タルタリア徹底解説!三次方程式の解法の発見者はカルダノではない?【数学史16-3】

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 タルタリアは、16世紀前半の北イタリアで活躍した数学者です。
 本名はニコロ・フォンタナで、「タルタリア」は吃音を持つ人を意味する通称として伝えられています。

 彼の数学者としての功績は、3次方程式のうち特殊な形の解法を見つけたことであり、その解法は後にカルダーノへ伝えられ、1545年の『アルス・マグナ』公刊につながりました。

 しかし、このことが原因でタルタリアとカルダーノは対立。
 最終的にタルタリアは数学界から姿を消すことになりました

 この記事では、彼が名を博した3次方程式の特殊系の解法だけでなく、カルダーノとの確執、悲劇的な生い立ち晩年など、タルタリアの数学史における情報を数学史の先生Fukusukeが徹底解説します。

この記事を書いた人

Fukusuke(ふくすけ)
数学史の先生

  1. 現役の中学・高校数学教員
  2. 重刷、ブログ累計200万PV達成
  3. 行間がなくなるほど丁寧な式変形で執筆中
この記事を書いた人

Fukusuke
(ふくすけ)
数学史の先生

  • 現役の中学・高校数学教員
  • は発売1ヶ月で即重刷
  • 当数学史ブログは累計200万PV達成
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この記事を読んでわかること

タルタリアの生涯

 ニコロ・フォンタナ(Niccolò Fontana , 1499年頃-1557年)は、「タルタリア(Tartaglia)」というあだ名でよく知られる、16世紀イタリアの数学者です。

ニコロ・フォンタナ(通称:タルタリア)
ニコロ・フォンタナ (通称:タルタリア)
(出典:See page for author, Public domain, via Wikimedia Commons)

 近年の研究では、「フォンタナ」という姓を使った記録はなく、自身の遺言書でも「ニコロ・タルタリア」と記名していました。

タルタリアの年譜

 タルタリアの生涯を年表形式でまとめます。

タルタリアの年譜
年代出来事補足
1499年頃誕生生年は1499年または1500年頃とされる。
1512年ブレーシャで重傷を負ったとされる父を早くに亡くして貧しい暮らしの中、フランス軍がブレーシャを占領。攻撃の際の負傷が発話障害の由来として伝えられている。
「タルタリア」と呼ばれるようになる顔の傷を隠すために髭を生やしたものの、話すのが困難であり、「タルタリア(どもり)」というあだ名で呼ばれるようになった
1516〜1518年ヴェローナで数学を教える独学で学んだ数学で才能を発揮。数学教師として生計を立てた。
1534年ヴェネツィアへ移る以後、ヴェネツィアの数学教師として活動した。
1535年2月フィオーレと数学試合を行う三次方程式の解法を初めて発見したシピオーネ・デル・フェッロの弟子がフィオーレ。
1535年2月中旬三次方程式の解法の着想を得たフィオーレとの試合中に、出題された$~x^3+x=b~$の形の三次方程式を解く方法を発見した。
1539年カルダーノに解法を伝えるカルダーノによってミラノへ招待され、秘密保持の誓約のもとで、詩の形で解法を教えたとされる。
1546年『種々の問いと発明』を刊行前年に3次方程式の解法がカルダーノによって発表されたことを受け、タルタリア自身の言い分とカルダーノへの文句を書いた。
1548年フェラーリとの公開試合カルダノの弟子がフェラーリ。『種々の問いと発明』での師への侮辱に激怒したフェラーリがタルタリアに数学試合を申し込んだ。フェラーリの才能にタルタリアは逃げ出し、タルタリア数学の表舞台から消えた。
1557年死去ヴェネツィアで貧困の中、亡くなったとされる。

タルタリア活動場所

  • ブレーシャ:生誕地と結び付けられる都市である。幼少期の負傷と「タルタリア」という呼び名の由来も、この町を舞台に語られることが多い。
  • ヴェローナ:1516年から1518年にかけて数学を教えていた場所。
  • ヴェネツィア:1530年代以降の主要な活動拠点である。数学教師で生計を立てたものの、生涯貧困であった。
  • ミラノ:1539年にカルダノに招かれて訪れた場所であり、1548年にはフェッラーリとの公開試合の舞台にもなった。
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