中国南北朝時代に活躍した祖沖之(そちゅうし、429年〜500年)は、円周率を小数第6位まで正確に計算した世界初の数学者として知られています。
彼は単なる数学者にとどまらず、天文学者、暦法学者としても優れた業績を残し、中国古典数学の発展に大きく貢献しました。
そんな数学者劉徽の生涯と功績を数学史ライターFukusukeが解説!
祖沖之の生涯
祖沖之(Zu Chongzhi 429年〜500年)は5世紀後半に中国で活躍した数学者です。

(出典:三猎, CC BY-SA 4.0, via Wikimedia Commons)
祖沖之の年譜
| 年代 | 出来事 | 補足 |
|---|---|---|
| 429年 | 范陽郡遒県(現在の河北省涞水県)に生まれる | 代々学問の家系に生まれ、祖父は朝廷の官僚であった |
| 450年頃 | 青年期に数学と天文学の研究を開始 | この時期から古典的な算術書の研究に没頭したとされる |
| 460年代 | 円周率の精密計算に着手 | アルキメデスの方法を発展させ、正24576角形まで計算を拡張 |
| 462年 | 大明暦の編纂を完了 | 従来の暦法より精度の高い新暦法を提案するも、保守派の反対により採用されず |
| 480年頃 | 『綴術』を著述 | 中国古典数学の集大成とも言える数学書を完成させる |
| 500年 | 72歳で逝去 | 多くの弟子に学問を伝え、特に息子の祖暅之が数学の才能を受け継いだ |
祖沖之の活動場所
祖沖之は范陽郡遒県(現在の河北省涞水県)で生まれましたが、青年期に南朝の都である建康(現在の南京)に移住し、生涯の大部分をそこで過ごしました。
建康は当時の都であり、学術の中心地ということもあり、多くの学者や官僚が集まる知的環境が整っていました。
彼は朝廷に仕える官僚として働きながら、宮廷内の図書館や観測施設を活用して数学や天文学の研究を続けました。
晩年は故郷の河北地方と建康を行き来しながら、弟子たちの教育にも力を注いだとされています。
祖沖之の功績:円周率を小数第7位まで求めた
祖沖之の最も有名な功績は円周率を小数第7位まで求めたこと。
彼よりも前の記録をさかのぼると、2世紀のプトレマイオスや3世紀の劉徽が小数第3位まで求めています。
祖沖之は、円周率の桁数の計算を大きく前進させました。


アルキメデスや劉徽と同じ求め方
祖沖之は円周率の計算において、古代ギリシャのアルキメデスや中国の劉徽が確立した正多角形を用いる方法(中国では「割円術」と呼ばれる)を発展させました。
この方法は円に内接する正多角形と外接する正多角形の周囲の長さから円周率の上限と下限を求めるもので、多角形の辺数を増やすほど真の値に近づくという原理に基づいています。
祖沖之はこの計算を正$~24576~$角形まで拡張し、膨大な計算を手作業で行い抜きました。

祖沖之が計算した正24576角形では、以下のように円周率の値がわかります。
3.14159264\cdots<\pi< 3.14159267\cdots
したがって、円周率$~\pi~$の値が$~3.1415926~$という小数第7位まで求められたのです。

息子の祖暅之と計算をした
祖沖之の円周率計算には、息子の祖暅之が重要な役割を果たしました。

(AIによるイメージ)
正$~24576~$角形の周の長さを求める計算は、平方根の計算を要する公式を何度も使う必要があり、一人では困難を極める作業です。
父子は協力してこの計算に取り組み、祖暅之は特に計算の検証作業を担当したとされています。
ちなみに祖暅之は、半径$~r~$の球の体積が$~\displaystyle \frac{4}{3}\pi r^3~$で求められることを中国で初めて考えだした数学者として知られています。
密率と約率を使い分けた
祖沖之は実用性を考慮して、円周率の近似値として密率$~\displaystyle \frac{355}{113}~$と約率$~\displaystyle \frac{22}{7}~$の二つを提案しました。
それぞれの分数を小数に直すと、以下のような数値になります。
\begin{align*}
\frac{355}{113}&=3.1415929\cdots \\
\\
\frac{22}{7}&=3.1428571\cdots
\end{align*}密率は小数第6位まで正確な値で、約率は計算が簡単でありながらも実用的な精度を持つ値でした。
この使い分けの発想は、理論的な正確性と実用的な簡便性のバランスを取った優れたアイデアであり、後の数学者たちにも大きな影響を与えました。
祖沖之の功績:『綴術』を記した
祖沖之が著した『綴術』(てつじゅつ)は、中国古典数学の集大成とも言える重要な数学書です。
この書物には円周率の計算法だけでなく、立体幾何学、代数学、天文計算など幅広い数学的内容が含まれていました。
『綴術』は、隋唐時代に「算経十書」と呼ばれる算学の教科書の1冊として採用されています。
残念ながら原書は現存していませんが、後世の数学書に引用された内容から、その高度な数学的成果を窺い知ることができます。
祖沖之のエピソード:大明暦を発明した
祖沖之は数学者としてだけでなく、天文学者・暦法学者としても卓越した才能を発揮しています。
彼が編纂した大明暦(だいめいれき)は、1年の長さを365.24281日と計算しました。
現在知られている1年の長さの正確な値365.24219日との誤差はわずか50秒程度。


(AIイメージ)
この新暦法は従来の暦法よりもはるかに正確でしたが、保守的な朝廷の反対により祖沖之が生きている時代に採用されることはありませんでした。
その後、祖沖之死後の510年から589年まで大明暦は使用されましたが、隋の統治が始まってからは暦法が変わってしまいました。
まとめ
古代中国で、円周率研究で有名な数学者・祖沖之について解説してきました。
- 祖沖之は中国南朝で活躍した数学者・天文学者で、円周率を世界で初めて小数第7位まで正確に求めた
- 円周率を密率$~\displaystyle \left( \frac{355}{113} \right)~$と約率$~\displaystyle \left( \frac{22}{7} \right)~$で使い分けた
- 『綴術』という数学書を著し、隋唐時代には教科書として採用されるほどの影響力を持った
- 「大明暦」を編纂し、1年の長さを現在の値とほぼ同じ精度で計算した



密率って、分母から113 355の順番で数字が並んでいるね。覚えやすい!



密率の分子である355から、1年で355日目にあたる12月21日(閏年なら12月20日)を円周率近似の日と呼ぶこともあるよ。




コメント
コメント一覧 (2件)
中国史のまとめが楽しみだ。
ハムカス様
コメントありがとうございます。
5章のまとめの続き、近いうち頑張ります!