唯一絶対の神「アッラー」を信仰するイスラム教。
7世紀のアラビア半島で預言者ムハンマドが神の啓示を受けたことで始まってから、その影響力は瞬く間に周辺地域へと広がっていき、広大なイスラーム世界を完成させました。
支配下においた地域の中にはアレクサンドリアやインドも含まれ、ギリシャやインドで発展した数学は、中世のイスラーム世界で受け継がれることになったのです。
この記事では、バグダードの「知恵の館」を中心に独自の発展を遂げた中世イスラームの数学を、数学史の先生であるFukusukeが世界史の流れとともにざっくり解説。
この記事を読むことで、イスラーム帝国の繁栄から、フワーリズミーをはじめとする数学者たちの功績、そしてその知識がヨーロッパへと伝わっていく歴史の流れが大まかにわかります。
ヨーロッパが暗黒時代に突入していたこの時代、数学の発展を支えたのは中世イスラームだったのです!
中世イスラームの数学史年表
| 年代 | 主な出来事 |
| 570年頃 | ムハンマド誕生 |
| 622年 | ヒジュラ(イスラーム暦元年) |
| 750年 | アッバース朝成立、バグダードが首都となる → 政治的安定により学問研究が活発化 |
| 780年頃 | アル・フワーリズミー誕生 |
| 820年頃 | フワーリズミー『代数学の書』を著す(代数学の確立) |
| 826年頃 | サービト・イブン・クッラ誕生 |
| 830年頃 | バグダードに知恵の館設立 → ギリシャ・インド・ペルシャの数学文献が組織的に翻訳される |
| 830年頃 | フワーリズミー『インド人たちの数について』を著す(インド数字の普及) |
| 850年頃 | アブー・カーミル誕生 |
| 870年頃 | サービト・イブン・クッラがアポロニウスの『円錐曲線論』を翻訳 |
| 900年頃 | アブー・カーミルが無理数を含む代数方程式を研究 |
| 940年 | アブール・ワファ誕生 |
| 965年 | アルハゼン誕生 |
| 973年 | アル・ビールーニー誕生 |
| 990年頃 | アブール・ワファが正弦定理を球面三角法に導入 |
| 1020年頃 | アルハゼン『光学の書』を記す。 |
| 1030年頃 | ビールーニーが『インド誌』を記す。 |
| 1048年 | ウマル・ハイヤーム誕生 |
| 1070年頃 | ウマル・ハイヤームが3次方程式の幾何学的解法を完成 |
| 1085年 | トレドがキリスト教徒により陥落(レコンキスタ) → トレド翻訳学校でアラビア数学がラテン語に翻訳開始 |
| 1096年 | 第1回十字軍開始 → イスラーム世界とヨーロッパの文化交流が活発化 |
| 1120年頃 | フワーリズミーの著作がラテン語に翻訳され、ヨーロッパに代数学が伝来 |
| 1201年 | ナスィールッディーン・トゥースィー誕生 |
| 1258年 | モンゴル軍によりバグダード陥落、アッバース朝滅亡 → バグダードの数学研究の中心的役割が終焉 |
| 1259年頃 | トゥースィーが『四辺形の書』を執筆する |
| 1492年 | レコンキスタ完了 → イスラーム数学のヨーロッパ伝播が完了、ルネサンス数学の準備が整う |
中世イスラームの歴史と数学史
イスラーム帝国の拡大と知恵の館の設立
7世紀にアラビア半島で誕生したイスラーム教は、瞬く間に勢力を拡大し、8世紀半ばにはイベリア半島から中央アジアに至る広大なイスラーム帝国を築き上げました。
特に750年に成立したアッバース朝の時代、首都バグダードは世界の文化と学問の中心地として繁栄します。
この繁栄を象徴するのが、9世紀初頭のカリフ、アル=マアムーンによって設立された研究機関「知恵の館(バイト・アル=ヒクマ)」です。ここでは、ギリシャ、インド、ペルシャなど、世界中から集められた文献が組織的にアラビア語へ翻訳されました。
ユークリッドの『原論』や、インドの数学者ブラーマグプタの著作も翻訳され、イスラーム世界の数学者たちは、これらの先進的な知識を吸収し、自らの研究の土台としました。
まさに「知恵の館」は、古代の知とイスラーム独自の学問が出会う、巨大な知識の交差点だったのです。

