私たちが普段何気なく使っている「$=$(イコール)」という記号。
実は、この記号を世界で初めて使ったのは、16世紀のウェールズ出身の数学者、ロバート・レコード(Robert Recorde, 1510–1558)でした。
彼は医師や行政官として波乱万丈な生涯を送りながらも、英語による数学教科書を次々と執筆し、イギリスにおける数学教育の基礎を築いた人物です。
この記事では、ロバート・レコードの生涯と彼の功績を数学史の先生Fukusukeが解説!
レコードが『才知の砥石』で等号記号「$=$」を導入した背景、さらにはベキの記号体系の整備やイギリス数学学派の創始といった重要な功績について詳しく紹介します。
ロバート・レコードの生涯
ロバート・レコードの年譜
ロバート・レコードは、1510年にウェールズのテンビーで生まれ、オックスフォード大学とケンブリッジ大学の両方で学びました。その後は医師や行政官として働きながら、多くの優れた数学教科書を執筆しました。

(出典:The original uploader was Lumos3 at English Wikipedia., Public domain, via Wikimedia Commons)
| 年代 | 出来事 | 補足 |
|---|---|---|
| 1510年 | ロバート・レコードが誕生する | ウェールズのテンビーで生まれる。 |
| 1531年 | オックスフォード大学を卒業する | 教養学士を取得する |
| 1541年頃 | 数学書『諸学芸の基礎』を刊行する | 現存する、レコード初の数学書。大衆的な算術書であった。 |
| 1545年 | ケンブリッジ大学を卒業する | 医学の学位を取得し、その後エドワード6世の侍医となった。 |
| 1549年 | ブリストル造幣局の管理者に任命される | 同年、王の側近と対立したため、その職を解任された。 |
| 1551年 | アイルランドの鉱山および貨幣の総監察官に任命される | 上記の側近との対立は解決しておらず、国家からの支援が得られずに事業は閉鎖した。 |
| 1557年 | 主著『才知の砥石』を刊行する | 等号記号を初めて用いた。1世紀に渡り、イングランドの科学者に影響を与えた。 |
| 1557年 | キングズ・ベンチ刑務所に投獄される | 上記の側近を不正行為で告発するも、地位の違いから敗訴。逆に名誉毀損で訴えられ、1000ポンドの賠償金を支払え(支払わ)なかったことで、監獄へ。 |
| 1558年 | 死去 | 監獄で没する。 |
ロバート・レコードの活動場所
レコードはウェールズで生まれ、イングランドの2大大学で学んだ後、ロンドンやアイルランドで活動しました。
- テンビー(Tenby):ウェールズ南西部の町。ロバート・レコードの生誕地。
- オックスフォード(Oxford):大学で学び、学士号を取得した場所。
- ケンブリッジ(Cambridge):医学の学位を取得した場所。
- ダブリン(Dublin):アイルランドでの役職において、造幣局の技術監督を務めた場所。
- ロンドン(London):医師として開業し、後に行政官として働き、最後は獄中で没した場所。
ロバート・レコードの功績①:『才知の砥石』で等号記号「=」を紹介した
等号記号が生まれた背景
ロバート・レコードの最大の功績は、現代の私たちが当たり前のように使っている等号記号「$=$」を発明したことです。
この記号は、彼が獄中で没する約1年前の1557年に出版された代数学の教科書『才知の砥石(The Whetstone of Witte)』の中で初めて紹介されました。
当時の数学書では、数式の中で「〜に等しい(is equal to)」という言葉をいちいち文章で書きあらわすのが一般的でした。
しかし、代数学の計算を進める上で、この言葉を何度も繰り返すことは非効率的。
そこで、レコードは、この煩わしさを解消するために新しい記号を導入することを思いついたのです。
レコードが「=」を選んだ理由
レコードが等号を表すために「二本の平行線」を選んだのには、明確な理由がありました。
その理由として、彼は『才知の砥石』の中で、次のように説明しています。
この「〜に等しい」という言葉の退屈な繰り返しを避けるために、私は自分の仕事でよく使っている一対の平行線、言い換えれば、同じ長さをもつ一対の線分、すなわち ════════ を採用する。なぜならば、この2つほど等しいものは他にないからである。
このように、レコードは「同じ長さの二本の平行線」が、この世で最も完全に「等しい」状態を表していると考え、それを記号化しました。

