ルネサンス期のイタリアで活躍したジェロラモ・カルダーノは、数学、医学、占星術など多岐にわたる分野で才能を発揮した「万能人」です。
特に、著書『アルス・マグナ』で発表された3次方程式を求める「カルダノの公式」は、近代数学の幕開けとして歴史に名を刻んでいます。
しかし、その輝かしい功績の裏には、解法をめぐる他の数学者との激しい愛憎劇や、家族の悲劇など、波乱万丈なドラマが隠されていました。
この記事では、カルダーノの驚くべき生涯と、彼が数学界に残した偉大な遺産である「カルダノの公式」について、数学史の先生Fukusukeがわかりやすく解説!
三次方程式を解く鍵は最初の式変形にありました。
カルダーノの生涯
ジェロラモ・カルダーノ(Gerolamo Cardano , 1501年9月24日〜1576年9月21日)は、16世紀のイタリアを代表する数学者です。
ジロラモ・カルダノやジローラモ・カルダーノなど、いくつかの表記があります。

(出典:Wellcome Collection, Public domain, via Wikimedia Commons)
彼は数学者としてだけでなく、医師としても名声を博しました。
カルダーノの年譜
カルダーノの生涯と、彼を取り巻く数学者たちの重要な出来事を年代順にまとめました。
| 年代 | 出来事 | 補足 |
|---|---|---|
| 1501年 | ジロラモ・カルダーノがパヴィアで誕生 | ミラノの弁護士の父と未亡人の母の間の私生児として生まれる。 |
| 1525年 | 医学博士号を取得 | ミラノ医師会への入会を申請するが、粗暴な性格であることなどを理由に拒否される。 |
| 1533年 | ミラノに戻り数学の講義を持つ | ピアッティ財団の公開講座で数学を教え始める。 |
| 1539年 | ミラノ医師会に入会を認められる | 後にヨーロッパ中で名声を得るトップクラスの医師となる。 |
| 1539年 | タルタリアから三次方程式の解法を教わる | 1535 年のタルタリアとフィオーレの数学試合のことを聞き、タルタリアを招待。 「決して公表しない」という誓約のもと、詩の形で秘密の解法を伝授される。 |
| 1543年 | デル・フェッロのノートを確認 | ボローニャで、タルタリアよりも前にデル・フェッロが解法を発見していた事実を確認する。 |
| 1545年 | 『アルス・マグナ』を出版 | 3次方程式の解法を公表した書。同書では、弟子のフェラーリが見つけた4次方程式の解法も紹介している。 |
| 1552年 | スコットランドへ赴き大司教を治療 | 喘息の治療に成功し、多額の報酬とさらなる名声を得る。 |
| 1560年 | 長男ジャンバティスタが処刑される | 妻殺しの罪で処刑され、カルダノは生涯この悲しみから立ち直れなかった。 |
| 1570年 | 異端の嫌疑で投獄される | キリストのホロスコープを作成したことなどで宗教裁判にかけられる。 |
| 1576年 | ローマにて死去 | 教皇の年金を得て自伝を執筆したのち、75歳で生涯を閉じる。 |
活動場所と時代背景
カルダーノの主な活動場所は以下の通りです。
- パヴィア:1501年、カルダノが誕生した地。ペストから逃れるため、母がミラノから避難して彼を産んだ。
- ミラノ:生涯の大部分を過ごした中心地。医師として活躍する傍ら、ピアッティ財団で数学を教えた。
- パドヴァ:大学で医学を学び、優秀な成績を収めた。
- ボローニャ:デル・フェッロのノートを発見し、後に大学の医学教授も務めた。
- ローマ:晩年を過ごし、教皇の保護のもとで自伝を執筆した終焉の地。
- エディンバラ(スコットランド):名医として招かれ、大司教の喘息を治療した。
カルダーノの功績①:3次方程式の解法を発表した
カルダーノの最大の功績は3次方程式の解法を著書『アルス・マグナ』の中で発表したことです。
その解法は3次方程式の解の公式とも呼べるもので、解ける方程式の次数が約3000年ぶりに増えました。

1545年の『アルス・マグナ』で発表された
カルダーノの数学的功績は、1545年に出版された著書『アルス・マグナ(偉大なる術)』で語られています。
