「代数学の父」とも称されるローマ時代の数学者ディオファントス。
彼の功績は、代数学の発展に不可欠なものでした。
この記事では、ディオファントスの生涯と功績、ディオファントス方程式、ディオファントスの墓について、数学史ライターで現役教員のFukusukeが中学生・高校生レベルで解説!
この記事では、ディオファントスの生涯から、彼が数学界に残した功績について、分かりやすく解説します。
ディオファントスがいなかったら、代数学の発展はもっと遅れていたことでしょう。
時代 | 3世紀頃 |
場所 | 古代ローマ帝国(エジプト属州アレクサンドリア) |
ディオファントスの生涯
ディオファントス(Diophantus、3世紀頃)の生涯については、残念ながら詳細な記録がほとんど残っていません。

(出典:See page for author, Public domain, via Wikimedia Commons)
しかし、彼の著作『算術』の献辞や、後世の数学者による言及から、3世紀頃に生きた数学者と考えられます。
彼の名前を今日に伝える最も有名なエピソードは、「ディオファントスの墓」に刻まれたとされる問題です。
ディオファントスの年譜
ディオファントスの正確な生没年は不明ですが、一般的には以下のように推測されています。
年代 | 出来事 | 補足 |
200年頃~214年頃 | アレクサンドリアで生まれる | 正確な生年は不明。墓碑銘から逆算した没年から推測される。 |
246年頃~284年頃 | 『算術』を執筆 | 全13巻のうち6巻が現存している。 |
284年頃~298年頃 | アレクサンドリアで没する | 「ディオファントスの墓」の問題から、84歳で亡くなったとされる。 |
ディオファントスの活動場所
ディオファントスが生涯を通じて活動した主な場所は、エジプトのアレクサンドリアであったと考えられています。
アレクサンドリアは、ヘレニズム時代からローマ帝国時代にかけて、学術の中心地として栄え、多くの学者や知識人が集まる国際都市でした。
特に、アレクサンドリア図書館やムセイオンは、古代世界の知の宝庫として名高く、ディオファントスもこのような学術的な環境の中で研究に励んだと推測されます。
彼の著作『算術』も、このアレクサンドリアで執筆されたと考えられています。
ディオファントスの功績:『算術』で代数学を広めた
ディオファントスの名を不滅のものとしたのは、彼の主著『算術』(Arithmetica)です。
この著作は、単なる計算問題集ではなく、記号を用いた代数的な手法によって方程式の解法を探求した画期的なものでした。
『算術』は、後のアラビア数学やヨーロッパの数学に大きな影響を与え、フェルマーの最終定理を生むきっかけともなりました。
計算に記号を導入した
ギリシャ数学では、数は幾何学的な線分の長さとして表現されることが多く、代数的な問題も言葉で記述されていました。
1世紀頃のヘロンにより、その風潮が少しずつ変わってきます。
3世紀に活躍したディオファントスは主著『算術』の中で、未知数やそのべき乗、減算、等号などを表す記号を導入。
例えば、未知数を「Ϛ」(語尾につくシグマに似た記号)、未知数の2乗を「$~\Delta^{\Upsilon}~$」(デュナミス、力の意)、未知数の3乗を「$~\Kappa^{\Upsilon}~$」(キュボス、立体の意)といった形で表現しました。
これらの記号の導入は、問題を簡潔に記述し、より複雑な計算を可能にする上で非常に重要な一歩であり、代数学の発展に大きく貢献しました。
現在の記号 | 『算術』 の記号 | 由来や意味 |
Ϛ | 「数」を意味する「Arithmos」の最後の文字から。 | |
$~x^2~$ | $~\Delta^{\Upsilon}~$ | 「dynamis(力)」の最初の2文字の大文字。 |
$~x^3~$ | $~\Kappa^{\Upsilon}~$ | 「cube(立方体)」の語源「kybos」の最初の2文字の大文字。 |
$~x^4~$ | $~\Delta^{\Upsilon}\Delta~$ | 平方の平方。 |
$~x^5~$ | $~\Delta~\Kappa^{\Upsilon}~$ | 平方の立方。 |
$~x^6~$ | $~\Kappa^{\Upsilon} \Kappa~$ | 立方の立方。 |
なし | $~\r{M}~$ | 上記の未知数と区別するために、定数項の前につける。 「$~\mu \omicron \upsilon \alpha \text{ς}~$(1単位)」の頭文字の大文字に由来する。 |
$~\displaystyle \frac{1}{(数)}~$ | $~(数)^\chi~$ | 単位分数を表す。$~\chi~$か ×(バツ) か$~\Kappa~$かさまざまな説がある。 |
$~-~$(ひく) | ![]() | 「$~/lambda \epsilon \iota \phi \iota \delta~$(ない)」の$~\lambda~$と$~\iota~$をくっつけた。 |
