四大文明の一つで長い歴史を持つ中国。
しかし、紀元前213年の焚書政策により、紀元前の数学関係の資料はほとんど失われてしまいました。
そのため、紀元前中国の数学を知るための資料は、紀元前2世紀頃に書かれたとされる『周髀算經』と『九章算術』に代表され、
この記事では、『九章算術』に載っているものを中心に、古代中国の数学の特徴を大まかに解説。
長い歴史を踏まえながら、当時の中国の数学を見ていきましょう。
| 時代 | B.C.6000年頃~263年 |
| 場所 | 中国 |
古代中国の数学史年表
中国は紀元前6000年からの長い歴史を持つものの、数学史としてはエジプトやバビロニアよりも浅いです。
黄河や長江流域で中国文明が興る。
黄河流域ではアワ、長江流域では稲が中心の農耕が始まる。
数百人規模の村落が生まれる。
人工的な水田や土器を作り、集団での生活が行われるようになった。
村落どうしの交流・争いが始まる。
各地域で政治的統合がなされていった。
殷が倒されることにより、戦国時代に突入する。
周が殷を倒したことにより、小さな国が乱立する戦国時代に突入した。
秦が中国統一。
約800年間の戦国時代が幕を閉じた。
古代中国の数学の内容(紀元前)
紀元前の中国は分裂と統一を繰り返し、戦争や制度改革が盛んでした。
その一環として、紀元前213年の焚書政策により、それ以前の数学史料はほとんど残っていません。
しかし、紀元前202年頃の『周髀算經』、それと同時期の『九章算術』により、古代中国の数学体系が確立しました。

数字は甲骨文字による合字
現在我々が使っている漢字の祖先は甲骨文字であり、紀元前1600年頃の殷の時代から使われ始めました。
甲骨文字には、13種類の数字が用意されています。


これら以外の数字については、2つ以上の数字を組み合わせて新しい数字を作る、合字の考え方で表されました。


合字の作り方として、たし算とかけ算が混ざっているのも甲骨文字の数字の特徴となっています。

計算手段は算木
古代中国では、そろばんの祖先にあたる「算木」という道具で計算を行っていました。
数字の表し方は横式と縦式があり、これらを位ごとに交互に使用し、数の読み間違いを防いでいました。


さらに赤い算木(正の数)と黒い算木(負の数)が用意されており、世界で初めて負の数を計算で使っていました。
-1024x817.png)
算木を使うことで、かけ算でさえもものすごいスピードで行われていたことがわかっています。

連立方程式を行列で解いた
『九章算術』の中では、連立方程式の解法として、行列の掃き出し法と同様の方法が紹介されていました。
『九章算術』8章第1問に出てくる連立方程式
\begin{cases}
3x+2y+z=39&\\
2x+3y+z=34& \\
x+2y+3z=26&
\end{cases}を例にすると、各係数を縦に並べることで、
\begin{pmatrix}
1 & 2 & 3 \\
2 & 3 & 2 \\
3 & 1 & 1 \\
26 & 34 & 39
\end{pmatrix}という行列(表)を作成します。
この行列を、以下のように変形していきました。
\begin{align*}
&~\begin{pmatrix}
1 & 2 & 3 \\
2 & 3 & 2 \\
3 & 1 & 1 \\
26 & 34 & 39
\end{pmatrix}
\\
\xrightarrow{中列を3倍}&
\begin{pmatrix}
1 & 6 & 3 \\
2 & 9 & 2 \\
3 & 3 & 1 \\
26 & 102 & 39
\end{pmatrix}
\\
\xrightarrow{右列の2倍で中列をひく}&
\begin{pmatrix}
1 & 0 & 3 \\
2 & 5 & 2 \\
3 & 1 & 1 \\
26 & 24 & 39
\end{pmatrix}
\\
\xrightarrow{左列を3倍}&
\begin{pmatrix}
3 & 0 & 3 \\
6 & 5 & 2 \\
9 & 1 & 1 \\
78 & 24 & 39
\end{pmatrix}
\\
\xrightarrow{右列で左列をひく}&
\begin{pmatrix}
0 & 0 & 3 \\
4 & 5 & 2 \\
8 & 1 & 1 \\
39 & 24 & 39
\end{pmatrix}
\\
\xrightarrow{左列を5倍}&
\begin{pmatrix}
0 & 0 & 3 \\
20 & 5 & 2 \\
40 & 1 & 1 \\
195 & 24 & 39
\end{pmatrix}
\\
\xrightarrow{中列の4倍で左列をひく}&
\begin{pmatrix}
0 & 0 & 3 \\
0 & 5 & 2 \\
36 & 1 & 1 \\
99 & 24 & 39
\end{pmatrix}
\\
\xrightarrow{中列の4倍で左列をひく}&
\begin{pmatrix}
0 & 0 & 3 \\
0 & 5 & 2 \\
36 & 1 & 1 \\
99 & 24 & 39
\end{pmatrix}
\\
\xrightarrow{左列を9で割る}&
\begin{pmatrix}
0 & 0 & 3 \\
0 & 5 & 2 \\
4 & 1 & 1 \\
11 & 24 & 39
\end{pmatrix}
\end{align*}変形後の行列から、$~z=\displaystyle \frac{11}{4}~$とわかり、中列から$~y~$、右列から$~x~$と順に求まります。
負の数が途中の行列で出てきたり、4文字以上の連立方程式となったりする問題も『九章算術』には登場し、連立方程式のレベルの高さがわかります。

