ルネサンス期のヨーロッパにおいて、プトレマイオスの天文学を復興し、その中の数学を発展させた数学者がいました。
その名はレギオモンタヌス。
彼は、それまで天文学の「道具」に過ぎなかった三角法を、独立した一つの数学分野として確立したことで知られています。
この記事では、ヨーロッパ数学史における過渡期を代表する数学者、レギオモンタヌスの生涯と、彼が成し遂げた功績、そして彼にまつわるエピソードを、現役数学教員で数学史の先生であるFukusukeが徹底解説します。
レギオモンタヌスの生涯
レギオモンタヌス(Regiomontanus , 1436〜1476)は15世紀のドイツに生まれ、わずか40年の生涯でヨーロッパの数学に計り知れないほどの影響を与えました。

(出典:[1], Public domain, via Wikimedia Commons)
レギオモンタヌスは出身地のラテン語名に由来する名前であり、本名はヨハン・ミュラー(Johann Müller)といいます。
レギオモンタヌスの年譜
| 年代 | 出来事 | 補足 |
|---|---|---|
| 1436年 | ドイツのケーニヒスベルクで誕生 | 製粉業者の息子として生まれる |
| 1447年 | ライプツィヒ大学に入学 | 11歳で入学 |
| 1450年 | ウィーン大学に入学 | ポイルバッハに師事 |
| 1452年 | 学士号を取得 | ウィーン大学にて |
| 1457年 | 修士号を取得 | 21歳で取得。大学規則により21歳まで待つ必要があった |
| 1461年 | イタリアへ | 師ポイルバッハの遺志を継ぎ、ベッサリオン枢機卿のもとへ |
| 1462年 | プトレマイオス『アルマゲスト』の要録を完成 | |
| 1464年頃 | 『あらゆる種類の三角形について』を執筆する | 出版は1533年に行われた |
| 1471年 | ニュルンベルクに移住 | 印刷所と天文台を設立 |
| 1475年 | 教皇シクストゥス4世からローマに招聘される | 暦の改革のため |
| 1476年 | ローマにて40歳で急死 | 疫病説と毒殺説がある |
レギオモンタヌスの活動場所
レギオモンタヌスは、特定の場所に留まることなく、ヨーロッパ中で活動した国際的な学者でした。彼の知的好奇心とパトロンの存在が、その活動を支えました。
- ケーニヒスベルク:ドイツのフランコニア地方にある彼の生誕の地。「王の山」を意味するこの地名のラテン語訳が「レギオモンタヌス」という名の由来となった。
- ウィーン:ポイルバッハのもとで数学と天文学の基礎を築いた学問の出発点となった地。
- イタリア:ベッサリオン枢機卿の庇護のもと、ローマ、ヴェネツィア、パドヴァを巡り、多くのギリシャ古典写本に触れる機会を得た国。
- ニュルンベルク:裕福な商人ベルンハルト・ヴァルターの援助を受け、ヨーロッパ初の科学的な印刷所と天文台を設立した地。彼の知識を広く普及させるための拠点となった。
- ローマ:教皇に招かれ、暦の改訂という大事業に携わるために訪れた地。しかし、志半ばにして生涯をこの地で終えた。
レギオモンタヌスの功績①:三角法を天文学から独立させた
レギオモンタヌスの最大の功績は、三角法を天文学から切り離し、独立した数学の一分野として体系化したことです。
それまでの三角法は天文学の一部だった
15世紀以前のヨーロッパにおいて、三角法は天文学を計算するための「道具」として扱われていました。
古代ギリシャの天文学者プトレマイオスの主著『アルマゲスト』の影響が強く、天体の位置を計算するために、円の「弦(chord)」の長さが用いられていました。
円の弧の長さを$~\alpha~$とする。
このときの弦の長さを$~chord(\alpha)~$(略して$~crd(\alpha)~$)と定義する。

