16世紀のポルトガルで活躍したペドロ・ヌネシュは、航海学と代数学の両方に重要な足跡を残した数学者です。
とくに、球面上で経線と一定の角をなす等角航路(航程線)を理論化したことで知られ、のちのメルカトル図法へとつながる発想を準備しました。
また、1567年に刊行された『Libro de Algebra』では、イタリア式の記号法を用いながら、一次方程式・二次方程式・三次方程式にまで及ぶ代数的操作を整理しました。
この記事では、ペドロ・ヌネシュの生涯をたどったうえで、等角航路の意味と、代数学者としての仕事を、数学史の先生Fukusukeがわかりやすく解説します。
球面上の曲線をどう地図に表すかという問題は、航海術と数学が深く結びついたテーマでした。
ペドロ・ヌネシュの生涯
ペドロ・ヌネシュ(Pedro Nunes, 1502年〜1578年)は、16世紀ポルトガルを代表する数学者です。
宮廷の宇宙誌学者と大学教授を兼ねながら、航海学・地図学・代数学にまたがって仕事をしました。

(出典:作者不明Unknown author, Public domain, via Wikimedia Commons)
とくに、航海に必要な進路を球面幾何の問題として考えたことと、代数学書を残したことの二点が、ヌネシュを数学史上の重要人物にしています。
ヌネシュの年譜
生没年、主要官職、1537年と1567年の著作を軸に、ヌネシュの歩みをまとめました。
| 年代 | 出来事 | 補足 |
|---|---|---|
| 1502年 | ペドロ・ヌネシュが生まれる | 出身地はアルカセル・ド・サルという説がある。 |
| 年代不詳 | サラマンカ大学で学ぶ | 入学・卒業年は不明。 |
| 1529年 | 王国の宇宙誌学者に任命される | 1529年11月16日にポルトガル王国宇宙誌学者に任命されたとされる。 |
| 1537年 | 『球体論』を刊行する | 等角航路の問題を重要な形で扱った著作として位置づけられる。 |
| 1544年 | コインブラ大学に就く | 1544年10月16日に数学教授職に就いたとされる。 |
| 1547年 | 首席王室宇宙誌学者に昇進する | 宮廷での地位がさらに高まった。 |
| 1567年 | 『代数論』を刊行する | 一次方程式・二次方程式・三次方程式にまで及ぶ代数的操作を整理した |
| 1578年 | コインブラで死去する | 本年の8月11日という説もある |
ヌネシュの活動場所
ヌネシュの活動を地理的に見ると、出身地、学問の出発点、宮廷の中心地、晩年の大学都市がはっきり分かれています。
- アルカセル・ド・サル:ヌネシュの出身地とされる場所。
- サラマンカ:ヌネシュが学んだ大学所在地。彼の学問的出発点。
- リスボン:宮廷教育・航海教育・官職の舞台となった都市。宮廷と航海学の中心地として示す。
- コインブラ:数学講座をした地。また、彼が死去した地。
ヌネシュの功績①:球面上の等角航路(航程線)を考えた
ヌネシュの代表的業績として、もっとも広く取り上げられるのが等角航路です。
彼は航海に必要な進路を、球面上の幾何学の問題として理論化しました。
等角航路とは?
等角航路とは、次のような定義で与えられます。
出発地から目的地までの方位角(コンパスの示す角度)を常に一定に保って進むルートのことを等角航路(航程線)という。

球面上における方角は、少しでも場所を移動するたびにズレます。(真北と真南に移動するときを除く)
そのため、方位角を「北西」と決めたら、最初の位置における「北西」ではなく、移動するたびに方位磁針(羅針盤)を北西に合わせて進む航路こそが等角航路になります。

(1) 北に方位角を合わせた場合は、常に方位磁針が北を指すように航行するため、経線上を進む航路となります。(図の赤線)
(2) 北東に方位角を合わせた場合は、常に方位磁針が北東を指すように航行するため、経線に対して45°で常に交わる航路になります。(図の黄線)
(3) 西北西に方位角を合わせた場合は、常に方位磁針が西北西を指すように航行するため、経線に対して67.5°で常に交わる航路になります。(図の緑線)
等角航路は、目的地に向けて同じ方位(rhumb)で進むための航路であるから「ラム・ライン(rhumb line)」と呼ばれたり、すべての経線と同じ角度で交わるという意味から「ロクソドローム(loxodrome)」と呼ばれたりします。
球面上では極へ螺旋する
ヌネシュによる等角航路の重要な2つの特徴のうち、1つ目は極へ向かって螺旋状に近づくことです。
真北、真南、真東、真西以外の方位角をもつ等角航路は、螺旋状に曲がりながら極へと近づいていく。