円周率は3
『九章算術』における円周率は$~3~$であり、以下の問題がその根拠となっています。
今、円周$~30~$歩※1、直径$~10~$歩の円田がある。
田の面積はどのくらいか。
※1「歩」は周(B.C.11世紀頃~B.C.256)に定められた長さの単位で、当時は1歩=約1.38m。
円周率を$~3~$にすることで、計算上非常に便利であり、その点を第一に考えていました。
円の面積を求める公式も、半径ではなく直径や円周といった実測可能な長さを使ったものが4つ与えられており、ここからも実用性を重んじていることがわかります。
円周を$~\ell~$、円の直径を$~d~$、円の面積を$~S~$とする。
① $~\displaystyle S=\frac{\ell}{2}\cdot \frac{d}{2}~$
② $~\displaystyle S=\frac{\ell \cdot d}{4}~$
③ $~\displaystyle S=\frac{d^2 \cdot 3}{4}~$
④ $~\displaystyle S=\frac{\ell^2}{12}~$

有限専用の開平法があった
『九章算術』において、根が有限な数となるとき専用の開平法が紹介されていました。
その方法とは、正方形の面積から1辺の長さを出すことを考え、正方形を分割していくという幾何的なアプローチです。
『九章算術』4章第12問で登場する、$~55225~$の平方根を考えるときには、図8のような正方形を考えました。

図8を使って、面積が$~55225~$を超えないように一辺の長さを求めていくと、$~235~$が求まります。
そのため、$~2~$の平方根のような無理数を扱うことはできませんでした。

三平方の定理も術として解いた
今で言う「三平方の定理」は、『九章算術』において「句股の術」として知られていました。
句・股をそれぞれ自乗※1して、それらを足して開平術を使えば、弦の長さが求まる。
股を自乗して、弦の自乗したものから引き、その余りに開平術を使えば、句の長さが求まる。
句を自乗して、弦の自乗したものから引き、その余りに開平術を使えば、股の長さが求まる。
この「句股の術」を使うことで、図9のような基本的な問題が簡単に解けました。

『九章算術』ではこのような基本問題だけでなく、長めの文章題まで紹介されており、各問題に応じた計算術(公式)が用意されていました。

例として、池の中央に生えている葭の長さを求める問題(図10)に関しては、
(葭の長さ)=\frac{(岸までの距離)^2-1^2}{2 \times 1}+1
という専用術で求まります。
三平方の定理の文章題といっても、ほとんどの問題は二次方程式を使わないという点も『九章算術』の特徴です。

二次方程式を特殊な開平法で解いた
『九章算術』において、$~x^2-3x+2=0~$のように、$~x~$の係数が$~0~$でない二次方程式は2題だけ登場します。
その2題については、「帯従開平」という特殊な開平法を使って解きました。
『九章算術』9章第11問を解く上で出てくる二次方程式$~x^2+68x-2688=0~$については、以下のように求められました。
\begin{align*}
x&=(\sqrt{2688\times 4+68^2}-68) \div 2 \\
&=(\sqrt{15376}-68) \div 2 \\
&=(124-68) \div 2 \\
&=28
\end{align*}実はこの式、現在の解の公式における$~a=1~$かつ負の解が出ないパターンとなっており、263年には劉徽が幾何的に証明しました。

古代中国の数学の内容(紀元後)
紀元後の中国は強力な中央集権体制と大規模な官僚制度が発達したため、政治・社会が比較的安定し、大規模な知識体系や学術書の保存、学者層の登場が促されました。
そのため、古代ギリシャと同様、個人名が明確に歴史に残る優れた数学者が登場し、その業績や著作が記録され後世に伝わるようになったのです。
孫子:中国剰余の定理と雉兎同籠を扱った
孫子(Sunzi , 3世紀初め)は、3世紀または5~6世紀に活躍した古代中国の数学者です。

(AIによるイメージ)
兵法書で有名な軍師の孫子とは別人なので注意しましょう。

(出典:See page for author, Public domain, via Wikimedia Commons)
- 『孫子算経』を記し、中国剰余の定理の原型を示した。
- 『孫子算経』の中で、鶴亀算の原型である雉兎同籠の問題を扱った。
中国剰余の定理は、現在の合同式を利用すると次のように表せます。
与えられた2つの整数$~m~,~n~$が互いに素であれば、任意の整数$~a~,~b~$に対して
\begin{cases}
x \equiv a ~~&(\mod{m}~~~) \\
x \equiv b ~~&(\mod{n}~~~~)
\end{cases}を満たす整数$~x~$が$~mn~$を法として一意に存在する。
この定理につながる問題は、『孫子算経』の下巻で登場します。
あるものがあるが、その数がわからない。3で割って余り2、5で割って余り3、7で割って余り2。いくつか?
また、日本で鶴亀算として知られる計算の元も『孫子算経』で扱われていたものの、鶴と亀ではなく雉と兎でした。
今、雉と兎が同じ籠の中に入っている。上から見ると頭が35個あり、下から見ると足が94本ある。雉と兎はそれぞれ何匹いるか。