ヨーロッパにおいて、三角法は常に天文学に付属する形で扱われ、三角形そのものの性質を探求する学問とは見なされていなかったのです。

イスラームでは、礼拝の方角(キブラ)を求めるときにも使われたよ。


『あらゆる種類の三角形について』で三角法が確立した
天文学の道具としての三角法の状況を一変させたのが、1464年頃に執筆されたレギオモンタヌスの主著『あらゆる種類の三角形について』(De triangulis omnimodis)です。
この本は、ヨーロッパで初めて「純粋に」三角法について書かれた著作であり、レギオモンタヌスは序文で次のように述べています。
偉大な驚くべきことを学ぼうとする君たち、また星の運動に驚異の眼を向けている君たちは、三角形についてこれらの定理を学ばなくてはならない。これらの考えを知ることによって、天体のすべてについて、またいくつかの幾何の問題について、扉が開かれてくるだろう。
レギオモンタヌス『あらゆる種類の三角形について』序文より
彼は、ユークリッドの『原論』のように、定義と公理から出発し、平面および球面の三角形に関する定理を体系的に証明していきました。
この本は、彼の死後50年以上経った1533年にようやく出版されましたが、手稿の形で16世紀初頭には広く数学者や天文学者の間に普及していたと考えられています。
正弦定理を明確に証明した
『あらゆる種類の三角形について』において、正弦定理を明確な形で証明したことは、レギオモンタヌスの大きな貢献の一つです。
直線で囲まれたあらゆる三角形において、一辺の他辺に対する比は、その辺の対角の正弦に対する他辺の対角の正弦の比に等しい。
すなわち、$~\triangle ABC~$において、$~AB~$の$~AC~$に対する比は、$~\angle C~$の正弦の$~\angle B~$の正弦に対する比と等しい。
AB:AC=(\angle Cの正弦):(\angle Bの正弦)


正弦定理としてよく見る形に直すと、次の式と同じ意味になります。
\frac{c}{\sin{C}}=\frac{b}{\sin{B}}この定理を、中世イスラームのナッスィールディーン・トゥースィーと似たような方法で証明しています。


$~AB < AC~$である鋭角三角形$~\triangle ABC~$において、$~C~$を中心に半径$~r = OA~$の円を描く。
次に、$~B~$を中心に、今と同じ半径$~r~$の円を描き、半直線$~BA~$との交点を$~D~$とする。$~A, D~$ から直線$~BC~$ にひいた垂線の足を$~H, I~$とする。


半径が同じ円なので、$~DI~$が$~\angle B~$ の正弦になり、$~AH~$が$~\angle C~$ の正弦と言える。
(実際の式では、$~DI = r \sin B~$、$~AH = r \sin C~$)


ここで、$~\triangle ABH~$ と $~\triangle DBI~$は相似であるため、
\begin{align*}
AB : DB &= AH : DI \\
AB : r &= (\angle C \text{の正弦}) : (\angle B \text{の正弦}) \\
AB : AC &= (\angle C \text{の正弦}) : (\angle B \text{の正弦})\\
\end{align*}となり、正弦定理は示された。$~\blacksquare~$
$~(AB : AC = r \sin C : r \sin B = \sin C : \sin B)~$
トゥースィーは長さが$~1~$の斜辺を同じようにつくることで、正弦定理を証明しました。
このことから、レギオモンタヌスはプトレマイオスの『アルマゲスト』だけでなく、トゥースィーの『四辺形の書』からも少なからず影響を受けていたと言われています。


詳細な正弦表と正接表を作成した
三角法を実用的な学問とするためには、正確な三角関数表が不可欠です。
レギオモンタヌスは、当時まだ小数の表示がなかった中で、驚異的な計算能力を発揮して詳細な正弦表と正接表を作成しました。
正弦表に関しては、円の半径を$~r=60,000~$や$~r=10,000,000~$のような大きな整数値に設定することで、正弦の値を整数で高い精度で求めました。
例えば、$~r=10^5~$とすれば、小数点以下5桁までの精度が得られます。
彼の正弦表は1分$~\displaystyle \left( \frac{1}{60} \text{度} \right)~$刻みという非常に詳細なもので、次のような具体的な問題例もありました。
ある直角三角形において、斜辺が$~20~$、1つの鋭角が$~36^{\circ}~$のとき、他の2辺の長さを求めたい。


