フィボナッチ(ピサのレオナルド)は、中世ヨーロッパで最も偉大な数学者の一人として知られています。
現代でこそ「フィボナッチ数列」の発見者として有名ですが、彼の最大の功績は、当時ヨーロッパで使われていたローマ数字に代わる、はるかに優れたインド・アラビア数字(私たちが現在使っている算用数字)とその計算法をヨーロッパに紹介したことです。
また、彼の主著『算盤の書』は、単なる理論書ではなく、商人たちが日々の取引で直面する問題を解決するための、極めて実践的な手引書でした。
この記事では、フィボナッチの生涯と彼の残した偉大な功績、そして彼にまつわる興味深いエピソードについて、数学史の先生であるFukusukeが詳しく解説します。
中世の商業革命を数学の力で支えたこの偉大な数学者の業績を通じて、現代数学の礎がどのように築かれたのかを見ていきましょう。
フィボナッチの生涯
フィボナッチ(Fibonacci , 1170頃〜1250頃)は、レオナルド・フィボナッチやレオナルド・ピサーノ(ピサのレオナルド)とも呼ばれる、中世ヨーロッパを代表する数学者です。

(出典:Deep also it at it.wikipedia, Public domain, via Wikimedia Commons)
「フィボナッチ」という名前は「ボナッチの息子」を意味する愛称で、後世になってから定着しました。
フィボナッチの年譜
| 年代 | 出来事 | 補足 |
|---|---|---|
| 1170頃 | イタリアのピサで生まれる | 商人の息子として生まれる |
| 少年期 | 北アフリカのブジアに移住 | 父の仕事の関係で移住し、現地の師からインド・アラビア数字を学ぶ |
| 青年期 | 地中海各地を旅行 | エジプト、シリア、ギリシャ、シチリア、プロヴァンスなどを巡り、各地の数学の知識を吸収する |
| 1202 | 『算盤の書』(Liber Abaci)初版を執筆 | インド・アラビア数字と筆算を紹介する画期的な書物 |
| 1220頃 | 『実用幾何学』(Practica Geometriae)を執筆 | 測量や幾何学に関する実用的な問題集 |
| 1225頃 | 皇帝フリードリヒ2世の宮廷で数学試合に勝利する | 3問の難問をすべて解き、他の宮廷数学者との格の違いを見せつけた |
| 1225頃 | 『平方の書』(Liber Quadratorum)を執筆 | 数学試合がきっかけで書かれた数論の書 |
| 1240 | ピサ共和国から俸給を与えられる | 数学者としての功績が認められ、市から年金を受ける |
| 1250頃 | ピサ市近くで亡くなる | 正確な没年は不明 |
フィボナッチの活動場所
フィボナッチはイタリアのピサで生まれました。
彼の父グリエルモ・ボナッチは、貿易商として北アフリカのブジアに移住したため、フィボナッチは少年時代をその地で過ごしました。
その後、エジプト、シリア、ギリシャ、シチリア、そして南フランスのプロヴァンスといった地中海沿岸の主要な商業都市を旅して回り、各地の商人や数学者と交流し、多様な数学の知識や計算法を吸収します。
30才頃にピザに帰国したフィボナッチは、地中海地域で学んできたことを『算盤の書』にまとめ、ヨーロッパの商人たちを中心に大きな影響を与えたのです。
フィボナッチはその後もピサで過ごし、ピサ市の近くで亡くなりました。
フィボナッチの功績:アラビア数字をヨーロッパに紹介した
フィボナッチの最大の功績は、何と言ってもインド・アラビア数字とそれを用いた筆算による計算法をヨーロッパに本格的に紹介したことです。
これは、当時のヨーロッパ社会、特に商業のあり方を根底から変えるほどのインパクトを持つ「革命」でした。
『算盤の書』で紹介された
フィボナッチが少年自体を過ごしたブジアは、イスラーム王朝が統治する地で、彼はイスラームの家庭教師からヨーロッパよりも優れた数学を学ぶことになります。

