ヘレニズム時代の科学者で、世界三大数学者の一人に数えられるアルキメデス。
その名前を聞くと、多くの人々が「エウレカ!」(意味は「わかった!」)という有名な叫び声を思い浮かべるでしょう。
しかし、彼の功績や生涯、そして死に際のエピソードについては意外と知られていない部分も多いのです。
本記事では、アルキメデスの生涯や彼の偉大な発見、そして彼に関するエピソードについて詳しく解説します。
時代 | 紀元前287年頃~紀元前212年 |
場所 | ギリシャ |
アルキメデスの生涯
アルキメデス(Archimedes, 紀元前287年頃〜紀元前212年)は、古代ギリシャの数学者、物理学者、天文学者、発明家、哲学者として知られています。
アルキメデスの年譜
シチリア島のシラクサにて誕生。
当時、シラクサはギリシャ人の独立国家であった。
アレクサンドリアで学問を修める。
このあたりの時期にエラトステネスと交流が始まったとされる。
アルキメデスの活動場所
アルキメデスはシチリア島のシラクサで生まれ、学問を深めるためにアレクサンドリアに留学をしました。
アレクサンドリアで学んだ後は、故郷シラクサに戻り、研究活動に没頭。
ローマとシラクサの戦争では、故郷のために研究の成果を生かしたものの、戦禍に巻き込まれて75歳で亡くなりました。
功績:無限をうまく利用した
アルキメデスは、無限の概念を巧みに利用して多くの数学的発見をしました。その中でも特に有名なものをいくつか紹介します。
円周率を3.14まで求めた
アルキメデスは、正96角形を用いて円周率の近似値を求めました。
円周率$~\pi~$は次の不等式を満たす。
3\frac{10}{71} < \pi < 3\frac{1}{7}
ここで登場する分数を小数にすると、
3.140845~\cdots < \pi < 3.142857~\cdots
であるため、小数点以下2桁である3.14が世界で初めて算出されました。
アルキメデスの円周率の近似方法は、円に内接する正多角形と外接する正多角形の周の長さを計算することによります。
例として、正六角形で円を内接・外接させた場合、以下のような関係がわかります。
この場合、円周率$~\pi~$は以下の精度で近似されます。
3 < \pi < 2\sqrt{3}=3.4641016~\cdots
アルキメデスはこの手法を正96角形まで行い、先ほどの$~3.14~$という値を手にすることができました。
放物線の面積を求めた
アルキメデスよりも約100年前に活躍したメナイクモスにより、放物線の存在は知られていたものの、曲線図形であることから面積は求められていませんでした。
アルキメデスはエウドクソスの取りつくし法を利用し、次の公式を示しています。
放物線上の点$~C~$における接線と平行な直線を、放物線と交わるように引く。
このときの交点を$~A~,~B~$としたとき、直線$~AB~$と放物線で囲まれた図形の面積$~S~$について、以下の等式が成り立つ。
S=\frac{4}{3}\triangle ABC
球と円柱と円錐の関係を求めた
アルキメデスは、球とそれに外接する円柱、さらにその円柱に内接する円錐の体積比を求めました。
半径が$~r~$の球に対し、同じ半径で高さが$~2r~$の円柱と円錐を用意する。
このとき、3つの立体の体積比は以下のようになる。
円錐:球:円柱=1:2:3
アルキメデスは上記の公式を、てこの原理と積分を組み合わせて証明しています。
特に、球の体積が円柱の$~\displaystyle \frac{2}{3}~$であること、すなわち球の体積が$~\displaystyle \frac{4}{3}\pi r^3~$であることの発見は、アルキメデス自身とても誇りに思っていました。
エピソード∶「エウレカ!」と裸で叫んだ
浮力によって王冠が偽物かを判断した
アルキメデスでもっとも有名な逸話は次の話。
ある日、シラクサの王ヒエロン2世は、彼の金の王冠が純金で作られているかどうか疑念を抱きました。
アルキメデスはこれを解決するために考えを巡らせていたものの、なかなか良いアイデアが浮かびません。
ある時、入浴中に水面の上昇を見たアルキメデスは、ヒエロン2世の王冠が純金かどうかを確かめる方法を思いつきます。
