マルティン・ルターによる宗教改革の嵐が吹き荒れる16世紀ドイツ。
この時代に、代数学の世界にも変革をもたらした人物がいました。
その名はミハエル・シュティーフェル。
彼は負の指数を扱い始めたり、複雑化する代数の世界を記号で表し始めたりした初期の数学者です。
一方で、熱心なルター派の聖職者として「世界の終わり」を予言して大騒動を起こすなど、非常に情熱的で破天荒な一面も持っていました。
この記事では、そんなシュティーフェルの波乱に満ちた生涯と功績を、数学史の先生Fukusukeが徹底解説します。
シュティーフェルの生涯
ミハエル・シュティーフェル(Michael Stifel , 1487年〜1567年4月19日)は、16世紀のドイツで代数の発展に貢献した数学者です。

(出典:See page for author, Public domain, via Wikimedia Commons)
シュティーフェルの年譜
シュティーフェルの生涯は、宗教改革という時代の大きなうねりとともにありました。修道士からルター派の牧師へ、そして大学教授へと、その人生はまさに激動の連続でした。
| 年代 | 出来事 | 補足 |
|---|---|---|
| 1487年頃 | ドイツ南部のエスリンゲンで生まれる | |
| 不明 | ヴィッテンベルク大学で修士号取得 | 1502年創立の大学で、当時は1年間の学習で学位は授与された。 |
| 1511年 | 司祭に叙任 | エスリンゲンの修道院で司祭に任命された。 |
| 1522年 | アウグスティノ修道院から逃亡 | 1517年に「95ヶ条の論題」を公開したルターを讃えたことで、カトリック教会から反発を受けて逃亡。ヴィッテンベルクに向かい、ルターの家に身を潜めた。 |
| 1523年 | ルターの推薦で牧師の職に就く | その後もいくつかの職に就いたが、反ルター派の圧力により、どれも長くは続かなかった。 |
| 1528年 | アンナブルクの教区牧師となる | 前任の牧師は亡くなったばかりで、その未亡人とシュティーフェルは結婚した。ルター自身が婚礼を執り行った。 |
| 1532年 | 終末を示すパンフレットを出版する | 世界の終わりが近いことと、教皇が反キリストであることを主張した。 |
| 1533年 | 終末予言が外れ、逮捕・投獄される | 「10月18日午前8時に世界は終わる」と予言して外し、逮捕される。 ルターの計らいにより、すぐに釈放された。 |
| 1535年 | ヴィッテンベルク大学で数学を研究し始める | ホルツドルフで教区牧師をしながらの研究。表向きは宗教的な予言を辞め、数学に才能を向け始めた。 |
| 1544年 | 『算術全書』を出版する | この年から3年間、毎年1冊のペースで数学書を書いた。 |
| 1551年 | ケーニヒスベルク大学で数学の講義を始める | ハーバーシュトローで教区牧師をしながら、大学で教えた。 |
| 1552–1553年 | ルドルフ『コス』の増補改訂版を出版する | 自身の研究を加え、元の長さの2倍以上の書となった。 |
| 1559年 | イェーナ大学の数学の教授になる | |
| 1567年4月19日 | イェーナにて逝去 |
シュティーフェルの活動場所
シュティーフェルは、その生涯でドイツ各地を転々としました。
- エスリンゲン:誕生の地。修士号取得後は修道院で司祭に任命された。
- ヴィッテンベルク:修士号を取得したヴィッテンベルク大学がある。のちに、同大学で数学の研究に本格的に取り組んだ。また、ルターとの出会いの地でもある。
- アンナブルク:牧師としてルター派の教えを広めた町。数秘術に没頭し、終末予言へとつながった。
- ホルツドルフ:牧師として働きつつ、ヴィッテンベルク大学に通った。
- ケーニヒスベルク:ケーニヒスベルク大学で数学と神学を教えた。
- ハーバーシュトロー:牧師として働きつつ、ケーニヒスベルク大学に勤務した
- イェーナ:イェーナ大学の数学教授として迎えられた。シュティーフェルがその生涯を閉じた場所でもある。
シュティーフェルの功績①:負の指数の概念を示した
シュティーフェルの最大の功績の一つは、指数の概念を大きく前進させたことです。
特に、負の指数を明確に扱った点は画期的で、のちのジョン・ネイピアによる対数へとつながりました。
負の指数まで掲載されている指数表
1544年のシュティーフェルの著書『算術全書』の中で、彼は次のような対応表を提示しました。

