【数学史6-4】ピタゴラス~生涯と功績を解説!ピタゴラス教団の影響力とは?

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 三平方の定理で有名な古代ギリシャの数学者・ピタゴラス。

  • 三平方の定理を初めて証明した。(発見したのはバビロニア人)
  • 「万物は数なり」と主張し、音楽や天文学を数学とつなげた。

などで有名であり、「ピタゴラス数」や「ピタゴラス音階」といった彼の名を冠する言葉もいろいろと存在しています。

 この記事では、ピタゴラスの数学の功績だけでなく、人生年表や活動場所、有名なエピソードを解説。

 実は、ピタゴラスは数学教団の教祖様だったんです!

この記事で主に扱っている時代と場所
時代紀元前569年頃~紀元前500年頃
場所ギリシャ
この記事を読んでわかること

ピタゴラスの生涯

 ピタゴラス(Pythagoras , B.C.569頃~B.C.500頃)は、古代ギリシャの数学者であり、タレスに次いで2番目に古い数学者です。

<図1> ピタゴラス
(出典:The original uploader was Galilea at German Wikipedia., Public domain, via Wikimedia Commons)

ピタゴラスの年譜

 タレスやピタゴラスが生きていた時代の歴史は、紀元前4世紀頃まで口頭で後世へと伝わったため、細かな情報までは残っていません。

 そのため、ピタゴラスの一生を表した年表は、以下のようにざっくりとしたものになります。

ピタゴラスの年譜
B.C.569年頃

イオニア地方のサモス島で生まれる

 父はムネサルコス、母はピュタイスという名で、商人の家庭に生まれる。2人の兄がいた。

若い頃

エジプトやバビロニアを旅行する

 タレスの助言により留学。特にバビロニアから様々なことを学ぶ。

B.C.539頃

サモス島で講義をして暮らす

 最初は全く学生が集まらなかった。

B.C.529頃

クロトンに引っ越し、教団を創設する

 「ピタゴラス教団」と呼ばれ、厳しい戒律の下で共同生活を送った。

B.C.500頃

 暴徒に襲われて死亡

 協会の建物内で焼死した、豆畑の前で殺された、メタボンティオンという町まで逃げてから寿命で亡くなった等、いろいろな説が存在する。

ピタゴラスの活動場所

 ピタゴラスは幼い頃から算数と音楽の才能を見せ、サモス島の南東約50kmのミレトスに住むタレスから教えを受けました。

 タレスの助言を受け、ピタゴラスは若い頃にエジプトバビロニアへ留学しています。(ちなみに、タレスも若い頃にエジプトとバビロニアを旅しています)

 留学を終えて故郷のサモス島に戻り、講義をして暮らしていたものの、大した活躍ができませんでした。

 そこで、故郷を捨てる決心をし、イタリアのシシリー(シチリア島)やターレントゥム(ターラント)を転々とし、最終的にはクロトネに落ち着きました。

 クロトネでピタゴラス教団を創設し、数の研究を続けたものの、教団の影響力を恐れて暴徒化した市民に焼き殺されてしまいました。

 ピタゴラスの死については様々な説があり、暴徒に襲われた際にメタポンティオンまで逃げてそこで死亡したという説も有力です。

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