ヨルダヌス・ネモラリウスは、13世紀に活躍した中世ヨーロッパの数学者・天文学者です。
同時代にフィボナッチがいるため、ヨルダヌスの名はかすんでしまうことが多いものの、数を文字で表して一般的な証明をするという、近世以降の代数的手法を先立って行ったという功績があります。
また、力学の分野でも「静力学の創始者」と称されるほどの大きな功績を残しました。
この記事では、謎に包まれたヨルダヌスの生涯と、彼が成し遂げた画期的な功績、そしてその後の科学に与えた影響について、現役数学教員で数学史の先生であるFukusukeが分かりやすく解説!
この記事を読めば、中世ヨーロッパにおいて、ヨルダヌスがどのような役割を果たしたのかが理解できます。
ヨルダヌスの生涯
ヨルダヌス・ネモラリウス(Jordanus Nemorarius , 12世紀末〜1237年没または1225年〜1260年頃没)は、中世ヨーロッパで活躍した数学者です。
実は、彼の生涯についてはほとんど知られていません。
後述の通り、ヨルダヌス・ネモラリウスという名前自体、偽名かもしれないという謎に包まれた人物なのです。
ヨルダヌスの年譜
確かな記録が少ないため、彼の年譜は不明な点が多いですが、知られている範囲でまとめたものが次の年譜です。
| 年代 | 出来事 | 補足 |
|---|---|---|
| 12世紀末〜13世紀初頭 | ドイツのボルゲントライヒで生誕 | 正確な生没年は不明 |
| 1220年頃 | パリ大学で教鞭をとっていたとされる | |
| 1222年 | ドミニコ会の総長に選出される | 別人の可能性もある |
| 1237年 | 船の難破事故で死去したとされる | 別人の可能性もある |
ヨルダヌスの活動場所
ヨルダヌスは、ドイツのボルゲントライヒ(ヴェストファーレン州)で生まれたとされています。
その後、12世紀中頃に創立されたパリ大学の影響で、学問が栄えていたパリに勉強に行きました。
パリ大学で教鞭をとり、多くの学者たちと交流しながら研究を進めていたと推測されています。
ヨルダヌスはドミニコ会(カトリックの修道会)に所属しており、聖地(エルサレムなど?)からの帰りに海上で亡くなったとされているため、地中海にその亡骸があると考えられます。(別人の可能性あり)
ヨルダヌスの功績:数を文字で表して一般的に証明した
ヨルダヌスの最大の功績は、数を文字(アルファベット)で表現し、一般的な形で問題を解くという、記号代数学の先駆けとなる手法を導入したことです。
著書『与えられた数について』
彼の数学における最高傑作とされるのが、全4章からなる『与えられた数について(De numeris datis)』です。
この著作で、ヨルダヌスはアラビア数学、特にアル=フワーリズミーの影響を受けつつ、ユークリッドに倣って命題を一般的な形で表しました。
『与えられた数について』の最初の問題を見てみましょう。
与えられた数が二つの部分に分けられ、その差が与えられているとき、各部分もまた与えられる。
ヨルダヌスは次のように証明しています。
小さい部分と差との和が、大きい部分に等しいということである。
よって小さい部分に自分自身、それに差を加えると全体になる。
これより、全体から差を引き去ると小さい部分の$~2~$倍が残る。
そこで$~2~$で割ると、小さい部分が得られ、また大きい部分も得られる。
簡単な演算については、上記のように言葉で表されました。
現代の記号を用いると、ヨルダヌスがどんな計算を行っているのかがわかります。
与えられた数$~N~$が、大きい部分$~x~$と小さい部分$~y~$に分けられ、その差$~D~$が与えられている。
\begin{cases}
x+y&=N \\
x-y&=D
\end{cases}このとき、小さい部分と差との和が、大きい部分に等しい。
y+D=x
よって小さい部分に自分自身、それに差を加えると全体になる。
y+y+D=y+x=N
これより、全体から差を引き去ると小さい部分の$~2~$倍が残る。
\begin{align*}
2y+D&=N \\
2y+D-D&=N-D \\
2y&=N-D
\end{align*}そこで$~2~$で割ると、小さい部分が得られ、また大きい部分も得られる。
\begin{align*}
y&=\frac{N-D}{2} \\
\\
x&=N-y \\
&=N-\frac{N-D}{2} \\
&=\frac{N+D}{2}
\end{align*}ヨルダヌスの説明は、具体的な数値ではなく一般的な解法を代数的に示すという、非常に画期的なアプローチでした。
文字を使って証明を行った
ヨルダヌスの『与えられた数について』が画期的だった点は、一般的な証明を文字で行ったことにありました。
3章に登場する命題を見てみましょう。
与えられた数が二つの部分に分けられ、両者を掛け合わせた積も与えられているとき、両方の部分は必ず決定される。
ヨルダヌスはこの命題を文字で証明したものの、ヨルダヌスの文字式の表し方には、以下のような特徴がありました。
- 既知数は$~a~,~b~,~c~$、未知数は$~x~,~y~,~z~$ではなく、登場順にアルファベット順
- $~+~$や$~-~$の演算記号はない
- $~ab~$が一つの数を表すこともあれば、足し算を表すこともある
- アラビア数字は使わず、ローマ数字を使った
上記の特徴を持つ文字式により、彼が提示した命題の証明は以下のようなものです。
与えられた数$~abc~$が、$~ab~$と$~c~$という二つの部分に分けられたとする。
$~ab~$と$~c~$の積を$~d~$とする。
$~abc~$のそれ自身との積を$~e~$とする。
$~f~$を$~d~$の$~4~$倍、$~g~$を$~e~$と$~f~$の差とする。
このとき、$~g~$は$~ab~$と$~c~$の差の平方で、その平方根は$~ab~$と$~c~$の差である。
これにより、二つの数$~ab~$と$~c~$の差と和がそれぞれ与えられたので、『与えられた数について』1章命題1により、$~ab~$と$~c~$がそれぞれ決定する。
ヨルダヌスの解説を、現代の記号で表すと、次のような考え方であることがわかります。
与えられた数$~N~$(ヨルダヌスは$~abc~$で表現した)が、大きい部分$~a~$(ヨルダヌスは$~ab~$で表現した)と小さい部分$~c~$に分けられたとする。($~a+c=N~$)
\begin{cases}
d&=ac \\
e&=(a+c)^2 \\
f&=4d \\
g&=e-f
\end{cases}とおくと、
g=(a-c)^2~~\cdots(*)
が成り立つことから、
\begin{align*}
a-c&=\sqrt{|g|}
\end{align*}が求められる。
以上から、『与えられた数について』1章命題1の形となったため、解を出すことができる。
\begin{cases}
a+c&=N \\
a-c&=\sqrt{|g|}
\end{cases}$~(*)~$の部分については、以下の恒等式を利用しています。
(a-c)^2=(a+c)^2-4ac
現在の方法とは違うものの、文字を使うことは代数学の発展に不可欠で、ヨルダヌスの著書にはその萌芽が見られるところに歴史的意義があります。
現代的な文字の使用については、16世紀のヴィエトや17世紀のデカルトを待つことになります。
二次方程式の解法を代数で証明した
ヨルダヌス以前のヨーロッパ数学では、ギリシャの伝統を引き継ぎ、幾何学的な手法で問題を解くのが一般的でした。
アラビアのフワーリズミーも以下のような図形によって、2次方程式$~x^2+21=10x~$を解いています。

