カルダーノ徹底解説〜『アルス・マグナ』のカルダノの公式とは?【数学史16-4】

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 ルネサンス期のイタリアで活躍したジェロラモ・カルダーノは、数学、医学、占星術など多岐にわたる分野で才能を発揮した「万能人」です。
 特に、著書『アルス・マグナ』で発表された3次方程式を求める「カルダノの公式」は、近代数学の幕開けとして歴史に名を刻んでいます。

 しかし、その輝かしい功績の裏には、解法をめぐる他の数学者との激しい愛憎劇や、家族の悲劇など、波乱万丈なドラマが隠されていました。

 この記事では、カルダーノの驚くべき生涯と、彼が数学界に残した偉大な遺産である「カルダノの公式」について、数学史の先生Fukusukeがわかりやすく解説!

 三次方程式を解く鍵は最初の式変形にありました。

📍数学史の全体像と現在地
この記事を書いた人

Fukusuke(ふくすけ)
数学史の先生

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この記事を読んでわかること

カルダーノの生涯

 ジェロラモ・カルダーノ(Gerolamo Cardano , 1501年9月24日〜1576年9月21日)は、16世紀のイタリアを代表する数学者です。
 ジロラモ・カルダノやジローラモ・カルダーノなど、いくつかの表記があります。

ジェロラモ・カルダーノ
ジェロラモ・カルダーノ
(出典:Wellcome Collection, Public domain, via Wikimedia Commons)

 彼は数学者としてだけでなく、医師としても名声を博しました。

カルダーノの年譜

カルダーノの生涯と、彼を取り巻く数学者たちの重要な出来事を年代順にまとめました。

カルダーノの年譜
年代出来事補足
1501年ジロラモ・カルダーノがパヴィアで誕生ミラノの弁護士の父と未亡人の母の間の私生児として生まれる。
1525年医学博士号を取得ミラノ医師会への入会を申請するが、粗暴な性格であることなどを理由に拒否される。
1533年ミラノに戻り数学の講義を持つピアッティ財団の公開講座で数学を教え始める。
1539年ミラノ医師会に入会を認められる後にヨーロッパ中で名声を得るトップクラスの医師となる。
1539年タルタリアから三次方程式の解法を教わる1535 年のタルタリアとフィオーレの数学試合のことを聞き、タルタリアを招待。
「決して公表しない」という誓約のもと、詩の形で秘密の解法を伝授される。
1543年デル・フェッロのノートを確認ボローニャで、タルタリアよりも前にデル・フェッロが解法を発見していた事実を確認する。
1545年『アルス・マグナ』を出版3次方程式の解法を公表した書。同書では、弟子のフェラーリが見つけた4次方程式の解法も紹介している。
1552年スコットランドへ赴き大司教を治療喘息の治療に成功し、多額の報酬とさらなる名声を得る。
1560年長男ジャンバティスタが処刑される妻殺しの罪で処刑され、カルダノは生涯この悲しみから立ち直れなかった。
1570年異端の嫌疑で投獄されるキリストのホロスコープを作成したことなどで宗教裁判にかけられる。
1576年ローマにて死去教皇の年金を得て自伝を執筆したのち、75歳で生涯を閉じる。

活動場所と時代背景

カルダーノの主な活動場所は以下の通りです。

  • パヴィア:1501年、カルダノが誕生した地。ペストから逃れるため、母がミラノから避難して彼を産んだ。
  • ミラノ:生涯の大部分を過ごした中心地。医師として活躍する傍ら、ピアッティ財団で数学を教えた。
  • パドヴァ:大学で医学を学び、優秀な成績を収めた。
  • ボローニャ:デル・フェッロのノートを発見し、後に大学の医学教授も務めた。
  • ローマ:晩年を過ごし、教皇の保護のもとで自伝を執筆した終焉の地。
  • エディンバラ(スコットランド):名医として招かれ、大司教の喘息を治療した。
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