アルハゼン(イブン・アル・ハイサム)は、10世紀から11世紀にかけて活躍した中世イスラーム世界の数学者・物理学者です。
現代の数学や物理学の基礎となる重要な発見を数多く行い、特に光学の分野では「光学の父」と呼ばれるほどの功績を残しました。
また、彼の名を冠した「アルハゼンの問題」や「アルハゼンの定理」は、現在でも数学史において重要な位置を占めています。
この記事では、アルハゼンの生涯と主要な功績、そして彼にまつわる興味深いエピソードについて、現役数学教員で、数学史の先生であるFukusukeが詳しく解説します。
中世イスラーム世界が生んだこの天才科学者の業績を通じて、現代科学の発展における彼の貢献を理解することができるでしょう。
| 時代 | 10世紀半ば~11世紀半ば |
| 場所 | バグダード・カイロ |
アルハゼンの生涯
アルハゼン(Alhazen、965年〜1040年)は中世イスラームの数学者で、数学、物理学、天文学、哲学など幅広い分野で研究を行いました。

(出典:unknown, probably Muhammad Atiyya Al-Ibrashi (1897 –1981)., Public domain, via Wikimedia Commons)
アルハゼンの本名は、アブー・アリー・アル・ハサン・イブン・アル・ハイサムで、「イブン・ハイサム」や「イブン・アル・ハイサム」の名でも知られています。
西洋では、「アル・ハサン」がラテン語化された「アルハゼン」と呼ばれるのが一般的です。
アルハゼンの年譜
| 年代 | 出来事 | 補足 |
| 965年 | イラクのバスラで生まれる | |
| 若い頃 | バグダードで学業を修了 | |
| その後 | ナイル川の治水構想を提唱し、カイロへ移住する | この構想がファーティマ朝のカリフ(指導者)アル・ハーキムの耳に入り、エジプトへ招聘される。 |
| 1011年頃 | 狂気を装い、公職を辞す | 治水事業の失敗からハーキムに殺害されることを恐れての行動をとった。 |
| 1011年~1021年 | ハーキムが死ぬまで、自宅で軟禁生活を送る | この間に代表作『光学』全7巻を執筆したとされる。 |
| 晩年 | アズハル学院で講義を行う。 | 書籍の写本や翻訳で生計を立てながら、研究に没頭する。 |
| 1039年 | エジプトのカイロで死去。 |
アルハゼンの活動場所
アルハゼンはイラクのバスラで生まれ、地元で学を積みました。
その後、知恵の館に代表される学問の中心地バグダードへ行き、学問を修めます。
アルハゼンが修了後にイラクへ戻ったか、バグダードに残ったかは不明ですが、ファーティマ朝の当時のカリフであるアル・ハーキムから、エジプトのカイロへ招聘されました。
当時のカイロは、バグダード同様、イスラーム世界における学問の中心地の一つとして繁栄しており、世界各地から優秀な学者たちが集まっていました。
この恵まれた学術環境の中で、アルハゼンは天命を全うするまで、数々の重要な科学研究を行うことができたのです。
アルハゼンの功績:アルハゼンの問題を解いた
アルハゼンの名が残る最大の功績が、「アルハゼンの問題」と呼ばれる難問の解決です。
光学に関する問題
「アルハゼンの問題」は、彼の主著である『光学』の第5巻で紹介されています。
球面鏡と、その外側にある2つの点(光源と視点)が与えられたとき、光が鏡のどの点で反射すれば、光源から視点に届くか? その反射点を作図せよ。

この問題の難しさは球面鏡にあります。
平面鏡であればこの作図は非常に簡単で、光源か視点のどちらかを対称の位置に移動させることで作図できます。

しかし、球面鏡となると話は別。
場所によって反射の仕方が大きく変わるため、一筋縄ではいかない作図問題でした。

アルハゼンのビリヤード問題としても知られる
アルハゼンの問題はいくつかの等価な言い回しがあります。
円形のビリヤード台において、あるビリヤードボールを台で一度反射させてから、他方のビリヤードボールに当てるためには、どこで反射させればよいかを作図から求めよ。

このビリヤードによる言い回しは、『不思議の国のアリス』の著者で数学者でもあるルイス・キャロルも、ビリヤードを楽しむうえで考えたと言われています。
曲線上にない異なる2点$~P~,~Q~$に対し、曲線上に点$~T~$をとる。
$~AT+BT~$が最小となるような点$~T~$を曲線上に作図せよ。

こちらの言い方は数学的。
確かに平面鏡の場合の作図方法は、数学において最短経路の作図でも使えるため、物理学と数学のつながりが感じられる例となっています。

アルハゼンの貢献と問題解決まで
実はアルハゼンの問題自体は、2世紀のプトレマイオスまでさかのぼります。
プトレマイオスが考えたのは、2つの点が円に対して対称的な位置にある場合等の特殊なケースのみで、複雑な作図は不要でした。


プトレマイオスの研究を一般化したのが、アルハゼンの功績です。
アルハゼンは双曲線を使用する非常に複雑な方法によって、自身が一般化した問題を『光学』の中で解いてみせました。
また、パップスの作図問題の分類にもある通り、双曲線を使った時点でコンパスと定木(目盛りのない定規)による作図は不可能と予想されました。