(出典:Robert Recorde, Public domain, via Wikimedia Commons)
元が平行線ということもあり、非常に横長の記号となっていますが、現在の等号「=」がここに誕生したのです。
等号記号の普及までの道のり
レコードが発明した等号記号「════════」は、すぐに世界中で普及したわけではありません。
当時のヨーロッパでは、「〜に等しい(is equal to)」を省略する別の記号も考えられていました。
例えば、「||」を等号として使う者もいれば、ラテン語の「aequalis(等しい)」の頭文字をとって「ae」を使う者も多く、これらの記号は1700年代まで広く使われ続けたのです。
しかし、17世紀のイギリスの数学者ウィリアム・オートレッドやトーマス・ハリオット、さらにはアイザック・ニュートンとドイツのゴットフリート・ライプニッツまでもが「$=$」を著書の中で使ったことで、イギリスのみならずヨーロッパ大陸でも「$=$」が普及することになりました。
ロバート・レコードの功績②:ベキの記号体系を整備した
ドイツ流記号の修正と拡張
レコードの主著『才知の砥石』は、クリストフ・ルドルフやミヒャエル・シュティーフェルらが発展させた、ドイツの代数学の知識をイングランドに伝える役割も果たしました。
レコードは、ドイツで使われていた未知数の表し方を独自に修正・拡張した功績でも知られています。
ルドルフたちはすでに9乗までの未知数のべき乗を以下のように表していました。
| 現在の記号 | $~x^0=1~$※ | $~x~$ | $~x^2~$ | $~x^3~$ | $~x^4~$ |
| コスの記号 |
| 現在の記号 | $~x^5~$ | $~x^6~$ | $~x^7~$ | $~x^8~$ | $~x^9~$ |
| コスの記号 | β | bβ |
※ルドルフ(1525年)は「ドラグマ」と呼ばれる記号を使っていたが、シュティーフェル(1553年)は定数に記号は不要と主張し、記号を使わなくなった。
これを典拠に、レコードは次のように80乗まで拡張したのです。
| 現在の記号 | $~x^0=1~$ | $~x~$ | $~x^2~$ | $~x^3~$ | $~x^4~$ |
| レコードの記号 | 1 定数 | ![]() 「r」を崩したような字 | 平方 | 立方 | $2 \times 2$ |
| 現在の記号 | $~x^5~$ | $~x^6~$ | $~x^7~$ | $~x^8~$ | $~x^9~$ |
| レコードの記号 | 1番目の超立方 | $2 \times 3$ | ![]() 2番目の超立方 | $2\times 2\times 2$ | $3\times 3$ |
| 現在の記号 | $~x^{10}~$ | $~x^{11}~$ | $~x^{12}~$ | $~x^{13}~$ | $~x^{14}~$ |
| レコードの記号 | $2\times 5$ | ![]() 3番目の超立方 | $2\times 2\times 3$ | ![]() 4番目の超立方 | ![]() $2\times 7$ |
\vdots
| 現在の記号 | $~x^{78}~$ | $~x^{79}~$ | $~x^{80}~$ |
| レコードの記号 | $2\times 3\times 13$ | ![]() 20番目の超立方 | $2\times 2\times \times 2 \times 2 \times 5$ |
ルドルフたちも使っていた$~a^6=(a^2)^3=a^{2\times 3}~$という考え方を、80乗まで拡張して一覧表にまとめたのです。
また、素数乗の場合は2乗が平方、3乗が立方の後、5乗は「1番目の超立方」、7乗は「2番目の超立方」、…とすることで、素数乗($~p~$乗)を「
」($~p~$を$~n~$番目の素数としたとき、*には($~n-2~$)番目のアルファベットが入る)と表しました。
指数法則を覚えるための詩を作った
レコードが出版した数学書の中には、生徒が演算の規則を覚えやすいように、それらを詩(韻文)の形式で表現するというユニークな工夫も施されています。
例として、彼が指数法則について述べた詩を見てみましょう。
掛け算、あるいは割り算を正しく行う者は、幸こそ多かれ、災いが増えるということはない。
その量は、.M.が足し、.D.が引く割合を守るのだ。
掛け算や割り算において、正の数(幸)が増えることはあれど、負の数(災い)が増えることはない。
→同じ符号どうしの掛け算・割り算において、答えが負の数になることはないという意味。
指数法則において、.M.(Multiplication(掛け算))するときは、それぞれの次数を「足し合わせる」。
.D.(Division(割り算))するときは、それぞれの次数を「引く」。
→$~a^p \times a^q=a^{p+q}~$や$~a^p \div a^q=a^{p-q}~$のことを指している。
こういった工夫だけでなく、彼が書いた数学の教科書は、先生と生徒の対話形式となっていたこともあり、レコードの数学書はその後1世紀にも渡りイギリスの教育を支えることになりました。
ロバート・レコードのエピソード:行政官として失敗し、獄中で没した
『才知の砥石』をはじめ、イギリスの数学教育者として大成功を収めたレコードでしたが、行政官としてのキャリアはトラブル続きでした。
彼は1549年にブリストル造幣局の管理者に任命されましたが、軍資金の流用を求めたウィリアム・ハーバート(後のペンブルック伯)の要求を「王の命令ではない」として拒否したため、反逆罪で告発されます。
その後、1551年にアイルランドの鉱山と貨幣の総監察官に任命され、ダブリン造幣局の技術監督などを務めましたが、ドイツ人鉱夫との対立や国内の資金不足などの問題が重なり、銀山事業は失敗に終わりました。
イングランドに召還された後、レコードは自身の地位を取り戻そうと、かつての政敵であるペンブルック伯を不正行為で告発するという無謀な行動に出ました。
しかし、当時の権力者であったペンブルック伯に勝てるはずもなく、逆に名誉毀損で訴えられて敗訴してしまいます。
1557年、レコードには1000ポンドという巨額の賠償金支払いが命じられました。
この賠償金をレコードが金額的に払えなかったのか、気持ち的に払わなかったのかは定かではありませんで、いずれにせよ支払い不履行であったため、キングズ・ベンチ監獄に投獄。
1558年に獄中で生涯を閉じることになったのです。
まとめ
16世紀のイギリスを代表する数学者ロバート・レコードについて解説してきました。
- 等号を表す「$=$」という記号を『才知の砥石』で世界で初めて導入した。
- 指数を80まで拡張し、指数法則を詩の形式で表現した。
- 行政官としては政敵との対立に敗れ、獄中で不遇の死を遂げた。

自分が発表した「$=$」が今やここまで一般的に使われていることを知ったらびっくりするだろうね。



「ae」は未知数がアルファベットで表されるようになってくると見分けがつかなくなり、「||」は平行記号と混ざってしまうため、他の記号と混ざらない「=」はニュートンたちが選んだように使いやすかったんだ。









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