{2}とする。
このとき、四角形$~ABCD~$の面積$~S~$は次のように求めることができる。
S=\sqrt{(s-a)(s-b)(s-c)(s-d)}ただ、ブラーマグプタの記述では「円に内接する」という言葉が抜けており、それを補ったのがビールーニーの功績です。
また、ブラーマグプタはこの公式に証明を与えておらず、ビールーニーが厳密な数学的証明を与えたとされています。
ビールーニーがインド数学をただ紹介するだけでなく、その内容を深く吟味し、ギリシャ数学の得意とする論理的な証明体系と結びつけようとしたことがわかるでしょう。
『インド誌』でインドの位取り記数法を紹介した
ビールーニーのインド研究の集大成が、主著『インド誌』です。
この本の中で、彼はインドの天文学、哲学、社会制度などと共に、彼らの数学についても詳しく解説しました。
特に重要なのが、「ゼロ」の概念を含むインドの位取り記数法を、その原理から丁寧に説明したことです。
ビールーニーの時代、優れた数学者は数の表記を60進法から10進法に変換して計算を行い、その後60進法に戻すということをしていました。
ビールーニーのエピソード:ユーモア溢れる言い回しで有名
博覧強記の大科学者ビールーニーですが、その著作には彼独特の知的なユーモアや、鋭い人間観察眼が垣間見えます。
ビールーニーは地球の大きさを求めるために使った自身の新手法を紹介する際、次のようなとぼけたユーモアで始めています。
ビールーニーここに地球の周を決定するためのもう一つの方法がある。
それは砂漠を歩いて回ることを必要としない。


(AIイラスト)
また、彼のインド文化への態度は、有名な比喩によく表れています。
彼は主著『インド誌』の中で、インドの学問を、
高価な真珠と、水晶やただの石ころがごちゃ混ぜになった宝物
と評しました。
これは、インドの知識の中に素晴らしい発見(真珠)があることを認めつつも、その体系や論理的証明が不十分である(石ころ)ことを的確に指摘した、鋭くも巧みな表現です。
異文化の優れた点を最大限に尊重しながらも、科学者としての冷静な批評眼を持ち合わせるというビールーニーの人間性が垣間見えます。
まとめ
今回は、中世イスラームが生んだ万能の天才、アル・ビールーニーについて解説しました。
- 三角法を応用し地球の大きさや礼拝の方角を計算した
- インド数学を研究し『インド誌』でイスラーム世界に紹介した
- ブラーマグプタの公式に補足を与えるなど、理論的にも貢献した



東京からメッカって、西北西の方角なんだ。
地図上だと、南西に思えるけど。



平面幾何と球面幾何の違いだね。
球面を平面で完全に表せないことは、ガウスが証明しているよ。


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