航海を行う分にはいずれ目的地にたどりつきますが、もし大陸や島とぶつからずに航海を続けた場合は北極または南極にたどり着くことになります。
等角航路が螺旋を描きながら、極に近づく証明 地球を半径$~R~$の球とする。
緯度$~\phi~$$\left(-\dfrac{\pi}{2}<\phi<\dfrac{\pi}{2}\right)~$、経度$~\theta$ $(-\pi<\theta\leq\pi)~$とし、それぞれ北緯と東経を正とする。
このとき、球面上の微小な移動距離$~ds~$を考える。

$~ds~$は、微小な緯度の変化$~d\phi~$と微小な経度の変化$~d\theta~$によって求められる。
緯度方向の移動距離を$~R\,d\phi~$と表せるため、経度方向の移動距離は 半径$~R\cos\phi~$の円周上で、下の図のように$~R\cos\phi\,d\theta~$と与えられる。

これにより、$~ds~$を求めるための緯度方向と経度方向の微小な距離が表せた。

したがって、三平方の定理より、
\begin{align*}
ds^2 &= R^2 d\phi^2 + R^2\cos^2\phi\, d\theta^2 \\
ds &= R\sqrt{d\phi^2 + \cos^2\phi\, d\theta^2} \quad \cdots ①
\end{align*} ここで、$~0<\alpha<\dfrac{\pi}{2}~$とする、真北に対して$~\alpha~$だけ時計まわりにずれた角度の等角航路でも一般性は失われずに題意を示せる。
先の微小な変化において、$~\alpha~$を考える。

このとき、
\tan\alpha = \frac{R\cos\phi\, d\theta}{R\,d\phi}変形して、
d\theta = \frac{\tan\alpha}{\cos\phi}\, d\phi \quad \cdots \text{②}赤道を出発し、北極に向かうときの経度の総変化量を$~S_\theta~$とすると、
\begin{align*}
S_\theta &= \lim_{\varepsilon\to+0}\int_{0}^{\frac{\pi}{2}-\varepsilon} d\theta \\
&= \lim_{\varepsilon\to+0}\int_{0}^{\frac{\pi}{2}-\varepsilon} \frac{\tan\alpha}{\cos\phi}\, d\phi \\
&= \tan\alpha\cdot\lim_{\varepsilon\to+0}\int_{0}^{\frac{\pi}{2}-\varepsilon} \frac{\cos\phi}{\cos^2\phi}\, d\phi \\
&= \tan\alpha\cdot\lim_{\varepsilon\to+0}\int_{0}^{\frac{\pi}{2}-\varepsilon} \frac{\cos\phi}{1-\sin^2\phi}\, d\phi \\
&= \tan\alpha\cdot\lim_{\varepsilon\to+0}\int_{0}^{\frac{\pi}{2}-\varepsilon} \frac{\cos\phi}{(1+\sin\phi)(1-\sin\phi)}\, d\phi \\
&= \frac{\tan\alpha}{2}\cdot\lim_{\varepsilon\to+0}\int_{0}^{\frac{\pi}{2}-\varepsilon}\left(\frac{\cos\phi}{1+\sin\phi}+\frac{\cos\phi}{1-\sin\phi}\right)d\phi \\
&= \frac{\tan\alpha}{2}\cdot\lim_{\varepsilon\to+0}\left[\log|1+\sin\phi|-\log|1-\sin\phi|\right]_{0}^{\frac{\pi}{2}-\varepsilon} \\
&= \frac{\tan\alpha}{2}\cdot\lim_{\varepsilon\to+0}\left[\log\left(\frac{1+\sin\phi}{1-\sin\phi}\right)\right]_{0}^{\frac{\pi}{2}-\varepsilon} \\
&= \frac{\tan\alpha}{2}\lim_{\varepsilon\to+0}\log\frac{1+\sin\!\left(\dfrac{\pi}{2}-\varepsilon\right)}{1-\sin\!\left(\dfrac{\pi}{2}-\varepsilon\right)} \\
&= \frac{\tan\alpha}{2}\cdot\infty \\ &= \infty
\end{align*} となるため、北極に限りなく近づくと、経度が正の無限大に発散する。
すなわち、螺旋を描きながら、極のまわりを回る。$~\cdots ③~$