円の半径を$~60000~$としたときの正弦表を利用するため、斜辺が$~60000~$の直角三角形を考えると、$~36^{\circ}~$と$~54^{\circ}~$の正弦の値より、2つの辺の長さは35267と48541とわかる。


この直角三角形の斜辺の長さを $~3000~$でわれば、斜辺が$~20~$となるため、
\begin{align*}
35267 \div 3000 &= \displaystyle 11\frac{2267}{3000}\\\\
48541 \div 3000 &= \displaystyle 16\frac{541}{3000}\\
\end{align*}と求めることができる。
レギオモンタヌスは上記の計算結果を、$~\displaystyle 11\frac{3}{4}~$、$~\displaystyle16\frac{11}{20}~$ のような概数で表していました。
彼はこのように、わかりやすい数値例を与えています。
また、正接表に関しては、レギオモンタヌスの別の著書『方位表』(Tabulae directionum)の中で、半径$~10^5~$の円に基づく正接(タンジェント)の表を作成しています。
これを「実り多い表(Tabula fecunda)」と名付けました。
この表では、$~\tan 89°~$の値が「5729796」(正確には5728996)、そして$~\tan 90°~$の値が「無限」と記されています。



正確には、$~\displaystyle \lim_{\theta \to 90^{\circ}+0^{\circ}}\tan{\theta}=-\infty~$と$~\displaystyle\lim_{\theta \to 90^{\circ}-0^{\circ}}\tan{\theta}=\infty~$より、極限は存在しないものの、どちら側から$~90^{\circ}~$に近づけても「無限」であることには違いない!
レギオモンタヌスの功績②:図形問題に代数的手法を用いた
レギオモンタヌスは、幾何学の問題を解くために、当時ヨーロッパではまだ目新しかった代数的な手法を積極的に用いたことでも知られています。
「モノと平方の技法」を使った
レギオモンタヌスは、アラビアの代数学者たちの影響を受け、未知の量を「モノ(res)」と呼び、それを用いて方程式を立てるという手法を用いました。
これは彼が「モノと平方の技法」と呼んだもので、幾何学的な関係を数式に落とし込み、代数的に解を求めるという、現代数学に繋がる考え方です。
その具体的な例として、ある三角形の問題を2次方程式に帰着させて解いたことが記録されています。
底辺$~BC = 200~$の$~\triangle ABC~$で、$~A~$から$~BC~$に垂線$~AH~$をひく。
$~AH = 5~$、$~AB : AC = 3 : 5~$ のとき、$~AB~$ と $~AC~$ を求めよ。


この問題に対し、レギオモンタヌスは代数的な計算によって解けることを示しています。
ただ、レギオモンタヌスの未知数の置き方は、少し特殊でした。
線分$~HC~$上に、$~HB = HD~$となる$~D~$をとる。
$~DC = 2x~$とおく。
このとき$~BD = 20-2x~$で、$~HB = HD = \frac{1}{2}BD = 10-x~$ となる。