この本の中で、彼は3次方程式の一般的な解法と、弟子のルドヴィコ・フェッラーリが発見した4次方程式の解法を体系化して発表しました。

(出典:JCSantos, Public domain, via Wikimedia Commons)
2次方程式の解法は3000年以上前のバビロニアでも知られ、中世イスラームではアル・フワーリズミーなどが体系的に説明していました。
しかし、3次方程式については、『スンマ』でこの時代のヨーロッパに大きな影響力を誇ったルカ・パチョーリが、一般的な解法は存在しないと主張していたこともあり、3次方程式を解くことは不可能だと考えられていました。
カルダーノがこれを打ち破り、さらに4次方程式の解法まで世に広めたことで、ヨーロッパの数学は大きく前進し、この1545年が「近代数学の始まり」としばしば評価されています。
すべての3次方程式に解を与えたカルダノの公式
それでは、カルダーノが公表した3次方程式の解法(カルダノの公式)を、代数的な式変形で丁寧に追ってみましょう。
彼の時代は依然、負の数が嫌われていたため、3次方程式をいくつかの型に分類していましたが、ここでは現在の表し方で記しています。
三次方程式
ax^3+bx^2+cx+d=0~~~~~~(a\neq0)
を変形してできる三次方程式
y^3+py+q=0
の解は以下の式で求められる。(※1)
\begin{align*}
y&=\sqrt[3]{-\frac{q}{2}+\sqrt{\left( \frac{q}{2} \right)^2+\left( \frac{p}{3} \right)^3}} +\sqrt[3]{-\frac{q}{2}-\sqrt{\left( \frac{q}{2} \right)^2+\left( \frac{p}{3} \right)^3}}\\
\end{align*}この$~y~$を$~x~$にもどすことで、元の三次方程式の解も求められる。
※1当時は複素数の存在が知られていなかったため、解は1つだけで満足された。実際は、以下の2つも解となる。
\begin{align*}
y&=\omega~\sqrt[3]{-\frac{q}{2}+\sqrt{\left( \frac{q}{2} \right)^2+\left( \frac{p}{3} \right)^3}} +\omega^2~\sqrt[3]{-\frac{q}{2}-\sqrt{\left( \frac{q}{2} \right)^2+\left( \frac{p}{3} \right)^3}}\\
\\
y&=\omega^2~\sqrt[3]{-\frac{q}{2}+\sqrt{\left( \frac{q}{2} \right)^2+\left( \frac{p}{3} \right)^3}} +\omega~\sqrt[3]{-\frac{q}{2}-\sqrt{\left( \frac{q}{2} \right)^2+\left( \frac{p}{3} \right)^3}}\\
\\
\end{align*}(ただし、$~\omega=\displaystyle \frac{-1+\sqrt{3}i}{2}~$)
実は、$~y^3+py+q=0~$と変形してから先の解法は、ニコロ・フォンタナ・タルタリアから聞いたものです。
さらに言えば、タルタリアよりも前に、パチョーリの同僚であったシピオーネ・デル・フェッロが知っていたとされています。
カルダノはすべての3次方程式の形$~ax^3+bx^2+cx+d=0~$を$~y^3+py+q=0~$の形に変形できるようにする術を与えたとされ、3次方程式の解法がここに完成しました。
詳しい証明方法や式変形の方法については別記事で紹介していますので、こちらをご覧ください↓↓

カルダノの公式の適用例
カルダノ自身が『アルス・マグナ』で取り上げた具体的な方程式を解いてみましょう。
3次方程式$~x^3+6x=20~$を解く。
この方程式は $~p = 6,~q = -20~$ の場合のため、公式に当てはめるために、以下の計算をまずは行う。