また、このときの総移動距離$~S~$は、$~①~$に$~②~$を代入して、
\begin{align*}
ds &= R\sqrt{d\phi^2+\cos^2\phi\cdot\left(\frac{\tan\alpha}{\cos\phi}\right)^2 d\phi^2} \\
&= R\sqrt{1+\tan^2\alpha}\, d\phi \\ &= \frac{R}{\cos\alpha}\, d\phi
\end{align*}であることから、
\begin{align*} S &= \lim_{\varepsilon\to+0}\int_{0}^{\frac{\pi}{2}-\varepsilon} \frac{R}{\cos\alpha}\, d\phi \\ &= \frac{R}{\cos\alpha}\lim_{\varepsilon\to+0}\left[\phi\right]_{0}^{\frac{\pi}{2}-\varepsilon} \\ &= \frac{R}{\cos\alpha}\lim_{\varepsilon\to+0}\left(\frac{\pi}{2}-\varepsilon\right) \\ &= \frac{R\pi}{2\cos\alpha} \end{align*} $~0<\alpha<\dfrac{\pi}{2}~$より、$~0<\cos\alpha<1~$なので、$~S~$は有限な値をとる。$~\cdots ④~$
$~③~$、$~④~$より、等角航路は極のまわりを回り続けるものの、その移動距離は収まる。$~\blacksquare~$
極に近づけたときに経度が変化し続けることから、等角航路は螺旋を描くことがわかります。
そして、極付近では極にたどり着けないまま、ひたすら極の周りを回転するものの、その半径はどんどん小さくなるため合計の移動距離としては収束するという、二分法のパラドックスなどと似た無限の面白さが隠れています。
最短距離で目的地に辿り着けるわけではない
ヌネシュによる等角航路の重要な2つの特徴のうち、2つ目は球面上の最短経路にはならないことです。
最短経路となる航路(大圏航路)と、等角航路を比較してみましょう。
東京(北緯約35度)からロサンゼルス(北緯約34度)に向かう場合、メルカトル図法において、大圏航路と等角航路は以下のように示されます。

メルカトル図法では方角は正しく表されているものの、距離や面積は不正確な地図であるため、直線で結ばれた等角航路が最短距離とは限りません。
そこで、中心からの距離や方位が正しい正距方位図法で比較してみると一目瞭然。
緯線とほぼ平行にロサンゼルスへと向かう等角航路よりも、直線上に進む大圏航路のほうが当然短くなります。

ちなみに、東京とロサンゼルスの間の場合は約500kmほどの差があり、現在は旅客機などでは大圏航路が使われています。
| 大圏航路 | 等角航路 | |
| 移動距離 | 約8,819km | 約9,317km |
| 東京出発時の方角 | 北東寄り (真北から時計回りに約55.5°) | ほぼ真東 (真北から時計回りに約91°) |
航海で役に立つ航路だった
しかしヌネシュが生きた16世紀は、GPSどころか海上で機能する時計すらない時代。
航海で求められたのは、最短距離で早く着くことよりも、確実に目的地に辿り着くことでした。
その目的に合致するのが等角航路であり、決めた方角に羅針盤を合わせ続けることで、最短距離ではないものの確実に目的地に辿り着くことができたのです。