地中海地域を旅する中で、この時に学んだインド・アラビア数字がローマ数字よりも計算に優れていることに気づきました。
1200年頃、地元ピサに帰国したフィボナッチは、インド・アラビア数字を紹介するために『算盤の書』(Liber Abaci)を書き、1202年に出版しました。
この本の名前は「計算盤の書」や「そろばんの書」と訳されることがありますが、その内容は計算盤(アバカス)の使い方を解説したものではありません。
むしろ、計算盤を不要にするための、筆算の方法を解説した画期的な書物でした。

0(ゼロ)の語源はzephirum
フィボナッチがヨーロッパに紹介した概念の中でも特に重要だったのが「0(ゼロ)」です。
彼は『算盤の書』の冒頭で、次のように宣言しています。
インドの九つの数字は 9, 8, 7, 6, 5, 4, 3, 2, 1 である。この九つの数字と zephirum と呼ばれている記号 0 で、どんな数でも自由に表すことができる。
この言葉は、0から9までの10個の数字を使う「位取り記数法」のすごさを明確に示したものです。
また、ここで出てきた「zephirum(ゼフィルム)」は、アラビア語で「空(から)」を意味する「sifr(スィフル)」のラテン語訳で、「zero」の語源となりました。
数字としての$~0~$をヨーロッパに伝えることで、ローマ数字では表現が困難だった巨大な数や複雑な計算が、誰でも紙とペン(当時は羊皮紙と羽根ペン)さえあれば行えるようになったのです。

一般的な普及は16世紀以降
フィボナッチが『算盤の書』でインド・アラビア数字の計算法を紹介してから、それがヨーロッパ社会に広く普及するまでには、実は300年以上の長い年月が必要でした。
その理由として、以下のようなものが考えられます。
- 当時のヨーロッパではまだ紙が貴重品であり、誰もが筆算を自由に行える環境ではなかったから。
- 計算盤(アバカス)を用いた計算が依然として主流であり、新しい方法への抵抗感が根強かったから。
- 0を一つ加えることで全く異なる数になってしまうから。
- アラビア数字の書体が定まりきっていなかったから。
後半の2つについては、商業で数字を扱う上で大きな不安要素でした。
例として、1000円の請求書が簡単に10000円になってしまうからです。

また、ブラーフミー数字を起源とするインド・アラビア数字が、現在とほぼ同じ形になったのが16世紀頃。
決まった書体が定着していなかったため、書き手と読み手で意図する数が違うという問題が発生したのです。

(出典:Tobus, Public domain, via Wikimedia Commons)
インド・アラビア数字がヨーロッパの商人や学者に完全に受け入れられ、一般的に使われるようになるのは、活版印刷が発明され、紙が安価に供給されるようになった16世紀以降のことになります。
フィボナッチの功績∶商業数学の発展に貢献した
『算盤の書』は、単に新しい数字を紹介しただけではありません。
その真価は、当時の商人たちが直面していた極めて実用的な問題を解決するための、豊富な計算手法と応用例を示した点にあります。
『算盤の書』は商人のための書
『算盤の書』は、その大部分が商業計算や実用的な問題に充てられており、まさに「商人のための数学全書」と呼ぶべき内容でした。
フィボナッチ自身も序文で、この本が「インドの方法を完全に学びたいと願うイタリアの同胞のため」に書かれたものであると述べています。
彼は、複雑なローマ数字や計算盤に頼っていては、ますます活発になる商業活動のスピードについていけないこと、そして新しい計算法が商人たちに莫大な利益をもたらすことを見抜いていたのです。

(出典:Gregor Reisch (author), Public domain, via Wikimedia Commons)
両替などの実用的な問題を紹介した
『算盤の書』には、当時の商人たちが日常的に遭遇するであろう、具体的で実践的な問題が数多く掲載されています。
その中の一つが両替の問題です。
帝国通貨の 1 ソリドゥスは帝国通貨の 12 デナリウスである。
帝国通貨 1 ソリドゥスがピサ市の通貨で 31 デナリウスになるとすれば、帝国通貨 11 デナリウスではピサ市の通貨を何デナリウス得るか。
1帝国ソリドゥスにより、12帝国デナリウスと31ピサ市デナリウスは等しいことがわかる。
このとき、11帝国デナリウスは、次の式でピサ市デナリウスに換算できる。
\begin{align*}
&31 \times 11 \div 12 \\
&= \frac{341}{12} \\
&= 28\frac{5}{12}~^{※} \text{(ピサ市デナリウス)}
\end{align*}※アラビアでは、数字を右から左に書くことに倣って、フィボナッチは$~\displaystyle \frac{5}{12}28~$と表している。
このように、フィボナッチは「こうすると解けるよ」という料理レシピのような説明を『算盤の書』に書きました。
古代中国の『九章算術』における「術曰く」に似た表現です。