シュティーフェルはこの指数表から、現在の指数法則にあたる$~2^{a+b}=2^a ¥times 2^b~$に気づいています。
(1) 上段の$~2 + 3 = 5$ に対応して、下段では$~4 \times 8 = 32~$が成り立つ。

(2) 上段の$~(-2) + 3 = 1~$に対応して、下段では$~¥cfrac{1}{4} \times 8 = 2~$が成り立つ。

この指数表と指数法則の発見は、17世紀のジョン・ネイピアによる対数の発見へとつながりました。
ルドルフを超え、シュケと並んだ
ドイツの同時期の代数学者クリストフ・ルドルフも、べき乗の計算に指数を用いていましたが、負の指数については扱われていませんでした。

シュティーフェルの指数表が画期的だったのは、この対応関係を負の数にまで拡張したことです。
フランスでは、ニコラ・シュケが1484年に負の指数のアイデアを示していましたが、ドイツのシュティーフェルは独立してこの発見に至ったと考えられています。

シュティーフェルの功績②:代数の記号法を整備した
シュティーフェルが生きた時代、代数学で使われる記号はまだ統一されておらず、非常に扱いにくいものでした。
彼はこの状況を改善するため、記号法の整備に大きく貢献しました。
2次方程式を一つの形にまとめた
紀元前のバビロニア以来、2次方程式は係数の符号によって複数の「型」に分類されていました。
\begin{cases}
(1)'~&x^2-px-q=0 \\
(2)'~&x^2+px-q=0 ~~~~~~~(p,q~は正の定数) \\
(3)'~&x^2-px+q=0
\end{cases}シュティーフェルは、負の係数を認めることで、これまで3つの場合に分かれていた2次方程式の標準形を、以下の形にまとめています。
x^2 = bx + c
シュティーフェルはこの方程式の解を言葉で説明しましたが、それを数式に直すと、
x = \frac{b}{2} \pm \sqrt{\left(\frac{b}{2}\right)^2 + c}となり、中学3年生で登場する2次方程式の解の公式と同等のものとなっています。
ただ、方程式の解として負の数を認めることはしておらず、$~x^2 = bx + c~$の$~b~$と$~c~$については、以下のような考察を与えました。
二次方程式$~x^2=bx+c=0~において、$~b~$が正の数で、$~c~$が負の数であれば、2つの正の解が得られる。
ただし、$~\left( \frac{b}{2} \right)^2+c > 0 ~$が成り立つ場合のみである。
判別式$~D~$と同様の考察をしているのがわかります。
3種の二次方程式を一つにまとめ、一般的・抽象的に方程式を捉えるこのアプローチは、数概念の拡張に向けた重要な進展と評価されています。
たし算記号やひき算記号を普及させた
シュティーフェルは、現在我々が使っている加算記号「$~+~$」と減算記号「$~−~$」を積極的に用い、その普及に貢献した一人です。
彼はイタリア式の$~p~$と$~m~$の記号ではなく、同国ドイツのヨハネス・ヴィドマンが1489年に使い始めた$~+~$や$~ −~$ を用いました。

ヴィドマンは正の符号や負の符号として$~+~$や$~−~$を使っていましたが、シュティーフェルはそれらを足し算の記号や引き算の記号として普及させたのです。
未知数のべき乗の表し方を変えた
シュティーフェルは、未知数のべき乗を表す記号についても改良を試みました。
未知数が1文字だけの場合は、ルドルフと同様にドイツの伝統的なコスの記号を使用しています。
| 現在の記号 | $~x^0=1~$ | $~x~$ | $~x^2~$ | $~x^3~$ | $~x^4~$ |
| 未知数1文字目 (コスの記号) |
| 現在の記号 | $~x^5~$ | $~x^6~$ | $~x^7~$ | $~x^8~$ | $~x^9~$ |
| 未知数1文字目 (コスの記号) | β | bβ |
シュティーフェルはコスの記号に加え、複数の文字にも対応できるように文字を以下のように表しました。
| 現在の記号 | $~x^0=1~$ | $~x~$ | $~x^2~$ | $~x^3~$ | $~x^4~$ |
| 2文字目 | 1 | 1A | 1AA | 1AAA | 1AAAA |
| 3文字目 | 1 | 1B | 1BB | 1BBB | 1BBBB |
この表記法はデカルトが$~x, x^2, x^3, \ldots~$という現代的な指数表記を導入する以前の、重要な過渡的な記法であり、のちにトーマス・ハリオットも採用しました。
代数記号により連立方程式を巧みに解いた
複数の未知数を記号で表せるようになったことで、 複雑な連立方程式の問題を記号で整理することが可能になりました。
シュティーフェルはその具体的な手法を、自身の著作の中で示しています。
2つの数について、 2つの数の和にそれぞれの平方の差をかけたものが675となるようにせよ。
ただし、2つの数の差にそれぞれの平方の和をかけるならば、351になるものとする。
この2つの数はいくつであるか。
彼は自身の未知数の表し方と”gleich”(ドイツ語で「等しい」)を使って、求めたい2つの数を次のような方程式で表しています。

