数学の基礎を築いた数学書といえば、ユークリッドの『原論』がよく挙がります。
しかし、ヨーロッパから遠く離れた中国において、数学の基礎を築いたのは『九章算術』という紀元前の数学書でした。
この『九章算術』が中国数学における定本となるような注釈を加えた数学者が、魏晋時代に活躍した劉徽です。
劉徽は、中国の数学書『九章算術』に注釈を加えただけでなく、円周率を驚くべき精度で計算し、さらに測量術に関する画期的な著作『海島算経』を著しました。
彼の功績は、中国数学の基礎を築き、その後の発展に多大な影響を与えただけでなく、世界の数学史においても重要な位置を占めています。
そんな数学者劉徽の生涯と功績を数学史ライターFukusukeが解説!
離れ小島の高さや距離は、現地に行かなくても計算で求めることができるんです!
| 時代 | 3世紀頃(詳細は不明) |
| 場所 | 中国(詳細は不明) |
劉徽の生涯
劉徽(Liú Huī,3世紀頃)の正確な生没年は不明ですが、およそ3世紀頃、中国の魏晋南北朝時代に活躍したと考えられています。
当時の中国は、三国時代を経て魏が成立し、その後に晋へと移り変わる激動の時代でした。
政治的には不安定ながらも、学術的には活発な議論が行われていた時期です。

(出典:See page for author, CC BY-SA 4.0, via Wikimedia Commons)
劉徽の生涯に関する記録は非常に少ないですが、主著である『九章算術注』の記述から、彼が当時の都であった洛陽で暦法や天文観測に関わっていたことが推測されます。
このことから、劉徽は単なる数学者にとどまらず、広範な知的活動を行っていたことが推察されます。
劉徽の年譜
| 年代 | 出来事 | 補足 |
|---|---|---|
| 3世紀前半 | 劉徽誕生 | 正確な出生地・年は不明。山東地方とする説が有力 |
| 263年 | 『九章算術』に注釈を加える | 『九章算術注』を完成。図形と論理による理論的解釈を示す |
| 不詳 | 『海島算経』を著す | 重差術による測量技術を体系化 |
| 不詳 | 割円術で円周率を計算 | 正3072角形を用いて $~\pi=3.1416~$ を導出 |
| 不詳 | 死亡 | 死亡した地については不明 |
劉徽の活動場所
劉徽の生まれた場所については、山東省鄒平県や山東省淄博市など諸説あります。
彼は魏の都であった洛陽で活動していたとされ、特に暦法や天文観測の議論に参加していたことが著作から推測されています。
洛陽は当時の中国の学問の中心地であり、劉徽もまたこの都市で知的活動を行っていたようです。
彼の数学的業績が実用的かつ理論的であることからも、当時の最先端の学術的環境に身を置いていたことがうかがえます。
劉徽の功績:中国数学の礎を築く
劉徽は、その生涯の中で、数々の画期的な数学的功績を残しました。特に以下の3つの功績は、彼の名を不朽のものとしています。
『九章算術』に注釈を加える
『九章算術』は、中国で古くから伝わる数学の教科書のようなもので、土地の測量、税の計算、工事の費用など、実生活に役立つ様々な問題とその解法がまとめられていました。
しかし、内容の記述は非常に簡潔で、なぜその解法で正しいのか、その数学的な根拠は何か、といった説明はほとんどありませんでした。
劉徽は、263年にこの『九章算術』に詳細な注釈を加えたのです。