ちなみに、今回の両替の問題の背景にあるのは、以下の比例式の計算です。
\begin{align*}
12 : 31 &= 11 : x\\
x&=31\times11\div12
\end{align*} フィボナッチはこのような代数計算を、言葉で説明したのです。
文字や記号が使われるようになるのは、近世以降となります。
『算盤の書』では、こういった商業に密接に関連する問題に対して、それぞれに応じたレシピ的な解法を示し、インド・アラビア数字や筆算を使うことでいかに明快に解けるかが示されています。
フィボナッチの功績∶数論や方程式のさまざまな問題を扱った
フィボナッチは実用的な商業数学だけでなく、純粋数学の分野、特に数論や方程式論においても、中世ヨーロッパでは並ぶ者のない高度な業績を残しています。
フィボナッチ数列を登場させた
フィボナッチの名を現代で最も有名にしているのが「フィボナッチ数列」です。これは『算盤の書』の第3部の終わり近くに登場する、次のような「ウサギの問題」から導かれます。
1組のウサギが1月から毎月1組のウサギを産み、生まれた1組のウサギも翌月から1組のウサギを産み始めるとき、1組のウサギから始まって、1年後には何組のウサギがいるか。

3月のウサギの組数を求めるには、次の計算を行えばよい。
\begin{align*}
(3月の組数)&=(2月の組数)+(3月に新たに産まれる組数) \\
&=(2月の組数)+(1月の組数) \\
&=3+2 \\
&=5
\end{align*}すなわち、求めたい月に対して、前月と前々月のウサギの組数を足せばよい。
\begin{align*}
(4月の組数)&=5+3=8 \\
(5月の組数)&=8+5=13 \\
(6月の組数)&=13+8=21 \\
(7月の組数)&=21+13=34 \\
(8月の組数)&=34+21=55 \\
(9月の組数)&=55+34=89 \\
(10月の組数)&=89+55=144 \\
(11月の組数)&=144+89=233 \\
(12月の組数)&=233+144=377 \\
\end{align*}よって、1年後には377組と求めることができた。
解を求める過程で出てきた数列$~1~,~2~,~3~,~5~,~8~,~13~,\cdots~$こそがフィボナッチ数列で、この数列の先頭に$~1~$を加えることで、現在は以下のような定義で与えられています。
$~n~$番目のフィボナッチ数を$~F_n~$とすると、次の式が成り立つ。
F_{n+2} = F_{n+1} + F_{n} ~,~ F_1 = 1~,~ F_2 = 1フィボナッチ数列という名前は、19世紀のフランスの数学者エドゥアール・リュカ(Édouard Anatole Lucas、1842年4月4日 〜1891年10月3日)が名付けました。