(出典:Kaiser&Augstus&Imperator, CC BY-SA 4.0, via Wikimedia Commons)
十字軍とレコンキスタ:知識のヨーロッパ伝播
イスラーム世界で花開いた数学の知識は、どのようにしてヨーロッパへ伝わったのでしょうか。
そのきっかけとなったのが、11世紀末から始まった十字軍と、イベリア半島で行われたレコンキスタ(国土回復運動)でした。
これらの出来事を通じて、キリスト教徒のヨーロッパ世界は、進んだイスラーム文化と直接触れることになります。

(出典:Domie at nl.wikipedia, CC BY-SA 3.0, via Wikimedia Commons)
特に、1085年にキリスト教徒が征服したスペインの都市トレドは、知識の伝播において重要な役割を果たしました。
トレドには「翻訳学校」と呼ばれる学者の共同体ができ、アラビア語で書かれた膨大な文献がラテン語へと翻訳されました。
この中には、フワーリズミーが著した代数学やインド数学に関する書物も含まれていました。
こうして、現代数学に不可欠な「0(ゼロ)」の概念や、方程式を解くための「代数学」がヨーロッパにもたらされ、後の科学革命へとつながる道を切り拓いたのです。
しかし、ヨーロッパがその知識を吸収し発展を遂げていく一方で、イスラーム世界は次第にその輝きを失っていきます。
13世紀のモンゴル帝国の侵攻、特に1258年のバグダード破壊は学術活動に壊滅的な打撃を与えました。

(出典:Sayf al-vâhidî et al., Public domain, via Wikimedia Commons)
さらに政治的分裂や経済の停滞、学問における保守化が重なり、15世紀頃には、かつて世界をリードしたイスラームの数学は停滞期に入り、数学史の表舞台から静かにその姿を消していくことになったのです。
中世イスラームの数学者たち
イスラーム世界では、古代の知識を継承するだけでなく、それをさらに発展させた偉大な数学者たちが次々と現れました。
アル・フワーリズミー(780年頃~850年頃)
アル・フワーリズミーは、中世イスラームを代表する数学者として知られています。

(出典:See page for author, Public domain, via Wikimedia Commons)
彼の著書『アル=ジャブル・ワル=ムカーバラ(移項と簡約の書)』は、初めて二次方程式の解法を体系的にまとめた画期的なものでした。
「代数学(Algebra)」という言葉は、この本のタイトル「アル=ジャブル」に由来します。
\begin{align*}
2x+4&= 5-3x \\
&\huge\downarrow\text{\large{al-jabr}\small{(アル=ジャブル)}} \\
2x+4+3x&=5-3x+3x \\
\end{align*}また、もう一冊の有名な著作が『インド人たちの数について』で、インドから伝わった位取り記数法(現在のアラビア数字)をアラビア語圏、さらにはヨーロッパへと伝える書となりました。

サービト・イブン・クッラ(826年頃~901年頃)
サービト・イブン・クッラは、数学者であると共に優れた翻訳家でもありました。

(出典:https://mathshistory.st-andrews.ac.uk/Biographies/Thabit/)
アポロニウスやアルキメデスによって、紀元前に書かれた高度な数学書をアラビア語に翻訳し、イスラーム世界に紹介しました。
フワーリズミーの二次方程式の研究をさらに深めたり、次のような「友愛数」を求める公式を発見したりと、独自の貢献も残しています。
$~n~$ を $~2~$以上の自然数とする。
\begin{align*}
p &= 3 \times 2^{n-1} - 1 \\
q &= 3 \times 2^n - 1 \\
r &= 9 \times 2^{2n-1} - 1
\end{align*}に対して、 $~p, q, r~$ がすべて素数であるならば、 $~2^n pq~$ と $~2^n r~$ は友愛数になる。

