
紀元前の中国における戦乱の歴史、そして当時の数学を知ることができる資料について解説します。
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Ⅰ 歴史
黄河や長江の畔で人々が農耕を始めたB.C.6000年頃、四大文明の1つである中国の文明が興りました。

その後、黄河流域の各場所で、地元の有力者が土地を支配するようになりますが、B.C.1600年頃、それらの地域を束ねて支配するようになったのが、殷という国家です。
殷では、「甲骨文字」が使われ、現在でも当時文字を刻まれた亀の甲羅等が残っています。

B.C.1000年頃に周が殷を倒したものの、その後は小さな国が乱立する戦国時代が続きました。
B.C.500年頃には、『論語』で有名な孔子(下図)が登場し、人々に心の平安を説いているほどです。

しかし、結果的に争いの世がなくなったのは B.C.221年であり、秦の始皇帝(下図)が統一国家を形成した年です。
秦の勢力は巨大で、統治範囲は黄河のみならず長江にまで達していました。

始皇帝は、万里の長城を形成したり、文字の統一を図ったりと、治国のための取り組みを行ってきましたが、数学の発展を結果的に阻害することになってしまった政策もありました。
それは、B.C.213年に行われた「焚書」命令です。
これにより、長い伝統を持つ中国数学の書籍が焼かれてしまい、その後の数学者はもちろん、現在の我々も秦以前の数学を知ることができなくなっています。
B.C.206年に秦が破られ、長安を都とする漢が誕生します。
甲骨文字を起源として、時代と共に発展してきた中国の文字(漢字)が、日本をはじめとする近隣の国々へと伝わっていきました。
~紀元前の中国 略年表~
B.C.6000頃 | 黄河流域に人が住み始め、文明が興る。 |
B.C.1600頃 | 殷が黄河流域を支配し、甲骨文字が使われる。 |
B.C.1000年頃 | 周が殷を倒すが、その後戦国時代へと突入する。 |
B.C.221 | 秦の始皇帝が中国を統一する。 |
B.C.213 | 始皇帝が「焚書」命令を出し、それ以前の書籍が焼却される。 |
B.C.206 | 漢が秦を破る。紀元後まで漢時代は続いた。 |
Ⅱ 『周髀算經』と『九章算術』
現存しているなかで、紀元前の中国の数学を知ることができる有名な書物が2冊あります。
それが『周髀算經』と『九章算術』であり、漢の時代の教育でも使われていた本です。
『周髀算經』は、B.C.202年頃に書かれたと推測されています。
内容としては、天文学上の計算がメインで、それに付随して直角三角形の性質の紹介やピタゴラスの定理(下図)を扱っています。

この『周髀算經』と同じくらい古く、当時最も影響力があったのは『九章算術』(下図:注釈版)で、測量、農業、共同経営、土木、徴税、計算、方程式等の246個の問題を扱っています。

登場する問題は、生活に即したものであり、この点でエジプトのパピルスやバビロニアの粘土板と似ていると言えるでしょう。
これらの書籍については、5-4以降で解説していこうと思います。


以前の王朝の時代がわかるものは、すべて無かったことにしないといけないからね。

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◇参考文献等
・ヴィクターJカッツ著,上野健爾・三浦信夫監訳,中根美知代・高橋秀裕・林知宏・大谷卓史・佐藤賢一・東慎一郎・中澤聡訳(2009)『カッツ 数学の歴史』,pp.4-5,共立出版.
・中村滋・室井和男(2015)『数学史ーー数学5000年の歩み』,pp.135-137,共立出版.
・三浦伸夫・三宅克哉監訳,久村典子訳(2018)『メルツバッハ&ボイヤー 数学の歴史Ⅰー数学の萌芽から17世紀前期までー』,pp.193-194,朝倉書店.
・中村滋(2019)『ずかん 数字』,pp.70-71,技術評論社.
・ジョニー・ボール著,水谷淳訳(2018)『数学の歴史物語』,pp.167-171,SB Creative.
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