(出典:Public domain, via Wikimedia Commons)
フィボナッチ数列は、後に黄金比との深い関係が発見されたり、植物の葉の付き方やヒマワリの種の配列など、自然界の様々な場所に見出されたりすることになります。
しかしフィボナッチ自身がその重要性にどこまで気づいていたかは定かではありません。
数学パズル的な問題を扱った
『算盤の書』には、現代でいう連立一次方程式にあたる問題も含まれており、フィボナッチは柔軟な発想力でそれを解きました。
ウズラ 1 羽が硬貨 3 枚、ハト 1 羽が硬貨 2 枚、スズメ 2 羽が硬貨 1 枚で買えるとき、30枚の硬貨で30羽の鳥を買うにはどうすればよいか。
スズメ4羽とウズラ1羽を買うとき、それぞれ硬貨が2枚、3枚必要なので、合計5羽を5枚の硬貨で買うことになる。$~\cdots ①~$
スズメ2羽とハト1羽を買うとき、それぞれ硬貨が1枚、2枚必要なので、合計3羽を3枚の硬貨で買うことになる。$~\cdots ②~$
$~①~$を3回、$~②~$を5回買うことにより、合計30羽を30枚の硬貨で買うことができるため、以下の組み合わせにすればよい。
\begin{cases}
\text{スズメは、} &4 \times 3 + 2 \times 5 = 22 \text{羽} \\
\text{ウズラは、} &1 \times 3 = 3 \text{羽} \\
\text{ハトは、} &1 \times 5 = 5 \text{羽}
\end{cases}現在の方程式で解く場合、ウズラを$~x~$羽、ハトを$~y~$羽、スズメを$~z~$羽とすると、次の不定方程式を解くことになります。
\begin{cases}
x + y + z &= 30 \\
3x + 2y + \displaystyle\frac{1}{2}z &= 30\\
\end{cases}題意を満たす$~x, y, z~$の組み合わせは、 $~(x, y, z) = (0, 10, 20), (3, 5, 22), (6, 0, 24)~$ の3通り。
前提条件ですべて1羽以上買うという制限は ないもの、0が浸透していない時代ゆえに0を含む 解は考えなかったのでしょう。
方程式を古代エジプトの方法で解いた
『算盤の書』では、約2000年前のエジプトで使われた方程式の解法「仮置法」も紹介されました。
深さは 50フィートの穴がある。ライオンは毎日昼間に$~\displaystyle \frac{1}{7}~$フィートずつ穴をよじ登るが、毎晩 $\displaystyle \frac{1}{9}$ フィートずつ落ちてしまう。
ライオンが穴から出るには何日かかるだろうか。
フィボナッチは古代エジプト由来の仮置法により、この問題に解を与えました。
穴から出られるまでに63日かかると仮定する。
このとき、63日間で、
63 \times \frac{1}{7} - 63 \times \frac{1}{9} = 2 \text{(フィート)} \cdots ①登ることができる。
穴の深さは50フィートなので、$~①~$を$~50 \div 2 = 25~$倍することで、
\begin{align*}
25 \times 63 \times \frac{1}{7} - 25 \times 63 \times \frac{1}{9} &= 50 \text{(フィート)}\\
1575 \times \frac{1}{7} - 1575 \times \frac{1}{9} &= 50 \text{(フィート)} \\
\end{align*}であり、1575日かかることがわかる。$~\cdots (*)~$
しかし、実際は初めて50フィートに達した時点でライオンは穴から出られるため、1571日目の夜に
50 - \frac{2}{63} \times 4 = 49\frac{55}{63} \text{(フィート)}の高さにいて、次の日に
49\frac{55}{63} + \frac{1}{7} = 50\frac{1}{63} \text{(フィート)}の高さに達するため、穴から出られるのは1572日目が正しい。
実は、フィボナッチは(*)を答えとしていて、1572日目という正しい答えにはたどり着けませんでした。
しかし、比例関係を巧みに使った解法を読者に提示しています。

連立方程式で2文字を1文字にまとめて解いた
$~x~,~y~$の連立方程式では、加減法や代入法で1文字消すのが一般的ですが、フィボナッチは$~x~,~y~$を新たな文字$~z~$に置き換えて解くという方法で解きました。
2人の男 A , B がいくらかずつお金を持っている。
A は B に「もし君が私に 1 デナリウスくれたら、われわれの持っているお金は等しくなるだろう」と言った。
B は A に「もし君が私に 1 デナリウスくれたら、私の所持金は君の 10 倍になるだろう」と言った。
A , B それぞれの最初の所持金を求めよ。
Aの所持金を$~x~$円、Bの所持金を$~y~$円とする。
1つ目の発言の状況を整理すると、次の図のようになる。