$~\triangle ABH~$で三平方の定理を使うと、
AB^2 = 5^2 + (10-x)^2 \cdots ①
であり、$~HC = 10 + x~$であることから、$~\triangle AHC~$で三平方の定理を使うと、
AC^2 = 5^2 + (10+x)^2\cdots ②
である。
$~AB : AC = 3 : 5~$ より、$~\displaystyle\frac{AB^2}{AC^2} = \displaystyle\frac{9}{25}~$なので、$~①~$と$~②~$を代入し、
\begin{align*}
\frac{5^2 + (10-x)^2}{5^2 + (10+x)^2} &= \frac{9}{25}\\\\
\frac{25 + 100 - 20x + x^2}{25 + 100 + 20x + x^2} &= \frac{9}{25}\\\\
25(125 - 20x + x^2) &= 9(125 + 20x+ x^2)\\
25x^2 - 500x + 3125 &= 1125 + 180x + 9x^2\\
16x^2 + 2000 &= 680x\\
\end{align*}あとはこれを解くことで、求められる。
レギオモンタヌスは何のように方程式が求まるところまで解説をやめ、「残りは代数の技法の規則が示してくれる」と述べています。
この形の二次方程式はフワーリズミーがすでに解法を示していたため、その技法を用いることで解けるのは自明だという主張でした。
ちなみに二次方程式を解くと、
x = \frac{85}{4} - \frac{5\sqrt{209}}{4}であり、
\begin{align*}
AB &= \frac{15}{2} \cdot \sqrt{\frac{17 - \sqrt{209}}{2}}\\\\
AC &= \frac{25}{2} \cdot \sqrt{\frac{17 - \sqrt{209}}{2}}\\
\end{align*}が求めたい長さです。
代数学における影響力は限定的だった
彼は先ほどの方程式$~16x^2 + 2000 = 680x~$を、ラテン語で「16 census et 2000 aequales 680 rebus」と書き表しました。
「census」は $x^2$ を、「et」は$~+~$を、「aequales」は$~=~$を、「rebus」は $x$ を意味します。
記号が未発達だった時代に、言葉で方程式を表現していたのです。



「et」はフランスのニコル・オレームも使った表現。
$~+~$記号の由来の一説になっているよ。
レギオモンタヌスの功績③:古典の普及に貢献した
レギオモンタヌスは数学者であると同時に、一流の天文学者であり、またルネサンスの精神を体現する出版人でもありました。
プトレマイオス『アルマゲスト』の翻訳を完成させた
彼の師ポイルバッハは、古代天文学の集大成であるプトレマイオスの『アルマゲスト』をギリシャ語の原典からラテン語へ翻訳する作業に着手していましたが、道半ばで亡くなってしまいました。
レギオモンタヌスは師の遺志を継ぎ、この翻訳・要約事業を1462年に完成させました。
この『アルマゲスト』の翻訳書は、コペルニクスも参考にしたと言われ、原著そのものよりも広く読まれることになりました。
レギオモンタヌスは翻訳書の完成後、平面三角形と球面三角形において、辺と角の関係を決定するための法則(正弦定理など)を体系的にまとめる必要があると感じ、2年後の1464年頃に『あらゆる種類の三角形について』を執筆しています。
ニュルンベルクで印刷所を設立した
1471年、レギオモンタヌスはニュルンベルクにヨーロッパで最初の科学的な印刷所を設立しました。
これは、グーテンベルクの活版印刷技術を科学の普及のために活用しようという画期的な試みでした。
グーテンベルクの活版印刷技術とは、15世紀半ばにヨハネス・グーテンベルクが確立した、交換可能な金属活字、油性インク、木製プレス機を統合した印刷システムのこと。
情報の安価な大量複製を可能にし、知識の普及を通じてルネサンスや宗教改革といった西洋近代の形成に決定的な役割を果たしました。


また、レギオモンタヌスは、アルキメデス、アポロニウス、ヘロンといったギリシャの偉大な数学者たちの著作を出版する計画を立て、自身の天文暦や、師であるポイルバッハの著作などを出版しました。
しかし、彼の主著である『三角法あらゆる種類の三角形について』は図版の多さなどを理由に、編集が後回しとなり、出版されたのはレギオモンタヌスの死後となってしまいました。
レギオモンタヌスの問題
彼の名を冠した有名な問題に、「レギオモンタヌスの問題」があります。
絵画が壁に掛かっており、その上端と下端の高さが鑑賞者の目の高さより上にあるとする。このとき、鑑賞者(の目)の絵画に対する角度が最大になるのは、壁からどれだけ離れているときか。


ルネサンス期当時、遠近法をはじめとする「どうすれば物が正確に見えるか」という幾何学的光学への関心が非常に高まっていました。
ただ、レギオモンタヌスは1471年にこの実用的な問いを友人への手紙で提示したものの、彼自身が答えを出したわけではありません。
16世紀以降の数学者たちによって、レギオモンタヌスの問題は解かれました。
レギオモンタヌスのエピソード①:コロンブスを救った天文暦
レギオモンタヌスの業績が、思わぬ形でクリストファー・コロンブス(1451年〜1506年)の命を救いました。