\frac{p}{3} = \frac{6}{3} = 2\frac{q}{2} = \frac{-20}{2} = -10これらを公式に代入する。
\begin{align*}
x &= \sqrt[3]{-(-10)+\sqrt{(-10)^2 + 2^3} } - \sqrt[3]{-(-10)-\sqrt{(-10)^2 + 2^3}} \\
&= \sqrt[3]{10+\sqrt{100 + 8}} - \sqrt[3]{10-\sqrt{100 + 8}} \\
&= \sqrt[3]{10+\sqrt{108}} - \sqrt[3]{10-\sqrt{108}}
\end{align*}ここで、 $~10+\sqrt{108} = (\sqrt{3} +1)^3~$ 、 $~10-\sqrt{108} = (\sqrt{3} – 1)^3~$ であることから、
\begin{align*}
x&= \sqrt[3]{(\sqrt{3} +1)^3} - \sqrt[3]{(\sqrt{3} - 1)^3} \\
&=(\sqrt{3} + 1)-(\sqrt{3} - 1) \\
&=2
\end{align*}と変形できるため、この3次方程式の解は$~2~$と求められた。
実際に $~x = 2~$ を元の方程式に代入すると、$~2^3 + 6 \times 2 = 8 + 12 = 20~$ となり、正しい解であることがわかります。
カルダーノの功績②:虚数や確率論への扉を開いた
カルダーノが発見した三次方程式の解法、そして彼の破天荒な性格が後の数学の発展につながりました。
「足して10、掛けて40」の謎
カルダーノの3次方程式の解法では、$~p~$と$~q~$の組み合わせ次第で、$~\sqrt{~~}~$の中が負の数になってしまうことがあります。
カルダノは著書の中で$~\sqrt{~~}~$の中の負の数について触れており、それが後の虚数の研究へとつながりました。
『アルス・マグナ』の中で、カルダノは具体的に次のような問題を提示しています。
たして$~10~$、かけて$~40~$になる2つの数を求めよ。
2つの数を$~x~,~y~$とすれば、次の連立方程式が成り立つ。
\begin{cases}
x + y &= 10 \\
xy&=40
\end{cases}1つ目の式を$~y~$について解いた$~y = 10 – x~$ を、2つ目の式に代入すると、
\begin{align*}
x(10 - x) &= 40 \\
x^2 - 10x + 40 &= 0
\end{align*}
であり、解の公式を使うと、
x = \frac{10 \pm \sqrt{100 - 160}}{2} = 5 \pm \sqrt{-15}となるため、2つの数は $~5 + \sqrt{-15}~$ と $~5 – \sqrt{-15}~$ である。
当時、ルートの中にマイナスが入ることは「あり得ない」と考えられていました。
しかしカルダノは、「精神的な苦痛を捨て去り」、この2つの数を掛け合わせてみました。
\begin{align*}
(5 + \sqrt{-15})(5 - \sqrt{-15}) &= 5^2 - (\sqrt{-15})^2 \\
&= 25 - (-15) \\
&= 40
\end{align*}見事に積が40になることを確認したカルダノですが、彼はこれを「とても洗練されているが同じくらい無用でもある」と評し、深く追求することはありませんでした。
しかし、この「仮想の数」への言及が、後の数学者たちに複素数という新しい世界を切り拓くきっかけを与えたのです。
ギャンブル好きが生んだ確率論
カルダノは生涯を通じてチェスやサイコロなどのギャンブルを好みました。
時にはギャンブルで生計を立てようとしたり、いかさまを疑って相手をナイフで切りつけたりするほどのめり込んでいました。
しかし、彼の天才的な頭脳は、ギャンブルの勝ち負けを単なる「運」で片付けませんでした。
彼はサイコロの出目などを支配する数学的な法則があると考え、著書『Liber de Ludo Aleae(サイコロ遊びについて)』を執筆しました。