2つ目の発言の状況を整理すると、次の図のようになる。

この2つの状況から方程式を作ると、
\begin{cases}
x + 1 = y - 1 &\cdots ① \\
y + 1 = 10(x - 1) &\cdots ②\\
\end{cases}である。
ここで、$~z = x + y~$とおく。($~z~$はA君とB君の所持金の合計)
$~①~$の状況から、取引後のAの所持金は2人の合計の半分なので、
x + 1 = \frac{z}{2} \cdots ①'である。
また、$~②~$の状況から取引後のBの所持金は2人の合計の$~\displaystyle\frac{10}{11}~$なので、
y + 1 = \frac{10}{11}z \cdots ②'である。
$~①’+②’~$より、
x + y + 2 = \frac{z}{2} + \frac{10}{11}zで、$~x + y = z~$を代入して、
z + 2 = \frac{z}{2} + \frac{10}{11}zという$~z~$の方程式になる。
\begin{align*}
22z + 44 &= 11z + 20z \\
-9z &= -44 \\
z &= \frac{44}{9} \\
\end{align*}で、$~①’~$や$~②’~$に代入することで、
\begin{align*}
x + 1 &= \frac{22}{9}, \quad y + 1 = \frac{40}{9}\\
x &= \frac{13}{9}, \quad y = \frac{31}{9} \end{align*}となり、Aの最初の所持金は$~\displaystyle\frac{13}{9}~$デナリウス、Bは$~\displaystyle\frac{31}{9}~$デナリウスとわかる。
方程式の不能解と不定解を扱った
所持金に関する別の問題では、答えが多数存在する方程式や答えが存在しない方程式についても扱われました。
4人の男 A , B , C , D がおり、A , B , C の所持金は合計 27 ディナリウス、B , C , D の所持金は合計 31 ディナリウス、C , D , A の所持金は合計 34 ディナリウス、D , A , B の所持金は合計 37 ディナリウスであった。
このとき、A , B , C , D それぞれの所持金を求めよ。
Aが$~a~$デナリウス、Bが$~b~$デナリウス、Cが$~c~$デナリウス、Dが$~d~$デナリウス持っていたとする。
所持金に関する情報を整理すると、
\begin{cases}
a + b + c &= 29 \cdots ① \\
\quad \quad b + c + d &= 31 \cdots ② \\
a \quad \quad+ c + d &= 34 \cdots ③ \\
a + b \quad \quad + d &= 37 \cdots ④\\
\end{cases}という連立方程式になる。
$~①〜④~$をすべて足すことで、
3a + 3b + 3c + 3d = 129
となり、両辺を$~3~$で割ることで、
a + b + c + d = 43 \cdots ⑤
という、4人の所持金の合計額が出る。
$~①~$と$~⑤~$に代入することで、
\begin{align*}
29 + d &= 43 \\
d &= 16 \\
\end{align*}となる。同様に、$~②,③,④~$をそれぞれ$~⑤~$に代入することで、
a = 12, \quad b = 9, \quad c = 6
が求められ、Aが$~12~$デナリウス、Bが$~9~$デナリウス、Cが$~6~$デナリウス、Dが$~16~$デナリウス持っていたことがわかる。
上記の解法は非常に効率が良く、現在でもよく使われる解き方です。
しかし、フィボナッチはこの解法だけに飽き足らず、別の問題で以下のような連立方程式になる問題をも扱っています。
\begin{cases}
a + b &= 27 \cdots ⑥ \\
\quad \quad b + c &= 31 \cdots ⑦ \\
\quad \quad \quad c + d &= 34 \cdots ⑧ \\
a \quad \quad \quad+ d &= 37 \cdots ⑨ \\
\end{cases}の場合、$~⑥+⑧~$により、
a + b + c + d = 61
であり、$~⑦+⑨~$により、
a + b + c + d = 68
となるため、矛盾。したがって、解を持たないと結論づけた(不能解)。
式の選び方によって、4人の合計所持金が異なってしまうことに着目し、「問題として解を持たない」と指摘したのです。
もう一つは不能解とセットで扱われる不定解の問題。