$~=~$ | $~\iota^{\sigma}~$ | 「$~\iota \sigma \omicron \text{ς}~$(相等しい)」の最初の2文字。 |
実際にいくつかの例を示します。
数字はギリシャ数字を使っていました。
x^3 + 5x^2 + 23x + 5
↓
\Kappa^{\Upsilon} \alpha~~~~ \Delta^{\Upsilon} \epsilon ~~~~ \text{ς}{\kappa\gamma} ~~~~\r{M}\epsilon
数字よりも記号が先。
また、実際に書かれるときには、次のように項ごとの空白はなかったため、非常に見づらい式となっていました。
\Kappa^{\Upsilon} \alpha \Delta^{\Upsilon} \epsilon \text{ς}{\kappa\gamma}\r{M}\epsilon
7x^6 - 54x^5 + 302x^4 - 548 = 9
↓
$~\Kappa^Y \Kappa\zeta~~~~ \Delta^{\Upsilon} \Delta \tau \beta~$$~\Delta \Kappa^{\Upsilon} \nu \delta \r{M} \phi \mu \eta ~~~~\iota^{\sigma} ~~~~\r{M} \theta~$
正の項と負の項を分け、負の項のはじめにひき算記号「」をつけます。
すなわち、
7x^6 + 302x^4 -(54x^5 + 548) = 9
という考え方を使っています。
\frac{x}{5x+2} = \frac{1}{x}
↓
\text{ς} \alpha~~~~ \mu \omicron \rho \iota \omicron \nu ~~~~ \text{ς} \epsilon~~~~\r{M}\beta ~~~~~ \iota^\sigma ~~~~~\text{ς}^\chi
単位分数でないときには、「$~\mu \omicron \rho \iota \omicron \nu~$(分割する)」という言葉をそのまま式の中に使いました。
単位分数でない分数は使う頻度が少なかったようで、ディオファントスはよく利用する言葉を記号化したのでした。
ディオファントス方程式を研究した
ディオファントスが『算術』で扱った問題の多くは、整数解や有理数解を求める不定方程式(解が一つに定まらない方程式)に関するものであり、今日ではこれらを総称してディオファントス方程式と呼んでいます。
ディオファントスは以下のような問題を解いています。
与えられた平方数を2つの平方数に分けなさい。
与えられた平方数を$~z^2~$、分けられた2つの平方数を$~x^2~,~y^2~$とすると、
z^2=x^2+y^2
となり、ピタゴラス数を求める方法についての問題であることがわかります。
ディオファントスは与えられた平方数を$~16~$と仮定した場合の解法を次のように示しました。
$~16~$を$~x^2~$と$~16-x^2~$ に分ける。
$~16-x^2~$ が平方数となればよいため、その平方根を$~2x-4~$と仮定すると、
16-x^2 = 4x^2 - 16x + 16
が成り立つため、これを解いて、$x = \displaystyle \frac{16}{5}$。
よって、求めたい平方数は
\begin{align*} x^2&=\left(\frac{16}{5} \right)^2=\frac{256}{25} \\ \\ 16-x^2&=16-\frac{256}{25}=\frac{144}{25} \end{align*}
と求められた。
実はこの問題、解は無数にあります。
その原因は、$~16-x^2~$の平方根を$~2x-4~$と置いているところにあり、これを別の式に置き換えれば別の解が出てきます。
- $~16-x^2~$の平方根を$~4x-4~$とすれば、$~16=\displaystyle \frac{1024}{289}+\frac{3600}{289}~$
- $~16-x^2~$の平方根を$~7x-4~$とすれば、$~16=\displaystyle \frac{784}{625}+\frac{9216}{625}~$
ディオファントスは、方程式の解を全て求めることや、解の存在範囲を明らかにするのではなく、一つの具体的な有理数解を見つけることに主眼を置いていました。
また、解が正の有理数である場合に特に注目し、負の数や無理数の解は考慮しませんでした。
『算術』には、一次方程式から高次の方程式まで、様々な種類のディオファントス方程式とその巧みな解法が数多く収録されており、1つの解を確実に求めるという点において、彼の問題解決能力の高さを示しています。
ディオファントスのエピソード∶お墓の問題が有名
ディオファントスの生涯で最もよく知られているのは、「ディオファントスの墓」に刻まれたとされる問題です。