問題文通りに式を作る場合は、後述するように括弧を用いた式となりますが、シュティーフェルの表記法ではその術がなかったため、あらかじめ展開した形で表しました。
この2つの式を巧みに変形することによって、2つの未知数の解を求めました。
ここでは、現在の未知数の表し方によって、シュティーフェルの解法を追ってみます。
2つの数を$~x~$,$~y~$とすると、以下のように立式できる。※1
\begin{cases}
(x+y)(x^2-y^2) = 675 \\
(x-y)(x^2+y^2) = 351
\end{cases}左辺を展開することで、
\begin{cases}
x^3 + x^2y - xy^2 - y^3 = 675 \quad \cdots ①\\
x^3 - x^2y + xy^2 - y^3 = 351 \quad \cdots ②\\
\end{cases}となる。
$~①~$を13倍、$~②~$を25倍することで、
\begin{cases}
13x^3 + 13x^2y - 13xy^2 - 13y^3 = 675 \cdot 13 \\
25x^3 - 25x^2y + 25xy^2 - 25y^3 = 351 \cdot 25\\
\end{cases}であり、$~675 \cdot 13 = 351 \cdot 25 = 8775~$で右辺がそろう。
よって、
\begin{align*}
13x^3 + 13x^2y - 13xy^2 - 13y^3 &= 25x^3 - 25x^2y + 25xy^2 - 25y^3 \\
38x^2y - 38xy^2 &= 12x^3 - 12y^3 \\
38xy(x-y) &= 12(x^3 - y^3)\\
38xy(x-y) &= 12(x-y)(x^2+xy+y^2)\\
\end{align*}なので、両辺を$~12(x-y)~$でわると、($~x \neq y~$※2)
\begin{align*}
\frac{38}{12}xy &= x^2 + xy + y^2 \\\\
\frac{19}{6}xy &= x^2 + xy + y^2 \quad \cdots ③\\
\end{align*}となり、この両辺に$~xy~$を加えることで、
\begin{align*}
\frac{25}{6}xy &= x^2 + 2xy + y^2 \\\\
\frac{25}{6}xy &= (x+y)^2 \\\\
x + y &= \sqrt{\frac{25}{6}xy} \quad \cdots ④ ※3\\\\
\end{align*}が出る。
また、$~③~$の両辺から$~3xy~$をひくことで、
\begin{align*}
\frac{1}{6}xy &= x^2 - 2xy + y^2 \\\\
\frac{1}{6}xy &= (x-y)^2 \\\\
x - y &= \sqrt{\frac{1}{6}xy} \quad \cdots ⑤ ※3
\end{align*}が出るため、$~④~$と$~⑤~$をたすことで、
\begin{align*}
2x &= \sqrt{\frac{25}{6}xy} + \sqrt{\frac{1}{6}xy} \\\\
2x &= 5\sqrt{\frac{1}{6}xy} + \sqrt{\frac{1}{6}xy} \\\\
2x &= \sqrt{\frac{1}{6}xy}(5+1) \\\\
2x &= \sqrt{6xy}
\end{align*}になり、両辺を2乗することで、
\begin{align*}
4x^2 &= 6xy \\
4x &= 6y \qquad (\text{ただし、} x \neq 0 \text{ ※4}) \\
y &= \frac{2}{3}x \quad \cdots ⑥
\end{align*}という、$~x~$と$~y~$の関係式が求められる。
$~⑥~$を$~①~$に代入して、
\begin{align*}
x^3 + x^2 \cdot \frac{2}{3}x - x \cdot \left(\frac{2}{3}x\right)^2 - \left(\frac{2}{3}x\right)^3 &= 675 \\\\
x^3 + \frac{2}{3}x^3 - \frac{4}{9}x^3 - \frac{8}{27}x^3 &= 675 \\\\
27x^3 + 18x^3 - 12x^3 - 8x^3 &= 675 \cdot 27 \\\\
25x^3 &= 675 \cdot 27 \\\\
x^3 &= 27 \cdot 27 \\\\
x^3 &= 3^6 \\\\
x &= 9 \quad \cdots \text{※5}
\end{align*}$~⑥~$に代入すると、
y = \frac{2}{3} \cdot 9 = 6以上より、求める2つの数は$~6~$と$~9~$である。
※1 シュティーフェルは括弧を使って式を表すことをしなかったため、実際は最初から$~①~$と$~②~$のように展開した式で与えられた。
※2 シュティーフェルは特筆していないものの、$~x = y~$のときは、$~①~$の式が
x^3 + x^3 - x^3 - x^3 = 675
となってしまい不適。
※3 シュティーフェルは負の解は考えなかったため、正の根のみとしている。
※4 シュティーフェルは特筆していないものの、$~x = 0~$のときは$~①~$と$~②~$の式が
\begin{cases}
-y^3 = 675 \\
-y^3 = 351
\end{cases}となってしまい不適。
※5 シュティーフェルの時代は複素数がまだ確立していなかったため、ここでは実数解のみとしている。
単に1つの文字を消去して連立方程式を解くのではなく、2つの方程式を同時に操作して新しい方程式を構成し、その方程式を材料に解へと近づいていくという解法です。
記号によって式が表されているからこそ操作がしやすく、代数学における記号の重要性を感じさせてくれます。
シュティーフェルの功績③:パスカルの三角形を紹介した
シュティーフェルの著作には、「パスカルの三角形」として知られる二項係数の表が含まれています。
ただ、シュティーフェルが記したのは、各段折り返し地点までのパスカルの三角形でした。

