アルベルティの数学を解説!彼の遠近法は相似の応用だった?【数学史15-4】

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 レオン・バッティスタ・アルベルティは、イタリア・ルネサンス期を代表する「万能人」の一人です。
 建築家、著述家、芸術理論家、そして数学者として、幅広い分野でその才能を発揮しました。

 特に数学の分野では、芸術家たちが経験的に用いていた透視画法(遠近法)の理論を、史上初めて数学的に体系化した功績で知られています。
 彼の主著『絵画論』にて、「画家にとって最初に必要とされることは幾何学の知識である。」という言葉があるように、絵を描くために幾何学が必要であることを明言しました。

 この記事では、アルベルティの生涯やエピソードと共に、彼の最大の功績である透視画法の理論を、数学史の先生であるFukusukeが図や数式を使って詳しく解説します。

 物を立体的に描くために必要な数学は、中学3年生で学ぶ相似の理論だったのです。

この記事を書いた人

Fukusuke(ふくすけ)
数学史の先生

  1. 現役の中学・高校数学教員
  2. 重刷、ブログ累計200万PV達成
  3. 行間がなくなるほど丁寧な式変形で執筆中
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この記事を読んでわかること

アルベルティの生涯

 レオン・バッティスタ・アルベルティは(Leone Battista Alberti , 1404年2月14日〜1472年4月25日)は、芸術と科学が密接に結びついていたルネサンスの精神を体現した人物の1人です。

アルベルティ
アルベルティ
(出典:Uffizi Gallery, Public domain, via Wikimedia Commons)

 彼の生涯は、学問、芸術、そしてローマ教皇庁での実務と、多彩な活動に彩られていました。

アルベルティの年譜

アルベルティの年譜
年代出来事補足
1404年ジェノヴァで生まれるフィレンツェの富裕なアルベルティ一族の一員だったが、追放令によって父ロレンツィオがジェノヴァへ。この地で生まれた。
1421年ボローニャ大学に入学ボローニャ大学で法学を学ぶ中、暗記科目のストレスから解放されるために数学に取り組むようになる
1428年頃フィレンツェに移住一族への追放令が撤回され、フィレンツェへ。建築家ブルネレスキと親交を結び、建築に興味を持つ。
1432年教皇庁書記官になるローマ教皇庁の書記としてキャリアを開始。ローマの古代建築に魅了される。
1435年『絵画論』を執筆透視画法の理論を初めて体系的に記述した。ブルネレスキに多大なインスピレーションを受けた著作。
1446年パラッツォ・ルチェッライの設計を開始フィレンツェの商人ルチェッライ家の依頼で宮殿を設計。建築家としてのキャリアを本格化させる。
1452年『建築論』を教皇に献呈全10巻の建築書。古代ローマの建築家ウィトルウィウスの著作に倣った。
1460年代暗号に関する著作を執筆多表式換字(複数の換字表を切り替えながら暗号化する手法)や頻度分析(暗号解読の手法)を導入した。
1472年ローマで死去68歳で生涯を閉じる。

アルベルティの活動場所

 アルベルティは、以下のようにイタリア各地を拠点に活動しました。

  • ジェノヴァ:アルベルティが生まれた地。
  • パドヴァ:大学入学前に学んでいた場所。
  • ボローニャ:青年期に大学で法学を学ぶ。
  • フィレンツェ:ブルネレスキと出会い、芸術と建築の世界へ。フィレンツェの商人の宮殿の設計も行なっている。
  • ローマ:教皇庁に仕えながら古代建築を研究した。最期の地ともなる。
  • リミニ:教皇の随行や建築プロジェクトのために滞在した地。
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