アルハゼン〜生涯と功績を紹介!『光学』で登場するアルハゼンの問題とは?【数学史10-5】

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 アルハゼン(イブン・アル・ハイサム)は、10世紀から11世紀にかけて活躍した中世イスラーム世界の数学者・物理学者です。

 現代の数学や物理学の基礎となる重要な発見を数多く行い、特に光学の分野では「光学の父」と呼ばれるほどの功績を残しました。

 また、彼の名を冠した「アルハゼンの問題」や「アルハゼンの定理」は、現在でも数学史において重要な位置を占めています。

 この記事では、アルハゼンの生涯と主要な功績、そして彼にまつわる興味深いエピソードについて、現役数学教員で、数学史の先生であるFukusukeが詳しく解説します。

 中世イスラーム世界が生んだこの天才科学者の業績を通じて、現代科学の発展における彼の貢献を理解することができるでしょう。

この記事で主に扱っている時代と場所
時代10世紀半ば~11世紀半ば
場所バグダード・カイロ
この記事を書いた人

Fukusuke(ふくすけ)
数学史の先生

  1. 現役の中学・高校数学教員
  2. 著書2冊重刷、ブログ累計200万PV達成
  3. ブログでは、式変形をとにかくていねいに記述
この記事を書いた人

Fukusuke(ふくすけ)
数学史の先生

  • 現役の中学・高校数学教員
  • 著書2冊重刷、ブログ累計200万PV達成
  • ブログでは、式変形をとにかくていねいに記述
  • 作図や文章校正、Texの打ち込みは文系妻が担当

この記事を読んでわかること

アルハゼンの生涯

 アルハゼン(Alhazen、965年〜1040年)は中世イスラームの数学者で、数学、物理学、天文学、哲学など幅広い分野で研究を行いました。

アルハゼン
(出典:unknown, probably Muhammad Atiyya Al-Ibrashi (1897 –1981)., Public domain, via Wikimedia Commons)

 アルハゼンの本名は、アブー・アリー・アル・ハサン・イブン・アル・ハイサムで、「イブン・ハイサム」や「イブン・アル・ハイサム」の名でも知られています。

 西洋では、「アル・ハサン」がラテン語化された「アルハゼン」と呼ばれるのが一般的です。

アルハゼンの年譜

アルハゼンの年譜
年代出来事補足
965年イラクのバスラで生まれる
若い頃バグダードで学業を修了
その後ナイル川の治水構想を提唱し、カイロへ移住するこの構想がファーティマ朝のカリフ(指導者)アル・ハーキムの耳に入り、エジプトへ招聘される。
1011年頃狂気を装い、公職を辞す治水事業の失敗からハーキムに殺害されることを恐れての行動をとった。
1011年~1021年ハーキムが死ぬまで、自宅で軟禁生活を送るこの間に代表作『光学』全7巻を執筆したとされる。
晩年アズハル学院で講義を行う。書籍の写本や翻訳で生計を立てながら、研究に没頭する。
1039年エジプトのカイロで死去。

アルハゼンの活動場所

 アルハゼンはイラクのバスラで生まれ、地元で学を積みました。

 その後、知恵の館に代表される学問の中心地バグダードへ行き、学問を修めます。

 アルハゼンが修了後にイラクへ戻ったか、バグダードに残ったかは不明ですが、ファーティマ朝の当時のカリフであるアル・ハーキムから、エジプトのカイロへ招聘されました。

 当時のカイロは、バグダード同様、イスラーム世界における学問の中心地の一つとして繁栄しており、世界各地から優秀な学者たちが集まっていました。
 この恵まれた学術環境の中で、アルハゼンは天命を全うするまで、数々の重要な科学研究を行うことができたのです。

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