しかし、ヨルダヌスは、このような幾何学的な図に頼らず、純粋に数と文字の関係だけで証明してみせました。
ある数の平方に与えられた数が加えられるとき、その和が根と別の与えられた数との積に等しければ、二つの解がありうる。
これを現代の記号で表すと、二次方程式$~x^2+c=bx~$が(正の)解を2つ持っていることを示す命題です。
そして、ヨルダヌスは次のように一般的に証明しました。
二次方程式$~x^2+c=bx~$において、次の数を用意する。
\begin{align*}
f&=\left(\frac{1}{2}b\right)^2 \\
g&=\pm{\left(x-\frac{1}{2}b\right)}
\end{align*}このとき、
\begin{align*}
x^2+c+g^2&=x^2+c+x^2-bx+\frac{1}{4}b^2 \\
&=bx+x^2-bx+f \\
&=x^2+f
\end{align*}なので、
f=c+g^2
がわかる。
これを変形すると、
\begin{align*}
g^2&=f-c \\
\left(x-\frac{1}{2}b\right)^2&=\left(\frac{1}{2}b\right)^2-c \\
x-\frac{1}{2}b&=\pm \sqrt{\left(\frac{1}{2}b\right)^2-c} \\
x&=\frac{1}{2}~b\pm \sqrt{\left(\frac{1}{2}b\right)^2-c} \\
\end{align*}となり、2つの解が求められる。
最後に出てきた式は、二次方程式の解の公式と同義です。
また、ヨルダヌスは以下のような具体例も挙げています。
$~x^2+8 = 6x~$を解くにあたり、$~6~$の半分を平方して $9$ を得て、さらに $8$ が引かれて $1$ が得られる。($~\left(\frac{1}{2}b\right)^2-c~$の部分)
$1$ の平方根は $1$ で、これが $x$ と $3$ の差である。
よって $x$ は $2$ か $4$ のどちらかでありうることがわかる。
この代数的手法は、ヨーロッパ数学が幾何学的なギリシャ数学の枠組みから脱却し、独自の発展を遂げるきっかけとなったのです。
ヨルダヌスの功績:静力学を創始した
ヨルダヌスは「中世の静力学の創始者」とも呼ばれ、物理学の分野でも極めて重要な功績を残しました。
斜面に平行な分力はその勾配に反比例する
彼の力学における最も有名な発見は、斜面上の物体にかかる力を言語化したことです。
斜面上の物体に対して、斜面に平行な分力はその斜面の勾配に反比例する。
ただし勾配とは、斜面の長さとその長さが垂直に切り取る高さの比のことを指す。


