アポロニウスは古代ギリシアの数学者として知られ、その功績は現代の数学にも大きな影響を与えています。
特に彼の主著である『円錐曲線論』では、放物線、楕円、双曲線の性質を幾何学的に示し、アポロニウスを超える円錐曲線の成果は約1800年もの間出てこないほどでした。
この記事では、彼の生涯だけでなく、彼の代名詞とも言える円錐曲線の研究やアポロニウスの円の発見などをざっくり解説!
そもそも3種の円錐曲線である「放物線」、「楕円」、「双曲線」という名前はアポロニウスがつけたものだったんです!
時代 | 紀元前262年頃〜紀元前190年頃 |
場所 | エジプト、トルコ |
アポロニウスの生涯
アポロニウス(Apollonius,紀元前262年頃〜紀元前190年頃)は、プトレマイオス朝エジプトの時代に活躍した数学者です。
アポロニウスの年譜
小アジアのペルガに生まれる。
幼少期や家族構成等、詳しいことは不明。
アレクサンドリアで学ぶ
ユークリッドの後継者から学んだ。
アレクサンドリアで研究をする
教鞭をとりながら、自分の研究を行った。
ペルガモンに引っ越す
プトレマイオス4世の治世に呆れ、ペルガモンに移った。
アレクサンドリアで研究をする
ペルガモンから戻り、生涯をアレクサンドリアでの研究に費やした。
さまざまな本を書く
- 『円錐曲線論』を書き、放物線、楕円、双曲線の研究をする
- 『平面の軌跡』を書き、アポロニウスの円を説明する。
アレクサンドリアで死亡
アポロニウスの活動場所
アポロニウスは小アジアのペルガ(現∶トルコ)で生まれました。
当時の学問の中心地であったアレクサンドリアで学んだものの、プトレマイオス4世(紀元前222年即位)の放蕩ぶりに落胆して引っ越しを決意。
地中海地域で2番目に大きな図書館があったペルガモン(現∶トルコ)へと移りました。
プトレマイオス4世が紀元前204年に亡くなったことなどをきっかけに、アレクサンドリアに戻ったアポロニウスは、生涯その地で研究に没頭しました。
功績:円錐曲線の研究
主著『円錐曲線論』で紹介された
アポロニウスの最も有名な業績は、全8巻からなる『円錐曲線論』です。
この著作では、円錐を平面で切断したときに現れる曲線を「円錐曲線」と総称し、それらが持つ性質にについて詳細に論じられています。
アポロニウスは以下のように円錐曲線を定義しました。
1つの円錐に対して、
- 底面と平行な平面で切断すると、円の形になる。
- 底面と平行でなく、2本の母線を通るような平面で切断すると、楕円の形になる。
- 1本の母線と平行な平面で切断すると、放物線の形になる。
- 2本の母線と平行でない平面で切断すると、双曲線の形になる。
円錐曲線そのものは、約100年前のメナイクモスも研究していましたが、アポロニウス以前は以下のように異なる形の円錐を切断したときにできる曲線として定義されていました。
円錐を1つの母線に垂直な平面で切断するとき、
- 頂角が鋭角なら、切断面は楕円の形になる。
- 頂角が直角なら、切断面は放物線の形になる。
- 頂角が鈍角なら、切断面は双曲線の形になる。
どちらも円錐から定義されていることに変わりはないですが、アポロニウスは1つの円錐から円錐曲線を生み出しているため、それぞれの曲線の結びつきがより強く感じられます。
円錐曲線3種に名前をつけた
アポロニウスは円以外の円錐曲線それぞれに名前をつけました。
それぞれの英名と意味は次のとおりです。
円錐曲線 | 英名 | 英名のもともとの意味 |
楕円 | ellipse | 不足している |
双曲線 | hyperbola | 超過している |
放物線 | parabola | 超過もせず不足もしない |
アポロニウスは、放物線を基準に
- 楕円は2次の項が不足している(ellipse)
- 双曲線は2次の項が超過している(hyperbola)
と捉えました。