これは、彼の年齢を問う代数の文章題として、後世に伝えられています。
その内容は以下の通りです。
ディオファントスは一生の$~\displaystyle \frac{1}{6}~$を少年として、さらに一生の$~\displaystyle \frac{1}{12}~$を青年として過ごした。その後一生の$~\displaystyle \frac{1}{7}~$を過ぎて結婚し、$~5~$年後に息子ができた。その子は父の半分しか生きられず、ディオファントスより$~4~$年早く亡くなった。
ディオファントスは何歳のときに亡くなったか求めなさい。
この問題を解くと、ディオファントスの享年が84歳であったことが分かります。
この墓碑銘が実際に存在したかどうかは定かではありませんが、彼の数学的な業績を象徴する逸話として、今日まで語り継がれています。
この問題自体が一次方程式の良い例題となっており、彼の数学への貢献を偲ばせます。
ディオファントスのエピソード∶フェルマーの最終定理の誕生に貢献した
ディオファントスの著作『算術』は、17世紀の数学者ピエール・ド・フェルマーに大きなインスピレーションを与え、数学史上最も有名な難問の一つであった「フェルマーの最終定理」が生まれるきっかけとなりました。

(出典:See page for author, Public domain, via Wikimedia Commons)
フェルマーは、『算術』のラテン語翻訳版を熟読し、その余白に有名な書き込みを残しました。
それは、『算術』第2巻第8問の$~z^2=x^2+y^2~$の問題に関連して、
「立方数を2つの立方数の和に分けること、あるいは4乗数を2つの4乗数の和に分けること、および一般に、2乗よりも大きいべきの数を同じべきの2つの数に分けることは不可能である。私はこの定理の真に驚くべき証明を発見したが、この余白はそれを記すには狭すぎる」
というものでした。
この記述が、$~n \geqq 3~$ のとき$~x^n+y^n=z^n~$を満たす自然数の組$~(x,y,z)~$は存在しないという有名なフェルマーの最終定理です。
ディオファントスの研究がなければ生まれなかったかもしれないこの難問は、3世紀以上もの時を経て数学者の情熱の対象となりました。
まとめ
ディオファントスの業績は、その後の数学の歴史に計り知れない影響を与えました。特に彼の方程式に関する研究は、数論という分野の発展を促し、現代数学においても重要な位置を占めています。
- ディオファントスは3世紀頃にエジプトのアレクサンドリアで活躍した数学者で、「代数学の父」と称される。
- 主著『算術』において、未知数やべき乗を表す記号を導入し、代数学の発展に大きく貢献した。
- 『算術』では、整数解や有理数解を求める不定方程式、いわゆるディオファントス方程式を数多く研究した。
- 彼は全て解を求めることよりも、具体的な一つの有理数解を見つけることに注力した。
- 彼の墓碑銘に刻まれたとされる年齢を問う問題は、彼の名を今日に伝える有名なエピソードである。

「代数学の父」と呼ばれた理由が分かりました。



それまで言葉で記述されていた用語を記号で表したことによって、代数学は大きく発展したんだね。
参考文献
- 『カッツ 数学の歴史』,pp.197-203.
- 『メルツバッハ&ボイヤー 数学の歴史Ⅰー数学の萌芽から17世紀前期までー』,pp.178-180.
- 『数学の流れ30講(上)ー16世紀までー』,pp.96-101.
- 『世界数学者事典』,pp.292-293
- 『図解教養事典 数学』, pp.42-43.
- 『高校数学史演習』,pp.60-65.
- 『ギリシャ数学史』,pp.386-410.
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