アブー・カーミル(850年頃~930年)
アブー・カーミルは、無理数の代数的な計算を導入した数学者です。

(AIによるイメージ)
無理数はそれまで幾何学的な長さとして扱われ、計算の対象としては扱いにくいものでした。
その制約を打ち破り、カーミルは現在と変わらない$~\sqrt{~}~$の計算規則を確立させたのです。
- $~\sqrt{a}\cdot\sqrt{b} = \sqrt{a b} ~$
$~\displaystyle \sqrt{\frac{a}{b}} = \frac{\sqrt{a}}{\sqrt{b}}~$ - $~\sqrt{a+\sqrt{b}} = \sqrt{a}+b+2\sqrt{ab}~$
$~\sqrt{a-\sqrt{b}} = \sqrt{a}-b-2\sqrt{ab}~$
当時の彼の活動地域から、「エジプトの計算家」という異名で知られていました。

アブール・ワファ(940年~998年)
アブール・ワファは、三角法を飛躍的に発展させた偉大な数学者です。

(出典:See page for author, Public domain, via Wikimedia Commons)
彼の功績は、6種類の三角関数の関係性を明らかにしたり、三角関数を単位円で考えたりという、現代の三角関数の基礎を築いた点にあります。
\begin{align*}
\tan{A}&=\frac{\sin{A}}{\cos{A}} \\
\\
\cot{A}&=\frac{\cos{A}}{\sin{A}}=\frac{1}{\tan{A}} \\
\end{align*}鈍角や180°以上の角も自然に扱えるようになり、球面三角法の発展にもつながりました。

アルハゼン(965年~1040年)
アルハゼンはイブン・ハイサムとも知られ、「光学の父」と呼ばれる数学者・物理学者です。

(出典:unknown, probably Muhammad Atiyya Al-Ibrashi (1897 –1981)., Public domain, via Wikimedia Commons)
光の反射に関する「アルハゼンの問題」が最も有名ですが、数学上の功績としては、光学の研究の過程で発見した「アルハゼンの定理」が最も有名です。
図において、$~\angle APB~$の大きさは、$~\overset{\frown}{AB}~$と$~\overset{\frown}{CD}~$に対する円周角の和に等しい。


アル・ビールーニー(973年~1048年)
アル・ビールーニーは、「万能の天才」と呼ばれる学者です。

(出典:The original uploader was Romanm at Slovenian Wikipedia.,
Public domain, via Wikimedia Commons)
彼の功績の核心は、三角法を人々の生活や世界の謎を解き明かすための強力なツールとして活用した点にあります。
その中でもイスラームらしいのが、聖地メッカへの方角を正確に求めるために球面三角法を使ったことです。
ある地点$P$(北緯$~\phi_1~$、東経$~\phi_2~$)から、メッカ(北緯$~\mu_1~$、東経$~\mu_2~$)への方位角(北を$~0°~$として時計まわりの角)は、次の式で求められる。
\tan \theta = \frac{\sin(\phi_2- \mu_2)}{\cos \phi_1 \tan \mu_1 - \sin \phi_1 \cos(\phi_2 - \mu_2)}
また、ビールーニーは『インド誌』を書き、インドの科学、宗教、文化を客観的かつ詳細に記録したことでも知られています。

ウマル・ハイヤーム(1048年頃~1131年頃)
ウマル・ハイヤームは、詩集『ルバイヤート』で知られる「ペルシャの詩人」として有名ですが、イスラーム数学史においてはフワーリズミーと並ぶ、極めて重要な人物です。