彼は喜びのあまり、「エウレカ!」と叫びながら裸で町を走り回ったと言われています。
王冠が純金かどうかを判断する方法については諸説あるものの、金と他金属の密度の違いに注目することでアルキメデスは王様の要望に応えることができました。
- 王冠の体積を測定する。(「エウレカ!」のエピソードより)
- 王冠と同じ体積の金塊を用意する。
- 調べたい王冠と金塊の質量を比較する。
同じ質量なら、王冠は純金であることがわかる
王冠のほうが軽ければ、純金でないことがわかる。
実際、金の密度$~19.32~g/cm^3~$に対して、他の金属の密度はそれよりも小さいため、同じ体積でも偽物の王冠は軽くなります。
$~100cm^3~$の金属 | 100%金(純金) | 50%金、50%銀 | 50%金、50%鉄 |
質量 | $1932~g$ | $1490.5~g$ | $1359.5~g$ |
「エウレカ」の意味は「わかった!」
アルキメデスが町中を叫びまわった「エウレカ(εὕρηκα)」とは、ギリシャ語で「見つけた!」や「わかった!」という意味です。
英語では、「Eureka」、日本語では「エウレカ」「ユリイカ」とも表記され、アルキメデスの名言として王冠のエピソードと共によく知られています。
エピソード∶数学中に殺された
ローマ軍とシラクサの戦争で活躍した
紀元前214年から、シラクサとローマ軍の戦争が起こりました。(シラクサ包囲戦)
ローマ軍は早々に小国シラクサを包囲しましたが、アルキメデスの物理と数学を生かした武器を前に難攻します。
アルキメデスがその時に開発した武器としては、以下のものが有名です。
- 投石機:放物線の軌道を熟知し、250kgの石を200mまで正確に飛ばすことができた。
- アルキメデスの鉤爪:てこの原理を利用し、相手の船を持ち上げた。
- 照射鏡:放物線状の大きな鏡を使用し、相手の船に焦点を合わせることで船に火をつけた。
若い頃からアルキメデス・スクリューと呼ばれる採水器を作っていたこともあり、彼は数学や物理学の応用に長けていました。
数学中にローマ兵に殺された
紀元前212年、アルキメデスの武器により善戦していたシラクサでしたが、圧倒的な兵力のローマ軍がついにシラクサに侵入しました。
ローマ軍の侵入時、アルキメデスは自宅の前の地面に図形を描いて研究していました。
アルキメデスに接触したローマ兵が、その図形を踏んだことに対してアルキメデスは激怒。
私の図形を踏むな!
アルキメデスの口調に怒ったローマ兵は、そのままアルキメデスを殺してしまうのでした。
アルキメデスは敵将に葬られた
ローマの将軍マルケルスはアルキメデスという賢者が殺されてしまったことを深く嘆きました。
マルケルスはアルキメデスを殺したローマ兵を殺害し、アルキメデスの墓を作って手厚く葬ったとされています。
まとめ
アルキメデスの功績のみならず、名言「エウレカ!」や戦争中の活躍、そして悲劇的な最期について解説してきました。
- 取り尽くし法を応用し、円周率や放物線の面積を求めた。
- 浮力の原理を思いついたときに「エウレカ!」(わかった!)と叫んだ。
- 数学や物理学を利用した武器を作り、ローマ軍を苦しめた。
- 自宅で数学をしているときにローマ兵によって殺された。
マルケルスに殺されたローマ兵、逆にかわいそう‥。
アルキメデスの頭の良さを知っていたマルケルスは、シラクサに攻め入るローマ兵に対し、アルキメデスは生かして連れてくるよう指示していたようだよ。
ローマ兵としては、戦争中に図形を描いているところで気づきたかったところ。
参考文献(本の紹介ページにリンクしています)
- 『カッツ 数学の歴史』,pp.119-134
- 『メルツバッハ&ボイヤー数学の歴史Ⅰー数学の萌芽から17世紀前期までー』,pp.119-135.
- 『数学の流れ30講(上)ー16世紀までー』,pp.82-89.
- 『数学の歴史物語』,pp.77-100.
- 『世界数学者事典』,pp.24-25.
- 『数学者図鑑』,pp.70-85.
- 『ギリシャ数学史』,pp.226-277.
- ポール・パーソンズ、ゲイル・ディクソン(2021)『図解教養事典 数学』,p.33,NEWTON PRESS
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