その後『光学』が16世紀にスイスのバーゼルで出版され、ホイヘンスやロピタルも取り組んだものの、円錐曲線から抜け出すことはできず、より簡易な別解が生まれるだけに留まりました。
そして、1837年にフランスのピエール・ワンツェルが、「円錐曲線で表現される作図はコンパスと定木のみで描画するのは不可能」と示したことで、アルハゼンの問題は作図不可能な問題とわかったのです。
また、アルハゼンが提起してから約950年後の1965年、アメリカの保険数理士ジャック・M・エルキンが4次多項式から代数的に反射する点の位置を求めています。
アルハゼンの功績:アルハゼンの定理を発見した
アルハゼンの数学上の功績として、円に関する幾何学的性質の発見があります。
これは「アルハゼンの定理」として知られ、彼が光学の問題を解く過程で見出した図形の性質です。
図において、$~\angle APB~$の大きさは、$~\overset{\frown}{AB}~$と$~\overset{\frown}{CD}~$に対する円周角の和に等しい。

図において、$~\angle AQB~$の大きさは、$~\overset{\frown}{AB}~$と$~\overset{\frown}{CD}~$に対する円周角の差に等しい。

証明は補助線を引いて、円周角の定理や外角の性質を使うだけ。
平行線を引く方法も併せて、以下の記事で解説しています。

アルハゼンの功績∶Σに関する公式を発見した
アルハゼンの功績は、幾何学や光学の分野にとどまりません。
数列の和を求めるΣ(シグマ)の公式についても、重要な発見を行っています。
Σの和の公式を一般化する公式
アルハゼンは次のような関係式を発見しました。
(n+1)\sum_{i=1}^{n} i^k = \sum_{i=1}^{n} i^{k+1} + \sum_{p=1}^{n} \left(\sum_{i=1}^{p} i^k\right) \cdots (*) 100年頃、ローマ帝国で活躍した数学者ニコマコス(Nicomachus , 60年頃〜120年頃)が3乗和の公式を発見して以降、4乗和や5乗和の公式は見つかっていませんでした。
そもそも、4次元を考える必要性に迫られなかったのかもしれません。
しかし、アルハゼンは光学を研究する中で、放物線を軸の周りに回転させてできる立体である「放物面」の体積を求める必要に迫られ、4乗和の公式が必要になったと言われています。

証明には数学的帰納法が使われている
アルハゼンは、和の公式の正しさを証明するために、現代でいう数学的帰納法に相当する方法を用いました。
ただ、彼は和の公式を一般的に証明したわけではなく、$~k=3~,~ n=3~$で アルハゼンの和の公式 成り立つことを仮定したうえで、$~k=3~,~n=4~$のときの証明を行いました。
$~k=3~,~n=4~$のとき、
\begin{align*}
(4+1)(1^3+2^3+3^3+4^3) &= 4(1^3+2^3+3^3+4^3) + 1^3+2^3+3^3+4^3 \\
&= 4 \cdot 4^3 + 4(1^3+2^3+3^3) + 1^3+2^3+3^3+4^3 \\
&= 4^4 + (3+1)(1^3+2^3+3^3) + 1^3+2^3+3^3+4^3
\end{align*}である。
ここで、$~k=3~,~n=3~$のときの
(3+1)(1^3+2^3+3^3) = 1^4+2^4+3^4+\{1^3+(1^3+2^3)+(1^3+2^3+3^3)\}が成り立つことを使い、
\begin{align*}
&(4+1)(1^3+2^3+3^3+4^3) \\
&= 4^4+1^4+2^4+3^4+\{1^3+(1^3+2^3)+(1^3+2^3+3^3)\}+1^3+2^3+3^3+4^3 \\
&= (1^4+2^4+3^4+4^4)+\{1^3+(1^3+2^3)+(1^3+2^3+3^3)+(1^3+2^3+3^3+4^3)\}
\end{align*}となるため、$~k=3~$,$~n=4~$のときの公式が示された。$~\blacksquare~$
数学的帰納法がヨーロッパで体系化されるのは、アルハゼンの時代から数百年後のことです。
彼が時代を大きく先取りした数学的思考を持っていたことがわかります。

アルハゼンのエピソード:狂ったフリで命を守った
アルハゼンには、彼の機知に富んだ性格を示す興味深いエピソードが残されています。
当時、エジプトではナイル川の氾濫が深刻な問題となっていました。
アルハゼンは、カリフ(支配者)のアル・ハーキムに対して「ナイル川の氾濫を調節する機械を製作できる」と申し出ました。
しかし、現地調査を行った結果、自分の計画が実現不可能であることが判明しました。
カリフを欺いたとして処罰される危険に直面したアルハゼンは、驚くべき行動に出ました。
狂人のふりをしたのです。

(AIイメージ)
イスラーム法では、精神的に正常でない者の罪は問われないとされていました。
アルハゼンは、カリフが失脚するまでの長期間にわたって狂人を演じ続け、見事に命の危機を乗り切ったのです。
この逸話は、優れた科学者であるアルハゼンが、現実的な判断力と演技力も兼ね備えていたことを物語っています。
まとめ
アルハゼン(イブン・アル・ハイサム)は、中世イスラーム世界が生んだ傑出した科学者でした。
- •光学分野の開拓者: 光の反射法則を数学的に証明し、後の科学発展に大きな影響を与えました
- •数学の革新者: 「アルハゼンの問題」を解決し、Σの4乗和公式を発見しました
- •科学的方法の先駆者: 理論と実験を組み合わせた研究手法を確立しました
- •機知に富んだ人物: 狂人のふりをして生命の危機を回避する知恵を持っていました

数学的帰納法の考え方がこの時代からあったことにびっくり!



しかも2文字の帰納法(重帰納法)で、しっかり1文字を固定して考えられていたね。


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