2m先のゴールには、いくら進んでもたどり着けない
こんな直感に反する状況を、さも当たり前のように示したのが「二分法のパラドックス」です。
この記事では、
- 「二分法のパラドックス」って何?
- 誰が何のために発案したの?
- パラドックスはどうすれば解決できるの?
という疑問を解消するために、パラドックスの内容とその解決方法、そしてそのパラドックスが提示された歴史的文脈について、数学教員がわかりやすく解説しています。
この記事を読むことで、二分法のパラドックスを深く理解することができます。
二分法のパラドックスとは?
「二分」というのは「半分に分けること」。
二分法のパラドックスとは、距離を半分に分けていったときに生じるパラドックス(矛盾)のことです。
目的地に永遠にたどり着けない矛盾
二分法のパラドックスは、ゼノンが提示した一連のパラドックスの中でも特に知られています。
- $~A~$から$~B~$まで移動するとき、
- $~A~$と$~B~$の中間点である$~C~$を経由する必要がある。
- $~C~$から$~B~$まで移動するとき、中間点である$~D~$を経由する必要がある。
- $~D~$から$~B~$まで移動するとき、中間点である$~E~$を経由する必要がある。
- これを無限に繰り返していくと、無限個の経由地点が必要であり、有限の時間内に到達するのは不可能である。

より具体的に考えてみましょう。
$~AB=2~$m の距離を移動することを考える。
- $~A~$から$~2~$m先にある$~B~$まで移動するとき、
- $~1~$m進み、$~C~$に到達する。
- $~0.5~$m進み、$~D~$に到達する。
- $~0.25~$m進み、$~E~$に到達する。
- 常に残りの距離の半分を進むことになるため、$~B~$に到達することはできない。

この説明によれば、たった$~2~$mの距離を走り切ることが不可能になります。
現実では当然あり得ないことなので、その感覚のズレが「パラドックス(矛盾)」という名につながっています。
哲学者ゼノンが提起したパラドックスの1つ
二分法のパラドックスは、古代ギリシャの哲学者ゼノン(Zeno , B.C.490頃-B.C.430頃)によって提起されました。

(出典:Jan de Bisschop, CC0, via Wikimedia Commons)
当時のギリシャ数学を引っ張っていたデモクリトスなどのミレトス派の考え方に対し、エレア派のゼノンは二分法のパラドックスをはじめとする4つのパラドックスを提示することで、ミレトス派を論破したのです。
デモクリトス空間の根源は点、時間の根源は瞬間!
これで運動の連続性を説明できる。



でも、無限個の点で距離を分割すると、$~2~$mの距離すら走り切れないことが説明できちゃうよ。



うぅ‥‥。
ゼノンが提示したパラドックスにより、その後の数学者たちは無限や無限小を考える際に慎重な思考が求められました。


二分法のパラドックスはどう解決されるのか?
紀元前のギリシャでは、二分法のパラドックスに対する反論はできませんでした。
しかし、現代数学における無限の考え方を使うと解決されます。
残りの距離は限りなく0に近づく
二分法のパラドックスの例で考えたとき、$~n~$回目の経由地に達した後の残りの距離は、$~\displaystyle \frac{1}{2^{n-1}}~$mと表すことができます。


この$~n~$を限りなく大きくし、無限大に近づけると、
\lim_{n\to \infty}\frac{1}{2^{n-1}}=0となるため、残りの距離は$~0~$mに限りなく近づくことがわかります。
ただし、これだけでは「ゴールに近づいている」ことを示しただけです。
そこで次に、進んだ距離の合計と、それに対応する所要時間の合計を考えてみましょう。
無限等比級数による解決
残りの距離ではなく、進んだ距離の合計を求めることでも、二分法のパラドックスは解決に導けます。
$~2~$mの距離を進む二分法のパラドックスの例において、各段階で進む距離は
1~,~\frac{1}{2}~,~\frac{1}{4}~,~\frac{1}{8}~,~\cdotsという等比数列をなし、この数列の和、すなわち無限等比級数の和は公比$~r~$が$~-1 \le r \le 1~$を満たすため収束します。
具体的には、初項$~1~$、公比$~\displaystyle \frac{1}{2}~$なので
\begin{align*}
1+\frac{1}{2}+\frac{1}{4}+\cdots &=\frac{1}{1-\frac{1}{2}} \\
\\
&=\frac{1}{\frac{1}{2}} \\
\\
&=2~(m)
\end{align*}となり、ゴールにたどり着いていることがわかります。
無限に数をたしても、その和が無限になるとは限らないという点が、このパラドックスの解決の鍵です。
有限時間内に無限個の点を通過できるのか?
上記の説明で、「距離の合計が 2 m になることはわかったけれど、有限の時間内に無限個の中間点を通過できるのか?」という疑問が出てくるかもしれません。
この疑問に答えるには、距離だけでなく時間も同じように考える必要があります。
$~2~$mの距離を進む二分法のパラドックスの例において、進む人の速さを毎秒$~2~$mとすると、<図5>のように各段階で時間を要します。


