「$~a \div 0~$」の答えは?
現代の数学では「ゼロで割ることはできない」とされていますが、歴史上、この難問に挑んだ数学者がいました。
その人物こそ、12世紀インドの数学者、バースカラです。
彼は、ゼロ除算を「無限」と定義し、数学の世界に新たな扉を開きました。
この記事では、バースカラの生涯と彼の数学的功績を、現役数学教員で数学史の先生でもあるFukusukeがわかりやすく解説します。
バースカラの生涯
バースカラ(Bhāskara, 1114年~1185年)は、12世紀のインドで活躍した数学者・天文学者です。

(出典:https://mathshistory.st-andrews.ac.uk/Biographies/Bhaskara_II/pictdisplay/)
彼の名前は、7世紀の数学者バースカラ1世と区別するために「バースカラ2世」または「バースカラチャリア(バースカラ先生)」とも呼ばれます。
サンスクリット語で「光を作る人」を意味するその名の通り、彼の業績は後世の数学に大きな光をもたらしました。
バースカラの年譜
| 年代 | 出来事 | 補足 |
|---|---|---|
| 1114年 | 南インドのビージャプルで生まれる | 父マヘーシュヴァラはウジャインの天文台長を務める。バラモン階級の家柄。 |
| 1150年 | 主著『シッダーンタ・シローマニ』を完成させる | この著作は4つの部分からなり、そのうち『リーラーヴァティー』(算術)と『ビージャガニタ』(代数)が数学的に有名。残りの2つの部分は天文学について扱っている。 |
| 1185年 | ウジャインで亡くなる |
バースカラの活動場所
バースカラは、マイソール州ビージャプルに住む数学者マヘーシュヴァラの子として誕生しました。
父であるマヘーシュヴァラは、当時のインド数学の中心地であるウジャインの天文台長を務めており、バースカラはその父から天文学と数学を学びました。
バースカラも自身もそのウジャインの天文台長を務めながら研究を行い、この地で亡くなりました。
バースカラの功績:無限への理解を深めた
バースカラの最も重要な功績の一つは、「ゼロ除算」と「無限」の概念を数学に導入したことです。
a÷0は無限量
現代の数学では、ゼロで割ることは定義されていません。
しかし、バースカラは著書『ビージャガニタ』の中で、ゼロ除算について次のように述べています。
被除数 $~3~$, 除数 $~0~$, 商は分数 $_\frac{3}{0}$。この分数は無限量と呼ばれる。
分母が$~0~$となるこの分数は、無限の量とされる。
この量は分母として$~0~$を有していることにより、多数の量が挿入されたり減ぜられたりしても、変化はない。
世界の破壊と創造の時代には、存在物の数々の位階が侵されたり追い払われたりするけれども、無限で不変な神に変化は起こらないのと同様である。
バースカラは、ある数をゼロで割った商を「無限量」と定義しました。
この無限量に関する記述を今の表記に直すと、以下の3つの式の主張と同値です。
\begin{align*}
\frac{a}{0}&=\infty ~~~※\\
\infty+a&=\infty \\
\infty-a&=\infty
\end{align*}※数の範囲を$~0~$以上のみとすれば、現代でも正しい($~\displaystyle \lim_{n \to +0}\frac{a}{n}=\infty~$)
そして、この無限量を神の存在に例えました。
単なる数学的な操作だけでなく、哲学的、宗教的な思索も含まれていたと見ることができます。

0÷0の理解は間違っていた
一方で、バースカラは $~a \div 0 \times 0= a~$ のような命題も主張しており、ゼロによる除算を完全に理解していたわけではなかったようです。
彼の命題の主張が意味するのは、$~0 \div 0=1~$であること。
現代数学では「不定形」と呼ばれており、商は存在しません。
しかし、バースカラの無限に対する考え方は当時としては画期的であり、結果として、$~0~$の発見者であるブラーマグプタの$~0\div 0=0~$が間違いであることを主張することになったのです。

