劉徽(りゅうき)〜生涯と功績を解説!中国数学の礎を築いた数学書とは?【数学史5-10】

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 数学の基礎を築いた数学書といえば、ユークリッドの『原論』がよく挙がります。

 しかし、ヨーロッパから遠く離れた中国において、数学の基礎を築いたのは九章算術という紀元前の数学書でした。

 この『九章算術』が中国数学における定本となるような注釈を加えた数学者が、魏晋時代に活躍した劉徽りゅうきです。

 劉徽は、中国の数学書『九章算術』に注釈を加えただけでなく、円周率を驚くべき精度で計算し、さらに測量術に関する画期的な著作『海島算経』を著しました。

 彼の功績は、中国数学の基礎を築き、その後の発展に多大な影響を与えただけでなく、世界の数学史においても重要な位置を占めています。

 そんな数学者劉徽の生涯と功績を数学史ライターFukusukeが解説!

 離れ小島の高さや距離は、現地に行かなくても計算で求めることができるんです!

この記事で主に扱っている時代と場所
時代3世紀頃(詳細は不明)
場所中国(詳細は不明)
この記事を書いた人

Fukusuke(ふくすけ)
数学史の先生

  1. 現役の中学・高校数学教員
  2. 著書2冊重刷、ブログ累計200万PV達成
  3. ブログでは、式変形をとにかくていねいに記述
この記事を書いた人

Fukusuke(ふくすけ)
数学史の先生

  • 現役の中学・高校数学教員
  • 著書2冊重刷、ブログ累計200万PV達成
  • ブログでは、式変形をとにかくていねいに記述
  • 作図や文章校正、Texの打ち込みは文系妻が担当

この記事を読んでわかること

劉徽の生涯

 劉徽りゅうき(Liú Huī,3世紀頃)の正確な生没年は不明ですが、およそ3世紀頃、中国の魏晋南北朝時代に活躍したと考えられています。

 当時の中国は、三国時代を経て魏が成立し、その後に晋へと移り変わる激動の時代でした。
 政治的には不安定ながらも、学術的には活発な議論が行われていた時期です。

劉徽
劉徽
(出典:See page for author, CC BY-SA 4.0, via Wikimedia Commons)

 劉徽の生涯に関する記録は非常に少ないですが、主著である『九章算術注』の記述から、彼が当時の都であった洛陽で暦法や天文観測に関わっていたことが推測されます。

 このことから、劉徽は単なる数学者にとどまらず、広範な知的活動を行っていたことが推察されます。

劉徽の年譜

年代出来事補足
3世紀前半劉徽誕生正確な出生地・年は不明。山東地方とする説が有力
263年『九章算術』に注釈を加える『九章算術注』を完成。図形と論理による理論的解釈を示す
不詳海島算経かいとうさんけい』を著す重差術ちょうさじゅつによる測量技術を体系化
不詳割円術かつえんじゅつで円周率を計算正3072角形を用いて $~\pi=3.1416~$ を導出
不詳死亡死亡した地については不明

劉徽の活動場所

 劉徽の生まれた場所については、山東省鄒平すうへい山東省淄博しはくなど諸説あります。

 彼は魏の都であった洛陽で活動していたとされ、特に暦法や天文観測の議論に参加していたことが著作から推測されています。

 洛陽は当時の中国の学問の中心地であり、劉徽もまたこの都市で知的活動を行っていたようです。

 彼の数学的業績が実用的かつ理論的であることからも、当時の最先端の学術的環境に身を置いていたことがうかがえます。

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