出典:(Alireza Javaheri, CC BY 3.0, via Wikimedia Commons)
彼の最大の功績は、三次方程式を初めて体系的に研究したことです。
当時はまだ負の数やゼロが係数として広く認知されていなかったため、彼は三次以下の方程式を25種類に分類し、それぞれについて幾何学的な解法を示しました。
$~p, q, r~$を正の実数とする。
3次方程式 $~x^3 + px^2 + qx = r~$ の解は、次の2つの図形の交点の$x$座標である。
\begin{cases}
\text{円}: y^2 = (x+p)\left(\displaystyle\frac{r}{q} - x\right) \\
\text{双曲線}: x(\sqrt{q}+y) = \displaystyle\frac{r}{\sqrt{q}}
\end{cases}
ただし、$x = \frac{r}{q}$は除く。
座標がない時代に円錐曲線が持つ幾何学的な性質を考え、25種類の方程式それぞれに上記のような解法を与えました。

ナスィールッディーン・トゥースィー(1201年~1274年)
ナスィールッディーン・トゥースィーは、モンゴル帝国の侵攻という激動の時代を生き抜いた数学者・天文学者です。

出典:(scan of stamp 30 May 2006, Public domain, via Wikimedia Commons)
トゥースィーはイスラーム世界の知見をヨーロッパに繋ぐ「橋渡し役」としても重要な役割を果たしました。
アブール・ワファの研究を継承し、天文学から独立させた三角関数についてのトゥースィーの理論は、15世紀のドイツの数学者・天文学者であるレギオモンタヌスをはじめとするルネサンス期の数学者たちに大きな影響を与えました。
わかりやすいものとして、正弦定理を円から切り離して証明しています。
任意の$~\triangle ABC~$において、次の式が成り立つ。
\frac{a}{\sin{A}}=\frac{b}{\sin{B}}=\frac{c}{\sin{C}}
また、ウマル・ハイヤームの研究を継承し、平行線公準の証明に挑戦した彼の著作『ユークリッド原論の釈明』は、17世紀にラテン語に翻訳されてヨーロッパに伝わりました。

まとめ:周辺地域の数学を集め、発展させてヨーロッパに伝えた
この記事では、中世イスラームが周辺地域との関わりの中で、数学をどう発展させてきたかを解説しました。
- ヨーロッパが科学の暗黒時代を迎えた時期に、数学を発展させたのがイスラーム。
- 大きな勢力を誇り、ギリシャやインドの数学を知恵の館に集めることができた
- 数学の分野の中でも、代数学と三角法が大きく発展した。
- イスラームの勢力はイベリア半島にまで及んだこともあり、その数学がヨーロッパへと伝わった
- モンゴル帝国のバグダード侵攻を転機に、イスラームにおける数学は衰退していった。

モンゴル帝国のバグダード侵攻時、知恵の館の研究者たちが、本を火から守るためにチグリス川に投げ込んだことで、川がインクで黒くなったという伝説があるよ。



どれほどの量の本が知恵の館にあったんだろうね‥
このブログの参考文献
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- 『カッツ 数学の歴史』
- 『メルツバッハ&ボイヤー数学の歴史(Ⅰ・Ⅱ)』
- 『数学の流れ30講(上・中・下)』
- 『数学の歴史物語』
- 『フィボナッチの兎』
- 『高校数学史演習』
- 『数学の世界史』
- 『数学の文化史』
- 『モノグラフ 数学史』
- 『数学史 数学5000年の歩み』
- 『数学物語』
- 『世界数学者事典』
- 『数学者図鑑』
- 『数学を切りひらいた人々(1~5)』
- 『天才なのに変態で愛しい数学者たちについて』
- 『素顔の数学者たち』
- 『数学スキャンダル』
- 『ギリシャ数学史』
- 『古代ギリシャの数理哲学への旅』
- 『ずかん 数字』
- 『πとeの話』
- 『代数学の歴史』
- 『幾何学の偉大なものがたり』
- 『アキレスと亀』
- 『ピタゴラスの定理100の証明法』
- 『ピタゴラスの定理』
- 『フェルマーの最終定理』
- 『哲学的な何か, あと数学とか』
- 『数と記号のふしぎ』
- 『身近な数学の記号たち』
- 『数学用語と記号ものがたり』
- 『納得する数学記号』
- 『図解教養事典 数学』
- 『イラストでサクッと理解 世界を変えた数学史図鑑』(拙著)
- 『教養としての数学史』(拙著)


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