ニコラ・シュケ徹底解説!ヨーロッパの代数学への影響とは?【数学史15-2】

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 ニコラ・シュケは、15世紀フランスの数学者です。

 彼はヨーロッパの数学史、特に代数学の分野で数々の先駆的な業績を残しましたが、その主著『三部作』(Triparty en la science des nombres)は長らく印刷されず、彼の功績は400年もの間、歴史の影に埋もれていました。

 この記事では、指数表記の発明、負の数や無理数の導入など、時代を先取りしたシュケの功績を、彼の生涯や著作とともに現役教員で数学史の先生であるFukusukeが詳しく解説します。

この記事を書いた人

Fukusuke(ふくすけ)
数学史の先生

  1. 現役の中学・高校数学教員
  2. 重刷、ブログ累計200万PV達成
  3. 行間がなくなるほど丁寧な式変形で執筆中
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Fukusuke(ふくすけ)
数学史の先生

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この記事を読んでわかること

ニコラ・シュケの生涯

 ニコラ・シュケ(Nicolas Chuquet, 1445年頃〜1488年)は、晩年に代数学書『三部作』を書いたことで有名なフランスの数学者です。

 ただ、彼に関する確かな情報はほとんどわかっていません。

ニコラ・シュケの年譜

年代出来事補足
1445年頃パリで生まれたと推定される生年・出生地ともに確かな記録はない。
不明パリで医学士の学位を取得医師として開業できる資格ではなく、医者として活躍した記録は見つかっていない。
1480年頃リヨンへ移住当時のリヨンは商業都市であった
1484年主著『三部作』を完成させる出版されたのは1880年。ただ、弟子のラ・ロシュにより、16世紀以降のヨーロッパに影響を与えた。
1488年リヨンで死去

ニコラ・シュケの活動場所

 シュケは自身を「パリ人」と記しており、生涯の大部分をパリで過ごしたと考えられています。
 しかし、彼の数学者としての活動が本格化するのは、1480年頃に移り住んだフランス南東部の商業都市リヨンにおいてでした。

 当時のリヨンは、イタリアとの交易で栄える国際都市であり、銀行業や印刷業が発展し始めていました。
 シュケはおそらく、リヨンの人々に応えるために『三部作』を書き、彼自身の名を数学史に残しました。

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