ヌネシュによって理論化された等角航路が広まると、等角航路のための地図が必要とされます。
様々な試行錯誤の末、完成したのが1569年にフランドル(現:ベルギー)出身の地理学者ゲラルドゥス・メルカトルが発表したメルカトル図法です。
メルカトル図法の等角性により、経線(真北への直線)に対して同じ角度で交わり続けたときの行き先が、地図上でわかるようになりました。
ヌネシュの功績②:代数学に関する本を書いた
ヌネシュは航海学者としてだけでなく、代数学書の著者としても重要です。
1532年にポルトガル語で執筆し、1567年にイタリア語で刊行された『代数学(Libro de Algebra)』は、方程式を解くための手順について述べられ、数十もの問題が例として挙げられていました。
記号法はイタリア式
『Libro de Algebra』の特徴の一つは、イタリア式の省略記号を用いていることです。
ヌネシュはドイツの cosa / censo / cubo に対応する記号として、co / ce / cu を使い、さらに加減を $~\bar{p}~$ と $~\bar{m}~$ で表しました。
| 記号 | 意味 | 補足 |
|---|---|---|
| co | 未知数 | cosa に対応する。 |
| ce | 二乗 | censo に対応する。 |
| cu | 三乗 | cubo に対応する。 |
| $~\bar{p}~$ | 加法 | プラス記号として用いる。 |
| $~\bar{m}~$ | 減法 | マイナス記号として用いる。 |
代数的な操作を別解で説明した
ヌネシュは『代数学』の中で、次のような問題を取り扱いました。
二つの数を求めよ。ただし、その積は$~10~$、平方の和は$~30~$とする。
ヌネシュはこの問題を3通りの方法で解くことにより、1つの問題を通して3種の代数的な操作を説明しています。
(ヌネシュが使ったイタリア式の$~co~$や$~ce~$ではなく、現代と同様の表記で説明している)
| 発想 | 特徴 | |
|---|---|---|
| 解法1 | 二数を$~x~$と$~\frac{10}{x}~$で表す | 積が$~10~$であることを直接使う。 |
| 解法2 | 2つの数の平方を$~15-x~$と$~15+x~$で表す | 平方の和が$~30~$であることを先に使う。 |
| 解法3 | 和の平方が$~50~$になることから、$~\dfrac{\sqrt{50}}{2}-x~$と$~\dfrac{\sqrt{50}}{2}+x~$で表す | 恒等式$~(a+b)^2=a^2+2ab+b^2~$を利用する。 |
ヌネシュの3つの解法を細かく見てみましょう。
2つの数の積が$~10~$なので、小さい方の数を$~x~$とすると、大きい方の数は$~10/x~$と表せる。
平方の和が$~30~$なので、
\begin{align*}
x^2+\left(\frac{10}{x}\right)^2=30
\end{align*}であり、両辺に$~x^2~$をかけると、
\begin{align*}
x^4+100&=30x^2 \\
x^4-30x^2+100&=0 \\
(x^2)^2-30x^2+100&=0
\end{align*}となる。これは、$~x^2~$の二次方程式なので、解の公式を使うと、
\begin{align*}
x^2&=\frac{30\pm\sqrt{30^2-4\cdot 100}}{2}\\
&=\frac{30\pm\sqrt{900-400}}{2}\\
&=\frac{30\pm\sqrt{500}}{2}\\
&=\frac{30\pm 10\sqrt{5}}{2}\\
&=15\pm\sqrt{125}
\end{align*}であるため、$~x^2=15-\sqrt{125}~$または$~x^2=15+\sqrt{125}~$である。
$~x^2=15-\sqrt{125}~$のとき、$~x=\sqrt{15-\sqrt{125}}~$に対し、もう一つの数$~\dfrac{10}{x}~$が
\begin{align*}
\frac{10}{\sqrt{15-\sqrt{125}}}&=\frac{10\sqrt{15+\sqrt{125}}}{\sqrt{(15-\sqrt{125})(15+\sqrt{125})}} \\
\\
&=\frac{10\sqrt{15+\sqrt{125}}}{10} \\
\\
&=\sqrt{15+\sqrt{125}} \\
\end{align*}となるため、条件に合致している。
また、$~x^2=15+\sqrt{125}~$のとき、$~x=\sqrt{15+\sqrt{125}}^(※)~$に対し、もう一つの数$~\dfrac{10}{x}~$が同様の計算によって、
\begin{align*}
\frac{10}{\sqrt{15+\sqrt{125}}}&=\sqrt{15-\sqrt{125}} \\
\end{align*}となるため、こちらは小さい方の数が$~x~$であることに矛盾。
したがって、求めたい2つの数は、$~\sqrt{15-\sqrt{125}}~$,$~\sqrt{15+\sqrt{125}}~$である。
※ヌネシュは後述の通り、平方根の扱いに慎重であったが、現代のように負の平方根まで含めて整理していたわけではない。
1つ目の解法は割とオーソドックス。
現在でも、2つの数を$~x~,~y~$とおけば、連立方程式
\begin{cases}
&xy=10 \\
&x^2+y^2=30
\end{cases}が作れるため、上の式を$~y=\dfrac{10}{x}~$と変形して下の式に代入すれば、同様の方程式を解くことになります。
2つの数の平方の和が$~30~$なので、2つの数の平方を小さい順に
\begin{align*}
15-x,\quad 15+x~~~~(0 \leqq x \leqq 15)