これは、17世紀のフランスの数学者ブレーズ・パスカルやピエール・ド・フェルマーが確率論を本格的に研究するよりもずっと前に書かれた、確率論に関する史上初の研究書とされています。
カルダーノのエピソード①:彼なりの義理を通した
タルタリアとの誓約と裏切り
先述の通り、カルダノの公式の核となる解法は、タルタリアから教わったものです。
カルダーノが『アルス・マグナ』で自身の公式として発表するまで、以下のような歴史がありました。
| 年代 | 出来事 | 備考 |
|---|---|---|
| 1494年 | ルカ・パチョーリが三次方程式の一般的な解法はないと述べる。 | 広く出版されたパチョーリの著書『スンマ』での言及のため、大きな影響力があった。 |
| 16世紀はじめ頃 | シピオーネ・デル・フェッロが3次方程式の解の公式(特殊形)を発明する。 | 3次方程式の中でも$~x^3+px+q=0~$の形を解く方法であった。 |
| 1526年頃 | フェッロが晩年、フィオーレとナーヴェに解の公式(特殊形)を伝える | |
| 1535年 | タルタリアがフィオーレに数学試合で勝つ | タルタリアの名声がカルダーノの耳に届くようになる |
| 1539年 | タルタリアがカルダーノに解の公式(特殊形)を詩の形式教える。 | 仮に情報が流出しても、見た人が3次方程式の解の公式だとわからないように詩の形式にした。このとき、カルダーノはタルタリアよりも先に解の公式を発表してはならないという誓約を結んでいる。 |
| 1543年 | カルダーノがデル・フェッロのノートを確認 | カルダーノと弟子のフェラーリは、三次方程式の解の公式をタルタリアよりも前に知っていた人物がいたという情報を得て、ナーヴェを訪ねた。 |
| 1545年 | カルダーノが『アルス・マグナ』を出版 | 一般的な3次方程式を$~x^3+px+q=0~$に変形する術を含め、解の公式を紹介した。タルタリアは誓約が破られたことで激昂した。 |
| 1546年 | タルタリアがカルダノを非難 | |
| 1547年 | フェラーリがタルタリアを非難 | フェラーリは4次方程式の解法の発見者でもあり、タルタリアは負けを悟って逃げ出した。 |
| 1548年 | フェラーリがタルタリアに数学試合で勝つ | これにより、タルタリアは数学の表舞台から消えた。 そして、三次方程式の解法はカルダーノのものとして認識されるようになった。 |
カルダーノのエピソード②:悲劇に満ちた晩年
スコットランドの大司教の治療により名医として、また『アルス・マグナ』出版により一流の数学者として、ヨーロッパ中に名を轟かせたカルダーノ。
しかし、晩年は不幸の連続でした。
- 1546年、最愛の妻を早くに亡くす。
- 1560年、長男ジャンバティスタは、妻を毒殺した罪で処刑される。カルダーノは犯罪者の父として扱われるようになる。
- 次男アルドはギャンブルに溺れてカルダーノの家から窃盗を働き、カルダーノ自身の通報によって追放される。
- 1570年、カルダーノはイエス・キリストの星占い(ホロスコープ)を作成したことなどが原因で、異端の嫌疑をかけられ投獄される。
タルタリアも悲劇の人生を送ったことで有名ですが、その原因ともなったカルダーノ自身の人生も悲劇的なものだったのです。
なお、カルダノは「自身の正確な死亡日を占いで予言し、それを的中させるために自ら命を絶った」という伝説も残っています。
まとめ
この記事では、ジェロラモ・カルダーノの生涯と功績について徹底解説しました。
- ルネサンス期に数学だけでなく医療の分野でも活躍した万能人
- 『アルス・マグナ』で3次方程式の解法(カルダノの公式)を発表した
- 史上初めて「虚数」に関する計算を書き残した
- ギャンブル好きが確率論の著書へとつながった
- 家族の死や投獄など悲劇的な晩年を送った

破天荒で野心にあふれた人柄で、数学への探究心は人一倍だった人なんだね。




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