ブレーズ・パスカルが生まれる約100年前のことであり、ヨーロッパでこの三角形が印刷された最も早い例の一つです。
よく見るパスカルの三角形において、シュティーフェルが記した部分を塗ると以下のようになります。

中国やイスラームの著作では、シュティーフェルよりも前にパスカルの三角形は発見されていましたが、シュティーフェルは自力であてはまる数を求めたと記しており、大変苦労したという感想も述べています。
シュティーフェルのエピソード:破天荒な聖職者
シュティーフェルの人生は、優れた数学者としてだけでなく、非常に情熱的で時に常軌を逸した行動をとる聖職者としての一面も持っていました。
「教皇は獣である」という証明
シュティーフェルがカトリックからルター派へ改宗した動機の一つに、彼独自の「数秘術」による証明があります。
彼は、当時の教皇レオ10世のラテン名「LEO DECIMVS」に着目しました。

(出典:Raphael, Public domain, via Wikimedia Commons)
レオ10世の綴りからローマ数字として読める文字(L, D, C, I, M, V)を取り出して合計すると$~1656~$となります。
ここから「神秘(Mysterium)」を表すMを除き、さらに「レオ X(10世)」の$~X~$を加えると、$~666~$という数字が現れます。

新約聖書の「ヨハネの黙示録」では、$~666~$は「獣の数字」とされています。
シュティーフェルはこの計算結果をもって、「教皇は獣(反キリスト)である」と結論づけ、宗教改革への信念を強めたのです。
終末予言の顚末とルターの助け
彼の最も有名なエピソードは、1533年に起こした終末予言騒動です。
彼は自身の数秘術的解釈に基づき、「1533年10月18日午前8時に世界は終わり、最後の審判が下される」と公に予言しました。
彼の教区の信者たちはこれを信じ、財産を売り払い、仕事を放棄してその日を待ちました。
しかし、当然ながらその時が来ても何も起こりませんでした。
怒った信者たちに家を襲われ、シュティーフェルは逮捕・投獄されてしまいます。
この窮地を救ったのが、彼の友人であり庇護者であったマルティン・ルターでした。

(出典:Workshop of Lucas Cranach the Elder, Public domain, via Wikimedia Commons)
ルターはシュティーフェルを釈放させ、別の町の牧師の職を斡旋しました。
この一件は、シュティーフェルの狂信的な性格を物語るエピソードとして知られています。
まとめ
ミハエル・シュティーフェルは宗教改革の激動期を生き抜き、その信念と情熱を数学へも注ぎ込んだ人物です。
- 負の整数を含めた指数の概念を、ニコラ・シュケとは独立して示した。
- 「$~+~$」「$~−~$」の記号の普及に貢献し、複数の未知数の表し方など代数記号の発展に寄与した。
- ヨーロッパ最初期に「パスカルの三角形」を出版した。
彼の数学的業績は、その後の対数や記号代数への序章を担うものとなりました。

数学者と聖職者としての二面性がすごいけど、その情熱的な性格が記号の整理だったり、パスカルの三角形の作成に役立ったのかもしれないね。



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