(出典:中國書店海王邨公司, Public domain, via Wikimedia Commons)
彼は、単に解法を説明するだけでなく、それぞれの問題の背後にある数学的な原理や公式の証明を、図形を用いたり、論理的な考察を加えたりしながら丁寧に解説しました。
これにより、『九章算術』は単なる問題集から、数学的な理論書へと昇華され、その後の中国数学の発展に不可欠なものとなりました。
割円術で円周率を求める
劉徽の最も有名な功績の一つに、円周率($~\pi~$)の計算があります。
当時、円周率は「円の周りの長さは直径の3倍」というような大まかな値が使われていましたが、劉徽は「割円術」という画期的な方法で、より正確な値を導き出しました。
割円術とは、円に内接する正多角形の辺の数を増やしていくことで、その多角形の面積を円の面積に限りなく近づけていく方法です。
辺の数を増やせば増やすほど、多角形は円に近づき、その面積から円周率をより正確に求めることができます。
劉徽は、まず正6角形から始め、次に正12角形、正24角形$~\cdots~$と、次々に辺の数を倍にしていきました。

そして、最終的には正3072角形まで計算し、円周率の近似値として $~3.1416~$ という値を導き出したのです。
円に内接する正多角形の辺の数を増やして円周率を求める手法は、紀元前3世紀のアルキメデスも行っているものの、彼は正96角形までで計算を終えているため、$~3.14~$までしか出せませんでした。

また、劉徽が導いた円周率$~3.1416~$は小数第3位まで一致しているものの、惜しくも約100年前のプトレマイオスが同様の精度で円周率を求めていました。

『海島算経』を著す
劉徽は、『九章算術注』の中で「重差術」と呼ばれる測量術についても詳しく解説しました。
この重差術に関する部分は、後に『海島算経』という独立した書物としてまとめられています。
代表的な問題を1つ見てみましょう。
海島を望むために、5歩※と同じ高さの棒を2本立て、前後の棒の間の距離を1000歩とする。後ろの棒は前の棒と一直線になるように置く。前の棒から123歩退くと、地面の高さから島の頂上を望むことができる。後ろの棒から127歩退くと、再び地面の高さから島の頂上を望める。島の高さはどれほどで、前の棒から島までの距離はどれほどか。

※「歩」は長さの単位で、1歩は約1.4m
現実的には、以下のような状況となります。

このように、遠く離れた海島の高さや距離を求めるために使われたのが「重差術」です。
2つの観測地点の距離の差、棒から視点までの距離の差が利用されることから、この名がついています。
棒の高さを$~h~$、前の棒から視点までの距離を$~a~$、後ろの棒から視点までの距離を$~b~$、2つの棒の間の距離を$~d~$とする。
このとき、島の高さ$~x~$と、前の棒から島までの距離$~y~$は以下のように表せる。
\begin{cases}
~x= \displaystyle h+\frac{dh}{b-a} \\
\\
~y=\displaystyle \frac{ad}{b-a}
\end{cases}
当時は文字式が無かったため、重差術は以下のような文章で表されました。
棒の間の距離と棒の高さを乗じて、実とする。($~実=dh~$)
二つの観測地点からの距離の差をとって法とし、実を法で割る。($~法=b-a~$)
そうして得られた値に棒の高さを加える。その値が島の高さとなる。($~島の高さ=\displaystyle 棒の高さ+\frac{実}{法}~$)
前の棒から島までの距離を求めるには、前の棒から後ろに動いた距離と棒の間の距離を乗じて、実とする。($~実=ad~$)
二つの観測地点からの距離の差をとって法とし、実を法で割る。($~法=b-a~$)
その結果は前の棒から島までの距離となる。($~島までの距離=\displaystyle \frac{実}{法}~$)
実際に『海島算経』第1問に重差術を使ってみましょう。
島の高さに関して、
実=5\times 1000=5000
法=127-123=4
したがって、島の高さは次のように求められる。
5+5000\div4=1255(歩)
また、島までの距離に関して、
実=123\times 1000=123000
法=127-123=4
したがって、前の棒から島までの距離は次のように求められる。
123000\div4=30750(歩)
重差術で『海島算経』の第1問が解ける理由を劉徽は説明したものの、どんな状況でも解法が通用するかどうかの証明についてはなされませんでした。
ただ、現在の数学で考えれば、相似の知識を使うことで以下のように簡単に証明が可能です。
$~\triangle DEF \equiv \triangle GHT ~$となる$~T~$を線分$~HI~$上にとる。