こちらも現代の記号で表してみると、物理学でお馴染みの関係式が見えてきます。
傾斜角を$~\theta~$、重力を$~W~$、斜面に平行な分力を$~F~$とする。

勾配は斜面と高さの比の値なので、
\begin{align*}
\text{勾配} &= \frac{\text{斜面}}{\text{高さ}} \\
&= \cosec\theta \\
&= \frac{1}{\sin\theta}
\end{align*}のことである。
斜面に平行な分力は、勾配に反比例するため、
\begin{align*}
F &= \frac{a}{\text{勾配}} \quad (a\text{は比例定数})\\
F &= \frac{a}{\frac{1}{\sin\theta}} \\
F &= a\sin\theta \end{align*}となる。
ここで、$~\theta = 90°~$のときを考えると、は斜面に平行な分力と重力が等しくなるため、
\begin{align*}
W &= a\sin 90° \\
W &= a
\end{align*}が求められる。

よって、$~F = W\sin\theta~$$~\blacksquare~$
ヨルダヌスは$~\sin{}~$や$~\cosec{}~$という記号がない時代に、幾何学的な比の関係としてこの法則を見抜いていたのです。
また、彼は『数論』という著書の中で、比や比例をはじめとする内容を扱っており、ユークリッドの『原論』やニコマコスの著作を証明とともにまとめました。
こうしたヨルダヌスの比例論への深い理解が、静力学の誕生へとつなげたのです。
その後の力学研究への影響力
ヨルダヌスが確立した「重さの学(scientia de ponderibus)」は、その後のヨーロッパの科学者たちに絶大な影響を与えました。
彼の著作、特に『重さの証明に関する基礎』や『重さの比について』は、厳密な公理と命題からなる体系的な構成をとっており、力学を単なる経験則から数学的な科学へと高めました。
彼の力学への考え方は、後のトーマス・ブラドワディーンやニコル・オレームといった14世紀の学者たちに受け継がれることになります。
ヨルダヌスのエピソード:謎に包まれた人物像
これだけの偉大な功績を残したヨルダヌスですが、その人物像は多くの謎に包まれています。
彼の名前「ヨルダヌス」は一般的な名前で、「ネモラリウス」は「森の」という意味ですが、これが姓なのか、あるいは出身地や所属(ドミニコ会の一派)を示すものなのかも不明です。
そもそも、彼の名前が本名なのか、あるいはペンネームのようなものなのかすら分かっていません。
また、彼の著作の一部は、本当に彼一人が書いたものなのか、あるいは彼の弟子たち(ヨルダヌス学派)が書き加えたものなのか、研究者の間でも議論が続いています。

アメリカの数学史家バーナバス・ヒューズは、ヨルダヌスを「父でも母でも系図でもない」人物だと評しました。
これは、彼の出自が全く不明であることを示すと同時に、彼の業績が、特定の師や学問的系譜から生まれたというよりは、彼自身の独創性から生まれたものであることを象徴している言葉と言えるでしょう。
まとめ
今回は、中世ヨーロッパの偉大な数学者・科学者であるヨルダヌス・ネモラリウスについて解説しました。
- 13世紀にパリで活躍したが、その生涯の詳細はほとんど不明な数学者。
- 数を文字で表し、一般的な証明を行なった。
- 斜面の法則を正しく定式化し、静力学という物理分野を創始した。
彼の導入した「文字で考える」という手法は、その後の数学の発展に不可欠なものとなったのです。




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