ニコル・オレーム〜生涯と功績を解説!実は数学のグラフの発明者!【数学史11-8】

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 ニコル・オレームは、フィボナッチと並んで中世ヨーロッパ最大の数学者の一人です。

 現代では当たり前に使われているグラフの概念を初めて発明し、関数の変化を視覚的に表現するという画期的な手法を編み出しました。

 これは、のちのデカルトによる解析幾何学の創始に繋がる、数学史上の大きな一歩です。

 また、オレームの先駆的な取り組みはそれに留まらず、指数法則の提示や無限級数の研究をも行っています。

 この記事では、ニコル・オレームの生涯と彼の時代を先取りする功績について、現役教員で数学史の先生であるFukusukeが詳しく解説します。

この記事を書いた人

Fukusuke(ふくすけ)
数学史の先生

  1. 現役の中学・高校数学教員
  2. 重刷、ブログ累計200万PV達成
  3. 行間がなくなるほど丁寧な式変形で執筆中
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この記事を読んでわかること

オレームの生涯

 ニコル・オレーム(Nicole Oresme, 1320年頃 – 1382年)は、14世紀のフランスの数学者です。

ニコル・オレーム
(出典:https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Oresme-Nicole.jpg

 彼は学者としてだけでなく、聖職者や王の顧問として多岐にわたる分野で活躍しました。

 その生涯はイギリスとフランスの間で起こった百年戦争(1339年〜1453年)や黒死病の流行期間と重なりますが、混沌とした世界の中で彼は数学の発展に大きく貢献したのです。

オレームの年譜

年代出来事補足
1320年頃フランスのノルマンディー地方、カーン近郊の村で生まれる
1340年代パリ大学ナヴァール学寮で神学を学ぶ
1356年ナヴァール学寮で教育活動を行う神学や数学を教えた
1362年ルーアン大聖堂の参事に指名される長年過ごしたナヴァール学寮を去った
1364年フランス王シャルル5世の顧問となり、アリストテレスの著作などを翻訳シャルル5世の皇太子時代、オレームは彼の家庭教師をしていた
1377年リジューの司教に任命されるリジューとパリを往復するほど、パリの政治にも関与していた
1382年リジューで死去流行していた黒死病で亡くなったとも言われる

オレームの活動場所

 オレームはフランスのノルマンディー地方で生まれました。

 当時ヨーロッパの最高学術機関の一つであったパリ大学のナヴァール学寮で学び、そのまま同大学で教育活動を行ったことで彼の学問的キャリアが形成されました。

 その後はルーアンで大聖堂の参事になったり、パリでフランス王シャルル5世の宮廷に招かれたりと、多様な活躍を見せます。

 晩年は、ノルマンディー地方のリジューで司教として過ごし、その地で生涯を終えました。

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