このとき、$~\triangle ADG~$∽$~\triangle GTI~$となるため、
AD:GT=DG:TI~~~\cdots ①
である。
また、$~\triangle ABD~$∽$~\triangle GHT~$となるため、
AB:GH=AD:GT~~~\cdots ②
である。
$①,②$より、
\begin{align*}
AB:GH&=DG:TI \\
(x-h):h&=d:(b-a) \\
(b-a)(x-h)&=dh \\
x-h&=\frac{dh}{b-a} \\
x&=h+\frac{dh}{b-a} ~~~\cdots③\\
\end{align*}と島の高さ$~x~$が求められた。$~~\blacksquare~$
次に、$~\triangle ADG~$∽$~\triangle GTI~$に注目する。

比の式に$③$を代入することで、
\begin{align*}
AB:DE&=BD:EF \\
(x-h):h&=y:a \\
hy&=a(x-h) \\
hy&=a \left( h+\frac{dh}{b-a}-h \right) \\
hy&= \frac{adh}{b-a} \\
y&= \frac{ad}{b-a} \\
\end{align*}と前の棒から島までの距離$~y~$が求められた。$~~\blacksquare~$
『海島算経』では、海島の高さや距離を測るだけでなく、谷の深さや高い塔の高さなどを、複数の場所から観測することで正確に測量する方法が記されています。
劉徽の重差術は、中国の測量学を世界最高水準に引き上げたと評価されており、その影響は後世にまで及びました。
古代ギリシャでは、紀元前6世紀に活躍した世界で最初の数学者タレスも船乗りに頼まれ、同じような手法で、岸から沖に出ている船までの距離を測定しています。

まとめ
劉徽は古代中国を代表する数学者です。
生涯についての詳細な記録は残っていませんが、劉徽が残した数学的功績は、後の中国数学の発展に大きく寄与することとなりました。
- 『九章算術』への注釈により、中国数学の理論的基盤が強化された。
- 割円術により、極限の概念に通じる高精度な円周率計算を実現した。
- 『海島算経』で、実用的な測量術を体系化し、後世に多大な影響を与えた。

問題集の解説を丁寧に書いてくれたのはありがたいよね。



数学の定理や命題を図や論理的な式で解説していったという点は、中国から遠く離れたギリシャの『原論』に通じるものがあるね。
このブログの参考文献
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- 『カッツ 数学の歴史』
- 『メルツバッハ&ボイヤー数学の歴史(Ⅰ・Ⅱ)』
- 『数学の流れ30講(上・中・下)』
- 『数学の歴史物語』
- 『フィボナッチの兎』
- 『高校数学史演習』
- 『数学の世界史』
- 『数学の文化史』
- 『モノグラフ 数学史』
- 『数学史 数学5000年の歩み』
- 『数学物語』
- 『世界数学者事典』
- 『数学者図鑑』
- 『数学を切りひらいた人々(1~5)』
- 『天才なのに変態で愛しい数学者たちについて』
- 『素顔の数学者たち』
- 『数学スキャンダル』
- 『ギリシャ数学史』
- 『古代ギリシャの数理哲学への旅』
- 『ずかん 数字』
- 『πとeの話』
- 『代数学の歴史』
- 『幾何学の偉大なものがたり』
- 『アキレスと亀』
- 『ピタゴラスの定理100の証明法』
- 『ピタゴラスの定理』
- 『フェルマーの最終定理』
- 『哲学的な何か, あと数学とか』
- 『数と記号のふしぎ』
- 『身近な数学の記号たち』
- 『数学用語と記号ものがたり』
- 『納得する数学記号』
- 『図解教養事典 数学』
- 『イラストでサクッと理解 世界を変えた数学史図鑑』(拙著)
- 『教養としての数学史』(拙著)


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