\end{align*}とおく。
すると元の2つの数は、それぞれの平方根(※)なので、
\begin{align*}
\sqrt{15-x},\quad \sqrt{15+x}
\end{align*}となる。
積が$~10~$であることを使うと、
\begin{align*}
\sqrt{15-x}\,\sqrt{15+x}=10
\end{align*}であり、両辺を2乗すると、
\begin{align*}
(15-x)(15+x)&=100 \\
225-x^2&=100 \\
x^2&=125 \\
x&=\sqrt{125}
\end{align*}と求められるため、2つの数は
\begin{align*}
\sqrt{15-\sqrt{125}},\quad \sqrt{15+\sqrt{125}}
\end{align*}である。
※ヌネシュは後述の通り、平方根の扱いに慎重であったが、現代のように負の平方根まで含めて整理していたわけではない。
こちらは和が$~30~$であることから始める解法でした。
積が$~10~$、平方の和が$~30~$なので、2つの数を$~a,b~$とすると
\begin{align*}
ab=10~ ,~ a^2+b^2=30
\end{align*}となるため、恒等式$~(a+b)^2=a^2+2ab+b^2~$に値を代入すると、
\begin{align*}
(a+b)^2&=a^2+2ab+b^2\\
&=30+2\cdot 10\\
&=50
\end{align*}となる。したがって、2つの数の和は$~\sqrt{50}~$とわかる。(※)
そこで、2つの数を小さい順に
\begin{align*}
\frac{1}{2}\sqrt{50}-x,\quad \frac{1}{2}\sqrt{50}+x~~~~~~~~\left(0 \leqq x \leqq \frac{1}{2}\sqrt{50}\right)
\end{align*}と表せば、この2つの数の積が$~10~$なので、
\begin{align*}
\left(\frac{1}{2}\sqrt{50}-x\right)\left(\frac{1}{2}\sqrt{50}+x\right)&=10 \\
\frac{50}{4}-x^2&=10 \\
x^2&=\frac{10}{4} \\
x&=\sqrt{\frac{5}{2}}
\end{align*}を得る。
したがって、2つの数は
\begin{align*}
\frac{1}{2}\sqrt{50}-\sqrt{\frac{5}{2}}~~,\quad \frac{1}{2}\sqrt{50}+\sqrt{\frac{5}{2}}
\end{align*}と求められた。
※ヌネシュは後述の通り、平方根の扱いに慎重であったが、現代のように負の平方根まで含めて整理していたわけではない。
3つ目の解法は恒等式を利用するというなかなか思いつかない方法でした。
また、1つ目や2つ目の解法と異なる解が出てきており、これが次の研究の出発点となっています。
平方と平方根について考察した
この問題において、ヌネシュは三つの解法の一致を確かめようとしました。
すなわち、ヌネシュの疑問は以下のようにまとめられます。
$~\sqrt{15-\sqrt{125}}~$と$~\dfrac{1}{2}\sqrt{50}-\sqrt{\dfrac{5}{2}}~$は同じ数を表すか?
ヌネシュはこの疑問を解決するために、それぞれの数の平方で比較しようとしました。
実際に比較してみると、
\begin{align*}
\left(\sqrt{15-\sqrt{125}}\right)^2&=15-\sqrt{125} \\
\\
\left(\frac{1}{2}\sqrt{50}-\sqrt{\frac{5}{2}}\right)^2&=\frac{25}{2}-\sqrt{125}+\frac{5}{2}=15-\sqrt{125}
\end{align*}
となり、平方は確かに一致しています。
しかし、ヌネシュは数の平方が等しいからといって、必ずしも元の数も等しいとは限らないことを理解しており、どうすればこの難点を回避すべきかまでは明らかにできませんでした。
(実際は、$~a \geqq 0~,~b \geqq 0~$という条件の下、$~a^2=b^2~$ならば$~a=b~$が成り立つ)
ただ、ヌネシュはどちらの数も問題文を満たすため、実際それらの解は同じものだと確信していました。
ヌネシュのエピソード:迫害されなかったユダヤ人
ヌネシュについては、ユダヤ人の出自を持っていたとする説明があります。
当時、ユダヤ人に対して宗教裁判による迫害が横行していましたが、その迫害を受けなかったのは、宗教裁判長ドン・エンリケ枢機卿が教え子だったからではないかという説があります。
また、ヌネシュ自身のキャリアも王国の宇宙誌学者から首席王室宇宙誌学者に昇進するなど、宮廷での存在感が大きくなっていったことも、迫害回避の要因と考えられるでしょう。
まとめ
ペドロ・ヌネシュは、航海学者として知られる一方で、代数学でも重要な仕事を残した数学者でした。
- 等角航路を理論化し、当時の航海に大きく役立った。
- 1567年に『代数学(Libro de Algebra)』を刊行し、種々の代数的操作を説明した。
- ポルトガル国内での影響力が大きく、ユダヤ人の出自と考えられているものの、迫害を受けなかったとされている。

極付近では極にたどり着けないままなのに、その半径はどんどん小さくなるから合計の移動距離としては収束する、という点が面白いね。
等角航路の開発によって、当時の航海士たちは心強かっただろうな。



そして、メルカトル図法へとつながっていく…。




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