バースカラの功績:ペル方程式に解法を与えた
バースカラは、不定方程式の一種であるペル方程式の解法においても、大きな進歩をもたらしました。
ペル方程式とは、一般的に次のような形で表されます。
$~D~$は平方数でない自然数とする。
未知整数$~x~,~y~$に対して、次の不定方程式をペル方程式という。
Dx^2 +1= y^2
この方程式の形は、アルキメデスが最初に登場させ、ブラーマグプタが定式化してから、インドの数学者たちが興味を持って取り組んできた方程式でした。
バースカラは著書『リーラーヴァティー』の中で、$~D~$がどんな値でもペル方程式が解けるような方法を提示しました。
「循環法」を提示した
バースカラは、このペル方程式を解くための独創的な方法として、「循環法(チャクラバーラ法)」を議論しました。
これは、既知の解から新しい解を次々と見つけ出していく反復的な手法で、以下のような手順から成ります。
- 求めたい方程式を$~Dx^2 +p_1= y^2~$とし、適当な加数$~p_1~$に対する解の組$~(~x_1~,~y_1~)~$を求める。
- $~m_1~,~n_1~$についての一次不定方程式$~x_1m_1+y_1=p_1n_1~$を解く。
- 整数解$~m_1~$のうち、$~m^2~$が$~D~$にできるだけ近くなるような$~m_1~$を選び、新しい加数$~p_2=\displaystyle \pm \frac{D-m^2}{p_1}~$を得る。(正負はどちらを選んでもよい)
- $~x_2=\displaystyle \frac{x_1 m_1+y_1}{p_1}~$,$~y_2=\sqrt{D(x_2)^2+p_2}~$を解に持つような新しい方程式$~Dx^2 +p_2= y^2~$ができる。
❷〜❹を繰り返し行い、加数が$~1~$になったとき、求めたいペル方程式$~Dx^2 +1= y^2~$の解が得られる。
バースカラの方法は、非常に複雑な計算を伴いますが、どんな$~D~$の値に対しても必ず解を見つけ出すことができる画期的なものでした。
ただ、以下の点で疑問が残ります。
- $~x~,~y~$を計算すると常に整数値となるのか?
- この方法を繰り返すと加数$~1~$にたどり着く保証はあるのか?
一つ目の疑問は比較的簡単に示せますが、二つ目の疑問はルネサンス以降でも1929年に初めて公刊されたレベルの内容であり、バースカラもその確たる説明はできなかったと考えられています。
ただ、いくつもの例を通して、加数が$~1~$にたどり着くだろうと推測しています。

5種類のペル方程式の特殊解を与えた
実際にバースカラが自身の方法で求めたのは、次の5つのペル方程式。
\begin{align*}
8x^2 +1&= y^2 \\
11x^2 +1&= y^2 \\
32x^2 +1&= y^2 \\
61x^2 +1&= y^2 \\
67x^2 +1&= y^2 \\
\end{align*}例として、$~67x^2+1=y^2~$の解を見てみると、なんと$~(x, y) = (5967, 48842)~$。
この解の大きさからもわかる通り、バースカラのの循環法がいかに強力なものであったかが分かるでしょう。
バースカラの功績:二次方程式の2つの解を扱った
バースカラは、二次方程式の解法においても、現代数学につながる重要な洞察を示しました。
平方根を正と負の両方で考えた
古代の数学では、二次方程式の解は主に正の数のみが考えられていました。
しかし、バースカラは、平方根には正と負の2つの値があることを明確に認識していたのです。
そのことがわかるのは次の問題です。
猿の群れがいた。その$~\displaystyle \frac{1}{8}~$の頭数を2乗した頭数が森の中で遊んでいる。残りの猿は$~12~$頭で、丘の上にいてお互いにしゃべっている。全部で何頭の猿がいたか。
猿の頭数を$~x~$としたとき、バースカラは以下のように平方完成で解いています。
\begin{align*}
\left( \frac{1}{8}x \right)^2+12&=x \\
\\
x^2+768&=64x \\
x^2-64x&=-768 \\
x^2-64x+32^2&=-768+32^2 \\
(x-32)^2&=256 \\
x-32&=16
\end{align*}最後の式の後、バースカラは以下の注意点を述べています。
この$~16~$は、未知数のとなりにある$~32~$よりも小さい。ゆえに、2通りの未知数として$~48~$と$~16~$が得られる。
このように、バースカラは平方根を求める際に、正負両方の可能性を考慮していました。
これは、ヨーロッパの数学者たちが同様の結論に達する数世紀も前のことでした。
「不適」な解を排除した
バースカラは、問題の文脈に合わない解を「不適」として排除することも行っていました。
別の猿の問題を見てみましょう。
群れの$~\displaystyle \frac{1}{5}~$より3だけ少ない頭数を2乗した頭数の猿が、洞窟へ入っていった。$~1~$頭の猿だけが木に登っているのが見えている。全部で何頭の猿がいたか。
猿の頭数を$~x~$としたとき、こちらもバースカラは以下のように平方完成で解いています。
\begin{align*}
\left( \frac{1}{5}x-3 \right)^2+1&=x \\
\frac{1}{25}x^2-\frac{6}{5}x+9+1&=x \\
x^2-30x+250&=25x \\
x^2-55x&=-250 \\
x^2-55x+\left( \frac{55}{2} \right)^2&=-250+\left( \frac{55}{2} \right)^2 \\
\left( x-\frac{55}{2} \right)^2&=\frac{2025}{4} \\
x-\frac{55}{2} &=\frac{45}{2} \\
\end{align*}サルの問題1 と同様、正負の平方根の存在には気づいていたため、$~x=5~,~55~$と求めたものの、バースカラは次のように付記しています。
しかし、$~5~$はこの場合、採れない。つじつまが合わないからである。
確かに、$~5~$の$~\displaystyle \frac{1}{5}~$から$~3~$頭引くと$~-2~$頭となり、実際の猿の数が負であることはありえないため、その解は答えとしてふさわしくないと判断したのです。
これは、単に数式を解くだけでなく、その解が現実世界でどのような意味を持つのかを常に考えていた、バースカラの実践的な思考スタイルを物語っています。
バースカラの功績∶三平方の定理の別証を与えた
バースカラは、古代ギリシャのピタゴラスが発見したとされる、三平方の定理(ピタゴラスの定理)に対して、独自の証明を与えたことでも知られています。
バースカラの証明は、図形を巧みに利用した、非常にユニークなものでした。