$~2~$mを走り切るまでに、必要な時間の合計は
\begin{align*}
\frac{1}{2}+\frac{1}{4}+\frac{1}{8}+\cdots &=\frac{\frac{1}{2}}{1-\frac{1}{2}} \\
\\
&=\frac{\frac{1}{2}}{\frac{1}{2}} \\
\\
&=1~(秒)
\end{align*}となり、有限の時間内にたどり着くことができました。
二分法のパラドックスでは「無限個の点を通るから有限時間では無理」と考えてしまいがちですが、現代数学では、無限個の距離や時間の和が有限値に収束することによって、この矛盾を解消しているのです。
面積でパラドックスをとらえる
進んだ距離の合計
1+\frac{1}{2}+\frac{1}{4}+\frac{1}{8}+\cdotsという無限に続く計算を、長方形の面積で表すと次のような図となります。


面積$~1~$の正方形に始まり、その半分の長方形をたし、さらにその半分の長方形をたし‥‥と無限に繰り返した場合、全体の面積が無限に大きくなることはなく、その和は$~2~$に収束します。
無限の小さな部分が合わさっても、有限の全体を形成するということが直感的にわかるでしょう。
まとめ:無限に数を足しても、無限大になるとは限らない
二分法のパラドックスは、無限という概念が直感に反することを示す古典的な例です。
- 運動の連続性を主張するミレトス派に対し、エレア派のゼノンが提示したパラドックスの1種。
- 無限に数をたしても、無限大になるとは限らないところがパラドックスのミソ。
- 無限個の区間を考えても、距離の和だけでなく所要時間の和も有限値に収束するため、「無限個の中間点があるから有限時間では到達できない」という結論は成り立たない。



数学を知らないと、永遠に到達できないことを納得させられちゃいそう。



ゼノンのパラドックスを解決する術が無かったため、これ以降の数学者たちは無限を恐れてしまったんだ。




コメント
コメント一覧 (4件)
極限や無限等比級数を使用したところで、ゼノンがいう「有限の時間内に無限の点を経由することはできない」という主張には反論できていないと思いますが…
コメントありがとうございます。
ご指摘の通り、単に「距離の無限等比級数が 2 に収束する」と述べるだけでは、「有限時間内に無限個の経由地点を通過できるのか」というゼノンの主張に十分答えたことにはなりません。コメントを受け、記事内で補足が必要だと感じました。
そこで、速さを毎秒2mと設定したうえで、2mを進むためにかかる時間が$~\displaystyle \frac{1}{2}+\frac{1}{4}+\frac{1}{8}+\cdots=1~$秒と有限の値になることを付記いたしました。
ご指摘いただきありがとうございました。
今後ともどうぞよろしくお願い申し上げます。
Fukusuke
この記事で紹介されている極限と無限級数の解決策についてなのですが、そもそも極限というのは、ある値に「近づいている」ということを定義したものではないのですか?
無限級数の和も第n部分和の極限として定義されているので主張してることは単にゴールに近づいているとしか言えないのではないでしょうか?
オムライス様
とても鋭いご質問をありがとうございます。
おっしゃる通り、極限というのは「ある値に限りなく近づいていく」ことを定義したものであり、その意味では「近づいている」ことを表しているにすぎない、というのは正しいご理解です。
ただし、記事で紹介しているような「ゼノンの二分法のパラドックス」の解決では、数学ではその“近づく先”を「実際に到達した値」として定義するという立場をとっています。
ご存知の通り、無限級数の和は、第$~n~$項までの部分和$~S_n~$の極限として、$~\displaystyle \lim_{n \to \infty}S_n~$のように定義されますが、「部分和がある値に近づいていく」ことを「その値に等しい」とみなしているわけです。
したがって、数学的には「ゴールに近づいているだけ」ではなく、”極限値として到達している”と扱うことができます。
この定義によって、「無限に分割しても目的地に到達できる」というゼノンのパラドックスが論理的に解消される、というのが記事の主旨です。
直感的には「ずっと近づいているだけで、到達していないのでは?」と感じられるのは自然なことですが、数学の立場では「極限によってその到達を定義する」ことで、無限の過程と有限の結果の矛盾をうまく扱えるようになっている、という点がポイントです。