中世インドの数学のまとめ〜4人の数学者の功績をざっくり解説!【数学史9まとめ】

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 「0(ゼロ)の発見」や「位取り記数法」など、現代数学の根幹をなす概念を生み出したインド。

 特に、古代末期から中世にかけてのインド数学は、天文学や宗教と密接に結びつきながら、独自の目覚ましい発展を遂げました

 この記事では、グプタ朝の黄金時代から、イスラーム勢力の台頭、そして南インドの交易都市で花開いたケーララ学派まで、約1500年にわたる中世インドの数学史を、世界史の流れに沿って概観します。

この記事を書いた人

Fukusuke(ふくすけ)
数学史の先生

  1. 現役の中学・高校数学教員
  2. 著書2冊重刷、ブログ累計200万PV達成
  3. ブログでは、式変形をとにかくていねいに記述
この記事を書いた人

Fukusuke(ふくすけ)
数学史の先生

  • 現役の中学・高校数学教員
  • 著書2冊重刷、ブログ累計200万PV達成
  • ブログでは、式変形をとにかくていねいに記述
  • 作図や文章校正、Texの打ち込みは文系妻が担当

この記事を読んでわかること

中世インドの数学史年表

まずは、中世インドの数学がどのような歴史的背景のもとで発展したのか、世界史の出来事と合わせて見ていきましょう。

年代出来事
320頃グプタ朝が北インドを統一
→政治的安定のもとで学問が奨励された。特に、天文学や暦の計算、宗教儀式(祭壇の設計など)のために高度な数学が求められた。
476頃アーリヤバタ誕生
499アーリヤバタが『アールヤバティーヤ』を著す。
550頃アーリヤバタ死去
598ブラーマグプタ誕生
606ヴァルダナ朝が北インドを統一
→仏教系学問所で幅広く学問が研究された。学習内容はグプタ朝時代の成果を継承している。
628ブラーマグプタが『ブラーフマスプタシッダーンタ』を著す。
$~0~$が数字として認識されるようになる。
665ブラーマグプタが『カンダ・カーディヤカ』を著す。
668頃ブラーマグプタ死去
7世紀以降ヴァルダナ朝崩壊後、インドは地方王朝が分立する分裂時代となった。(〜13世紀)
→7世紀以降の北インドは、社会的混乱とイスラームの侵攻により、著名な数学者が輩出されなかった
711年イスラームのウマイヤ朝軍がインダス川下流域に侵攻する
→その後もイスラームがこの地を支配したことで、インドの書物がイスラームに流入するようになった。
10世紀後半イスラームのガズナ朝が北インドへ軍事遠征する
1114バースカラ誕生
1150バースカラが『リーラーヴァティー』などを著す。
1185バースカラ死去
1206イスラームのゴール朝により、インドに奴隷王朝を樹立。
→これ以降、北インドはデリーを中心にイスラームの支配下に。
1340頃マーダヴァ誕生
14世紀後半マーダヴァがケーララ学派を創設する
1400頃マーダヴァが無限級数を使って円周率を計算する
1425頃マーダヴァ死去
17世紀ムガル朝により、インド全土にイスラームの支配が広がる

 中世インド前期は北部を中心に数学が発展し、アーリヤバタやブラーマグプタといった数学者たちを輩出しました。

 しかし、7世紀以降はインド内部の混乱やイスラームの侵入により、北インドは学問が大きく発展できず、南インドでバースカラやマーダヴァといった数学者たちが台頭しました。

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