\begin{cases}
a + b &= 27 \cdots ⑥ \\
\quad \quad b + c &= 31 \cdots ⑦ \\
\quad \quad \quad \quad c + d &= 34 \cdots ⑧ \\
a \quad \quad \quad \quad+ d &= 30 \cdots ⑨'
\end{cases}の場合、$~⑥+⑧~$により、
a + b + c + d = 61
であり、$~⑦+⑨’~$により、
a + b + c + d = 61
となるため、$~a~$を27以下で自由に決める※と、$~b, c, d~$が計算できると結論づけた(不定解)。
※実際は$~a~$は$~0~$以上$~27~$以下で自由に決められる。
以上のように、フィボナッチは連立方程式の解に関して、あらゆる可能性を提示しました。
フィボナッチのエピソード:数学試合で無双した
フィボナッチの数学者としての名声は、ピサの商人たちの間だけでなく、遠く神聖ローマ皇帝フリードリヒ2世の宮廷にまで届いていました。
フリードリヒ2世は、自身も高い教養を持ち、科学や学問を奨励した君主として知られています。
彼は1225年頃、ピサを訪れた際に、宮廷の数学者たちとフィボナッチとの間で数学試合を開催させました。
この試合で、宮廷哲学者であるパレルモのヨハネスは、集まった数学者たちに3つの難問を突きつけました。
3次方程式 $x^3 + 2x^2 + 10x = 20$を解け。
フィボナッチは、3次方程式については代数的な厳密解は不可能であると見抜きつつ、60進法を用いて $1.3688…$ という驚異的な精度の近似解を示しました。
この近似値は、その後300年以上にわたってヨーロッパで最も正確なものだったと言われています。
3人の男が、ある金額をそれぞれが $~\displaystyle \frac{1}{2}~$, $~\displaystyle \frac{1}{3}~$, $~\displaystyle \frac{1}{6}~$ の分け前を持つ形で共同所有していた。彼らがその金を分けようとしていると、盗人が現れたため、すべての金を3人それぞれがつかんで逃げ出した。その後、最初の男は自分が持っている金の半分を、2人目の男は $~\displaystyle \frac{1}{3}$ を、3人目の男は $~\displaystyle \frac{1}{6}$ を出し合った。そして、出し合った金を3等分して分け合ったところ、各人が本来の分け前に相当する額をちょうど受け取ることができた。最初の金の総額はいくらか。
フィボナッチはこの問題が不定であることを指摘した上で、考えられる最小の整数解として$~47~$を提示しました。(分け前も整数値とするならば、$~282~$が正しい解。)
この解答は、フィボナッチが単に計算能力に長けているだけでなく、問題の構造を深く理解し、不定方程式の概念を把握していたことを示しています。
$x^2+5$ と $x^2-5$ が同時に平方数になる有理数$~x~$はいくらか。
フィボナッチは与えられた式を巧みに置き換え、$~\displaystyle x=\frac{41}{12}~$という解を与えました。(出きあがる平方数は$~\displaystyle \left(\frac{49}{12}\right)^2~$と$~\displaystyle \left(\frac{31}{12}\right)^2~$)
フィボナッチは上記の問題3つを全て解いたのに対し、他の宮廷の数学者たちは1問も解けず、フィボナッチの圧倒的な実力はフリードリヒ2世に感銘を与えました。

商人のためのフィボナッチの著作が『算盤の書』であるのに対し、この試合をきっかけに書かれたフィボナッチの著作『平方の書』は、彼の純粋数学における最高傑作とされています。
『平方の書』は皇帝に献呈され、晩年のフィボナッチはピサ共和国から俸給を与えられるほどの名声を得ることができたのです。
まとめ
13世紀に活躍し、ヨーロッパの数学に大きな革命を起こしたフィボナッチ。
計算に優れたインド・アラビア数字を紹介した功績や圧倒的な数学への見識は、今でも数学史に深く刻まれています。
- 1202年に著した『算盤の書』を通じて、インド・アラビア数字と筆算をヨーロッパに紹介した
- 『算盤の書』は、両替、利益計算、合金問題など、商人たちのための実用的な問題集であり、商業の発展を支えた
- 『平方の書』では、純粋数学である数論について扱う
- 神聖ローマ皇帝フリードリヒ2世の前で、宮廷学者との数学試合に完全勝利し、その名声を不動のものとした。

ウサギの数列以外にも、いろいろと研究していたんだね。



今でこそフィボナッチ数列は有名だけど、当時は数ある問題の中の1つでしかなかったんだ。




コメント