アル・ビールーニー〜生涯と功績を解説!イスラーム世界で三角法をどう応用した?【数学史10-6】

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 中世イスラーム世界に、天文学、数学、物理学、地理学、歴史学、比較宗教学まで、あらゆる学問に通じた「万能の天才」がいました。

 その名は、アブー・ライハーン・アル・ビールーニー

 彼は、ギリシャから受け継がれた三角法を、地球の大きさを測ったり、日々の礼拝に役立てたりと、現実世界の問題解決に応用した実践的な科学者でした。

 さらに、インドの高度な数学や文化をイスラーム世界に紹介する架け橋となり、その後の科学の発展に大きく貢献しています。

 この記事では、アル・ビールーニーの驚くべき生涯と功績、そして彼の人柄がうかがえるユニークなエピソードについて、現役数学教員で数学史の先生Fukusukeが分かりやすく解説します!

 この記事を読めば、アル・ビールーニーがイスラーム科学の黄金時代を代表する、いかに偉大な知の巨人であったかがわかります。

この記事で主に扱っている時代と場所
時代10世紀~11世紀半ば
場所現在のアフガニスタン
この記事を書いた人

Fukusuke(ふくすけ)
数学史の先生

  1. 現役の中学・高校数学教員
  2. 著書2冊重刷、ブログ累計200万PV達成
  3. ブログでは、式変形をとにかくていねいに記述
この記事を書いた人

Fukusuke(ふくすけ)
数学史の先生

  • 現役の中学・高校数学教員
  • 著書2冊重刷、ブログ累計200万PV達成
  • ブログでは、式変形をとにかくていねいに記述
  • 作図や文章校正、Texの打ち込みは文系妻が担当

この記事を読んでわかること

ビールーニーの生涯

 アル・ビールーニー(Al-Biruni, 973年 〜 1048年)は、現在のウズベキスタンにあたるホラズム地方で生まれた、ペルシャ系の学者です。

アル・ビールーニー
アル・ビールーニー
(出典:The original uploader was Romanm at Slovenian Wikipedia.,
Public domain, via Wikimedia Commons)

 彼のフルネームは「アブ・アル・ライハン・ムハンマド・ベン・アーマッド・アル・ビールーニー」と非常に長いですが、一般的には出身地ビールーンに由来する「アル・ビールーニー」として知られています。

ビールーニーの年譜

 アル・ビールーニーの生涯は、以下の通りです。

年代出来事補足
973年ホラズム地方のビールーンで生まれる。裕福ではない家庭の出身だったとされる。
997年カースで月食を観測する。協力者のおかげもあり、2地点間の距離を求めた。
999年故郷を離れ、イランのライイなどに滞在。政情不安を逃れつつ、各地で研究を続ける。
1017年ガズナ朝(現アフガニスタン)のスルタン・マフムードに仕える。王の庇護のもと、研究に没頭できる環境を得る。
1017年以降マフムード王のインド遠征に随行。インドに長期滞在し、現地の言葉(サンスクリット語)を習得。
1030年頃主著『インド誌』を執筆。インドの科学、宗教、文化を客観的かつ詳細に記録した名著。
1048年没する。(1055年説もあり)生涯で140冊あまりの著作を残した。

ビールーニーの活動場所

 ビールーニーは、中央アジアのホラズム地方ビールーンという町の近くで生まれました。
 同地域出身の優れた天文学者に師事し、様々な知識を会得します。

 政治的紛争に巻き込まれながらも997年には、カースで月食を観測。
 この月食を友人にバクダードで観測してもらい、2都市間の経度差を測定しています。

 当時仕えていた国がガズナ朝によって999年に陥落し、ライイなどを転々としていたものの、最終的にはガズナ朝の宮廷学者に仕えることになりました。

 1017年からはスルターン・マフムードに仕えることになり、彼のインド遠征に随行。
 インドとガズナを行き来することで、インド文化をイスラームに伝える役割を果たしました。

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