ディオファントス〜生涯と功績を解説!ディオファントス方程式ってどんな方程式?【数学史8−6】

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ディオファントス アイキャッチ

 「代数学の父」とも称されるローマ時代の数学者ディオファントス

 彼の功績は、代数学の発展に不可欠なものでした。

 この記事では、ディオファントスの生涯と功績、ディオファントス方程式、ディオファントスの墓について、数学史ライターで現役教員のFukusukeが中学生・高校生レベルで解説

 この記事では、ディオファントスの生涯から、彼が数学界に残した功績について、分かりやすく解説します。

 ディオファントスがいなかったら、代数学の発展はもっと遅れていたことでしょう。

この記事で主に扱っている時代と場所
時代3世紀頃
場所古代ローマ帝国(エジプト属州アレクサンドリア)
この記事を読んでわかること

ディオファントスの生涯

 ディオファントス(Diophantus、3世紀頃)の生涯については、残念ながら詳細な記録がほとんど残っていません。

ディオファントス
ディオファントス
(出典:See page for author, Public domain, via Wikimedia Commons)

 しかし、彼の著作『算術』の献辞や、後世の数学者による言及から、3世紀頃に生きた数学者と考えられます。

 彼の名前を今日に伝える最も有名なエピソードは、「ディオファントスの墓」に刻まれたとされる問題です。

ディオファントスの年譜

 ディオファントスの正確な生没年は不明ですが、一般的には以下のように推測されています。

年代出来事補足
200年頃~214年頃アレクサンドリアで生まれる正確な生年は不明。墓碑銘から逆算した没年から推測される。
246年頃~284年頃『算術』を執筆全13巻のうち6巻が現存している。
284年頃~298年頃アレクサンドリアで没するディオファントスの墓」の問題から、84歳で亡くなったとされる。
ディオファントスの年譜

ディオファントスの活動場所

 ディオファントスが生涯を通じて活動した主な場所は、エジプトのアレクサンドリアであったと考えられています。

 アレクサンドリアは、ヘレニズム時代からローマ帝国時代にかけて、学術の中心地として栄え、多くの学者や知識人が集まる国際都市でした。

 特に、アレクサンドリア図書館やムセイオンは、古代世界の知の宝庫として名高く、ディオファントスもこのような学術的な環境の中で研究に励んだと推測されます。

 彼の著作『算術』も、このアレクサンドリアで執筆されたと考えられています

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