実際、放物線 $~y^2=\displaystyle \frac{8}{3}x~$に対して、楕円や双曲線は次のような式で表すことができます。
アポロニウスは式を使わずに以上の説明を行いました。
円錐曲線の性質を幾何的に証明した
アポロニウスは円錐曲線の様々な性質を幾何学的に証明しました。
例えば、放物線については以下のような定理を示しています。
平面上のある定点$~F$(焦点)と$~F~$を通らないある直線$~\ell~$(準線)に対し、$~PF=PQ~$(ただし、$~Q~$は$~P~$から$~l~$に下ろした垂線の足)を満たす点$~P~$の軌跡が放物線となる。
下のスライダーを動かすことで、$~P~$の残像が放物線を描くことに気付けます。
現在であれば数式を使って放物線になることは示せますが、座標や関数が生まれたのは17世紀であるため、アポロニウスは幾何学の知識のみでこのような性質を考えました。
功績∶アポロニウスの円
2点からの距離の比が等しい点の軌跡
アポロニウスの円は、次のように定義されます。
2点$~A~,~B~$からの距離の比が、$~m~:~n~~~(m \neq n)~$で一定である点$~P~$の軌跡は円である。
この円のことをアポロニウスの円という。
$~m=n~$のときは$~AB~$の垂直二等分線となります。
実際に$~m~,~n~$を設定し、$~P~$を動かすことで円ができるかどうかを確かめてみてください!
この円の求め方は別記事で紹介しますが、座標を使うと単純な代数計算で円の軌跡を求められます。
しかし、アポロニウスは円錐曲線のときと同様に、幾何的な性質だけでアポロニウスの円の原理を証明しました。
著書『平面の軌跡』で紹介された
アポロニウスの円は、彼の著書『平面の軌跡』で紹介されたとされています。
この著作は現存していませんが、その内容は後世の数学者たちによって伝えられるほど有名な本でした。
『平面の軌跡』を復元し、解析幾何学で捉え直すことを試みました。
ってか、座標なしで研究していたアポロニウスすごい!
その辺にいる名もない数学者たちよりレベル高い!
エピソード∶政治に敏感だった
エジプト王プトレマイオス4世に落胆した
アレクサンドリアを中心とするエジプトを治めていたプトレマイオス3世に代わり、紀元前222年からはその子であるプトレマイオス4世の統治が始まりました。
プトレマイオス4世は大酒飲みでダラダラと生活を送っていたため、アポロニウスはその王に落胆。
ペルガモンに引っ越すことを決意したのでした。
このように、アポロニウスは数学者としての活動だけでなく、当時の政治情勢にも敏感だったようです。
まとめ
アポロニウスは古代ギリシアを代表する数学者の一人であり、その功績は現代の数学にも大きな影響を与えています。
- 円錐曲線3種に名前をつけ、それらの性質を幾何的に証明した。
- 異なる2点との距離の関係から、アポロニウスの円を導いた。
座標なしの研究はハードモード過ぎる‥‥
座標が17世紀に誕生しなければ、今でもアポロニウスが円錐曲線の研究の頂点だったかもしれないね。
参考文献(本の紹介ページにリンクしています)
- 『カッツ 数学の歴史』,pp.136-148
- 『メルツバッハ&ボイヤー数学の歴史Ⅰー数学の萌芽から17世紀前期までー』,pp.139-155.
- 『数学の流れ30講(上)ー16世紀までー』,pp.91-94.
- 『数学の歴史物語』,pp.118-120.
- 『世界数学者事典』,p.18.
- 『ギリシャ数学史』,pp.283-304.
- ポール・パーソンズ、ゲイル・ディクソン(2021)『図解教養事典 数学』,p.35,NEWTON PRESS
- 片野善一郎(2005)『素顔の数学者たち―数学史に隠れた152のエピソード』,p14,裳華房
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