図のように、一辺の長さが$~c~$の正方形の中に、4つの同じ直角三角形(辺の長さは$~a~,~b~,~c~$)を配置する。
すると、中央に一辺の長さが$~b-a~$の小さな正方形ができる。
全体の正方形の面積は、$~c^2~$。
一方、4つの直角三角形の面積の合計は $~4 \times (\frac{1}{2}ab) = 2ab~$、中央の小さな正方形の面積は $~(b-a)^2 = b^2 – 2ab + a^2~$ 。
したがって、全体の正方形の面積は、これらの面積の和として表せる。
c^2 = 2ab + (b^2 - 2ab + a^2)
この式を整理すると、
c^2 = a^2 + b^2
となり、三平方の定理が証明された。$~\blacksquare~$
この証明は、数式だけでなく視覚的に理解できるため、非常に分かりやすいのが特徴です。
バースカラの数学的センスが光る、見事な証明と言えるでしょう。

バースカラのエピソード:『リーラーヴァティー』は娘の名前
バースカラの最も有名な著作である算術書『リーラーヴァティー』。
実はこのタイトル、彼の愛する娘の名前が由来となっており、以下のようなエピソードに基づいています。
数学者でもあり、占星術師でもあったバースカラは、ある時、娘のリーラーヴァティーの運勢を占いました。
すると、「生涯結婚することができない」という結果が出てしまったのです。
娘の幸せな結婚を何よりも願っていたバースカラは、占星術の知識を総動員して、彼女が結婚できる唯一の吉兆な時刻を算出しました。
そして、その時を正確に計るために水時計を用意しました。
しかし、結婚式の衣装を身に着けたリーラーヴァティーが、興味深そうにその水時計を覗き込んだその時、彼女の髪飾りから一粒の真珠がこぼれ落ちたことで水の流れが止まり、吉兆な時刻がわからなくなってしまったのです。
娘の結婚の夢が断たれてしまったことを深く悲しんだバースカラ。
彼は、せめてその名を後世に残したいという想いから、自らの最も重要な算術書に『リーラーヴァティー』と名付けたのです。

バースカラの『リーラーヴァティー』では、問題文が「幼くして思慮深きリーラーヴァティーよ」と娘に語りかけるような詩的な表現で始まっており、娘への深い愛情が伺えます。
まとめ
今回は、中世インドの偉大な数学者バースカラの生涯と功績について解説しました。
- ある数を0で割ると無限量になると定義した
- 「循環法」を用いてペル方程式の解法を確立した
- 二次方程式においては、平方根の正負を考慮し、2つの解を扱った
- 三平方の定理を、図形を用いた独自の方法で証明した
- 『リーラーヴァティー』は娘への愛情が込められた算術書

バースカラは独自の方法で「÷0」やペル方程式の問題にアプローチしていたんだね。



独自の発想で普通なら思いつかないような答えを導く点で、19世紀に活躍した同国の数学者ラマヌジャンに通じるところがあるよね。




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