アリストテレスは、古代ギリシャの哲学者でありながら、彼の業績は数学の分野にも多大な影響を与えました。
特に、数学的推論における論理的思考の基礎を築いたと評価されている三段論法や、定義や公理などの現在も使われている数学用語の整理において、アリストテレスの貢献は無視できません。
この記事では、アリストテレスの数学への影響を掘り下げ、彼がいかにして数学の発展に貢献したかを解説します。
時代 | 紀元前384年~紀元前322年 |
場所 | ギリシャ |
アリストテレスの生涯
アリストテレス(Aristotle , 紀元前 384年〜紀元前322年)は紀元前4世紀の古代ギリシャの哲学者です。
アリストテレスの年譜
マケドニアのスタゲイラで生まれる
アカデメイアを去る
同年のプラトンの死をきっかけに、アカデメイアを離れることを決意した。
学園リュケイオンを設立する
アテネで自身の学校を設立し、政治学や倫理学など幅広い研究を行った。
ハルキスにて死亡。
母親の地元で最期を迎えた。
アリストテレスの活動場所
マケドニアのスタゲイラで生まれたアリストテレスは、17~18歳のときから、アテネのアカデメイアで過ごしました。
そこでの教員経験が買われ、マケドニアの首都ペラでアレクサンドロス大王の家庭教師を務めます。
その後、マケドニアが制圧したアテネで自身の学園リュケイオンを作り、この地で残りの人生を研究に捧げました。
死ぬ直前、アテネの反マケドニア情勢が強まり、母の地元であったハルキスを頼ってそこで死亡しています。
功績:三段論法を定義した
高名な哲学者であるアリストテレスですが、数学においては論理学の側面で大きな活躍をしました。
それが、今日の我々も使っている論理推論の基礎、三段論法です。
A⇒B、B⇒Cのとき、A⇒Cとなる
三段論法を数学的に表すと、以下のようになります。
$~A \overset{\text{ならば}}{\Longrightarrow} B~$かつ$~B \overset{\text{ならば}}{\Longrightarrow} C~$のとき、次が成り立つ。
A \overset{\text{ならば}}{\Longrightarrow} C
実際の例をいくつか見てみましょう。
(1) 実数$~m~,~n~,~a~$について、$~m=a~$かつ$~n=a~$のとき、$~m=n~$が成り立つ。
(2) 実数$~m~,~n~,~a~$について、$~m<a~$かつ$~a<n~$のとき、$~m<n~$が成り立つ。
(3) 集合$~A~,~B~$について、$~a \in A~$かつ$~A \subset B~$のとき、$~a \in B~$が成り立つ。
等式や不等式だけでなく、集合においても三段論法を利用することができます。
三段論法が使えるのは、数学だけに限りません。
(1) 冷蔵庫がセール品で売られていて、セール品は通常より安く買える。
→ゆえに、冷蔵庫は通常より安く買える。
(2) 車の運転には車の免許が必要で、A君は車を運転している。
→ゆえに、A君は車の免許を持っている。
このように、アリストテレスが確立した三段論法は、数学だけでなく科学的思考全般において重要な役割を果たしています。
この原理を通じて、条件が満たされれば必ず結論に到達するという確実性を数学的証明にもたらしました。
ソクラテスは死ぬことを証明した
アリストテレスが三段論法の例として、著書『分析論』で挙げた例はソクラテスが死ぬことの証明でした。
すべての人間は死ぬ。ソクラテスは人間である。
→ゆえに、ソクラテスは死ぬ。
この例は、一般的な前提から特定の個別の結論を導き出せることを示唆しています。
功績:数学用語を整理した
最初の数学者であるタレスが初めて証明を行ってから、約2世紀。
少しずつ曖昧になってきた証明に関する言葉を、アリストテレスは整理しました。
公理、公準、定義、定理の違い
アリストテレスは、公理や公準、定義、定理といった数学用語を明確に区別することによって、数学における証明の必要性を確固たるものにしました。
アリストテレスが言及した4つの言葉を簡単にまとめます。
公理:証明なしでも誰もが正しいと認めること。
公準:特定の分野の中で、要請される前提(誰もが正しいと認めるものに限る)。
定義:新たに与えられる言葉の意味を示したもの。
定理:定義や公理、公準や証明済みの定理から証明されること。
(実際は、証明された命題の中で重要度の高いものを定理と呼ぶ。)
それぞれの具体例を挙げます。
等しいものから等しいものを引けば、その残りは等しい。
公理はいわば「当たり前のこと」を指します。
証明しろと言われても難しいでしょう。
与えられた1点から他の点へ直線を引くこと。
「この分野の中ではこれを認めてくださいね」というお願いが公準。
上の例は、幾何学で要請されている公準です。
2つの辺が等しい三角形を二等辺三角形という。
「この用語はこういう意味ですよ」という説明が定義。
文末は「を○○という。」という表現が多いです。
二等辺三角形の底角は等しい。
「証明すればわかること」を指すのが命題で、その中で重要なものを定理といいます。
上の命題であれば、頂角から垂線を引き、合同な三角形から証明することができます。
アリストテレスまでのギリシャ数学をまとめたユークリッドの『原論』では、5つの公理と5つの公準から始まり、465個の命題の証明が行われています。
ちなみに登場させた定義は132個!
Photograph taken by Mark A. Wilson (Wilson44691, Department of Geology, The College of Wooster).[1], CC BY-SA 4.0, via Wikimedia Commons
エピソード:アレクサンドロス大王の家庭教師
アリストテレスはメナイクモス同様、アレクサンドロス大王の家庭教師でした。
ほぼ同時期、アリストテレスは首都ペラから離れた地にミエザの学園を作り、アレクサンドロス大王の後継者となるプトレマイオス1世なども育てています。
自分はその後、ユークリッド先生に習いました!
まとめ
数学ではとても重要な論理学。
その基礎を築いた哲学者アリストテレスの功績とエピソードについて解説してきました。
- 三段論法を定義し、仮定から結論を導く論理学の基礎を築いた。
- 定義や定理、公理や公準といった言葉を整理した。
- アレクサンドロス大王の家庭教師を務めた。
論理学はその後、紀元前3世紀のクリュシッポス(Chrysippus, 紀元前280年頃~紀元前207年頃)によって、発展したよ。「対偶」も彼が言及しています。
死なないならば、ソクラテスではない
参考文献(本の紹介ページにリンクしています)
- 『カッツ 数学の歴史』,pp.64-67.
- 『メルツバッハ&ボイヤー数学の歴史Ⅰー数学の萌芽から17世紀前期までー』,pp.96-98.
- 『数学の歴史物語』, pp.20-21.
- 『世界数学者事典』,pp.562-563.
- 『ギリシャ数学史』,pp.157-163.
- 『学習まんが 世界の歴史②』, pp.128-169
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