(出典:Ridolfo del Ghirlandaio, Public domain, via Wikimedia Commons)
1504年、4回目の航海の途中でジャマイカで座礁してしまったコロンブス一行は、食料の提供を現地の人々に拒まれ、絶体絶命の危機に陥りました。
その時、コロンブスは手元にあったレギオモンタヌス作の天文暦を見て、1504年2月29日に月食が起こることを知ります。
彼はこれを利用し、「神があなたたちの行いに怒り、月を空から消し去るだろう」と予言しました。
そして予言通りに月が欠け始めると、恐れおののいた現地の人々は、再び食料を提供するようになったと言われています。
レギオモンタヌスの正確な天文計算が、コロンブスの命を救ったのです。
レギオモンタヌスのエピソード②:40歳での突然の死
三角法をはじめ、数々の業績を打ち立てたレギオモンタヌスですが、その生涯は40年というあまりにも短いものでした。
1475年、彼の名声はローマ教皇シクストゥス4世の耳にも届き、当時大きな問題となっていたユリウス暦の改訂事業のためにローマへと招聘されます。



ユリウス暦というのは、紀元前46年からヨーロッパで使われた標準暦のこと。
1年を365.25日としていたため、約128年で1日のズレが生じていたんだ。
しかし、ローマに到着した翌年の1476年、レギオモンタヌスは40歳の若さで突然この世を去ります。
公式な死因は当時流行していた疫病(ペスト)とされていますが、彼を妬む人物による毒殺説も根強く囁かれており、真相は分かっておりません。
いずれにせよ、自身の主著の出版すらできなかった早すぎる死でした。



トレビゾンドにジョージという人物がいました。
レギオモンタヌスは彼の著作を激しく批判する予定だったことを理由に、ジョージの息子たちに殺されたというのが毒殺説の詳細です。
まとめ
レギオモンタヌスは、中世から近代へと移り変わるルネサンスの時代に、三角法に革命をもたらした人物です。
- 三角法を天文学から独立させ、一つの数学分野として確立した
- 詳細な三角関数表を作成し、三角法の実用性を飛躍的に高めた
- 図形問題を代数計算として捉え、言葉で記述した。
- 印刷技術やモノの見え方の研究により、ルネサンス文化に貢献した



それまでただの道具だった三角法を、数学の一分野に格上げするなんて……。
偉大な数学者だ。
このブログの参考文献
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- 『カッツ 数学の歴史』
- 『メルツバッハ&ボイヤー数学の歴史(Ⅰ・Ⅱ)』
- 『数学の流れ30講(上・中・下)』
- 『数学の歴史物語』
- 『フィボナッチの兎』
- 『高校数学史演習』
- 『数学の世界史』
- 『数学の文化史』
- 『モノグラフ 数学史』
- 『数学史 数学5000年の歩み』
- 『数学物語』
- 『世界数学者事典』
- 『数学者図鑑』
- 『数学を切りひらいた人々(1~5)』
- 『天才なのに変態で愛しい数学者たちについて』
- 『素顔の数学者たち』
- 『数学スキャンダル』
- 『ギリシャ数学史』
- 『古代ギリシャの数理哲学への旅』
- 『ずかん 数字』
- 『πとeの話』
- 『代数学の歴史』
- 『幾何学の偉大なものがたり』
- 『アキレスと亀』
- 『ピタゴラスの定理100の証明法』
- 『ピタゴラスの定理』
- 『フェルマーの最終定理』
- 『哲学的な何か, あと数学とか』
- 『数と記号のふしぎ』
- 『身近な数学の記号たち』
- 『数学用語と記号ものがたり』
- 『納得する数学記号』
- 『図解教養事典 数学』
- 『イラストでサクッと理解 世界を変えた数学史図鑑』(拙著)
- 『教養としての数学史』(拙著)




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