劉徽:『九章算術』に注釈を加えた
劉徽(Liú Huī,3世紀頃)はおよそ3世紀頃に、紀元前の中国の大著『九章算術』に注釈を加え、『九章算術注』として中国数学の発展に貢献した数学者です。

(出典:See page for author, CC BY-SA 4.0, via Wikimedia Commons)
- 『九章算術』に注釈を加えた。
- 割円術により、円周率の近似値として$~3.1416~$を求めた。
- 重差術により、離れた地点までの距離を求めた。
劉徽によって、『九章算術』がその後の中国数学を支える数学の理論書となりました。

(出典:中國書店海王邨公司, Public domain, via Wikimedia Commons)
この注釈本の中でさまざまな”術”について紹介していますが、その中の1つが円周率を求めるために使われた割円術。
劉徽はこの術により、円周率を$~3.14159~$まで正確に求めており、計算上$~3.1416~$という数を提示しました。

また、『九章算術注』とは別に『海島算経』を書いており、離れ小島までの距離や高さを、小島に行かずに測定する方法(重差術)について述べています。


祖沖之:円周率を小数第7位まで求めた
祖沖之(Zu Chongzhi 429年〜500年)は5世紀後半の中国で、暦法の精度を上げるために円周率の研究をした数学者・天文学者です。

(出典:三猎, CC BY-SA 4.0, via Wikimedia Commons)
祖沖之は、息子の祖暅之と協力して、円周率を$~3.1415926~$まで正確に求めました。
また、円周率を理論的な正確性を重視する密率と、計算の手軽さを重視する約率に分け、それぞれ次のような分数で表しました。
\begin{align*}
\frac{355}{113}&=3.1415929\cdots \\
\\
\frac{22}{7}&=3.1428571\cdots
\end{align*}彼が円周率の研究を通して作成した「大明暦」と、実際の地球の回転速度との誤差は、1年あたりわずか50秒程度。
非常に精度の高い暦であったことがわかるでしょう。

まとめ
古代中国の数学について概説してきました。
- 数字は甲骨文字、計算では算木が使われた。
- 紀元前2世紀頃の『九章算術』に、古代中国数学の知識がまとめられている。
- 紀元後は国内の情勢が安定したことで、劉徽や祖沖之といった数学者たちが現れるようになった。
紀元前213年の焚書政策という歴史を持ちながらも、『九章算術』を中心に中国の数学は発展していきました。
古代中国で発展した数学の内容は、遣隋使や遣唐使などによって日本に伝わり、和算に少なからず影響を与えています。

秦の始皇帝がいなければ、もっと数学が発展していたかもしれないね!



始皇帝以前の資料がほとんど発見されていないことを考えると、彼の焚書政策への徹底ぶりのすごさがわかるね‥‥。
このブログの参考文献
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- 『カッツ 数学の歴史』
- 『メルツバッハ&ボイヤー数学の歴史(Ⅰ・Ⅱ)』
- 『数学の流れ30講(上・中・下)』
- 『数学の歴史物語』
- 『フィボナッチの兎』
- 『高校数学史演習』
- 『数学の世界史』
- 『数学の文化史』
- 『モノグラフ 数学史』
- 『数学史 数学5000年の歩み』
- 『数学物語』
- 『世界数学者事典』
- 『数学者図鑑』
- 『数学を切りひらいた人々(1~5)』
- 『天才なのに変態で愛しい数学者たちについて』
- 『素顔の数学者たち』
- 『数学スキャンダル』
- 『ギリシャ数学史』
- 『古代ギリシャの数理哲学への旅』
- 『ずかん 数字』
- 『πとeの話』
- 『代数学の歴史』
- 『幾何学の偉大なものがたり』
- 『アキレスと亀』
- 『ピタゴラスの定理100の証明法』
- 『ピタゴラスの定理』
- 『フェルマーの最終定理』
- 『哲学的な何か, あと数学とか』
- 『数と記号のふしぎ』
- 『身近な数学の記号たち』
- 『数学用語と記号ものがたり』
- 『納得する数学記号』
- 『図解教養事典 数学』
- 『イラストでサクッと理解 世界を変えた数学史図鑑』(拙著)
- 『教養としての数学史』(拙著)


コメント
コメント一覧 (2件)
岳麓院蔵秦簡『数』訳注 紀元前212年(始皇帝35年)
『張家山漢簡<<算数書>>』紀元前186年成立
詳細は「古代中国古算書研究会」にアクセスしてください.
古代中国数学史・和算研究者です.
宮田様
コメントありがとうございます。
『数』や『算数書』という書簡については、存在を初めて知りました。
自分が持っている本以外からも情報を仕入れていかないと、正確な情報の提供は難しいですね。
ご指摘いただき、大変助かりました。