四大文明から少し遅れて文明が発達した古代ギリシャ。
その特徴とも言えるポリス(国家)では、法によって統治され、その独特の風土から数学における証明の概念が生まれました。
この記事では、古代ギリシャの中でも、ギリシャ時代(~B.C.323)における世界史と数学の方向性、登場する数学者について解説。
現在では当たり前とされる数学の証明という概念を作った、ギリシャ時代の数学者たちの功績を知ることができます。
時代 | 紀元前2000年頃~紀元前334年(アレクサンドロス大王の東方遠征まで) |
場所 | ギリシャ |
古代ギリシャの歴史(アレクサンドロス大王の東方遠征まで)
古代ギリシャが世界史に登場するのは、紀元前2000年頃。
四大文明と比べると、少し遅めの幕開けでした。
文明の発生直後は争いが続いた
紀元前2000年頃から、エーゲ海に浮かぶクレタ島を中心に小さな国々が生まれ、エーゲ文明が誕生しました。
ギリシャ本土では、紀元前1600年頃にミケーネ文明が誕生。
好戦的なミケーネ文明は、紀元前15世紀にクレタ島を支配しました。
ギリシャ本土を中心に、エーゲ海一帯で栄えたミケーネ文明は、紀元前1200年頃に破壊※1され、滅亡しました。
※1 破壊された理由は不明。気候変動や外部勢力の侵入などの様々な原因によるとされています。
その後の約400年間は、暗黒時代と呼ばれる混乱の時代となり、人々はギリシャ本土からエーゲ海の島々を中心に移住するようになります。
法で統治するポリスの誕生
紀元前8世紀に入ると、有力貴族を中心となって各地で人々が集住し、ポリスという都市国家ができ始めます。
ポリスの誕生が人々の定住をうながしたことで、約400年間続いた暗黒時代が終わりました。
紀元前7世紀頃になると、法律が成文化されるようになり、ポリス内は法で統治されるようになりました。
紀元前6世紀初頭には貴族だけでなく平民にも参政権が徐々に認められるようになります。
そのため、ポリス内のアゴラ(広場)では、集会が定期的に開かれ、平民たちが談話や議論を楽しんでいました。
ポリスどうしや外国との戦いが起こる
人が定住して人口が増えてくると、土地が足りなくなるため、各ポリスは植民市を開拓するようになります。
植民市が増えることでポリスの規模が拡大していき、大きな勢力を持ったのがアテネとスパルタです。
エーゲ海を挟んだ東側では、エジプトやバビロニアといったオリエント諸国を統一したアケメネス朝(ペルシア)が勢力を持っており、この3国は頻繁に争いを繰り返しました。
- 510年※2:スパルタがアテネに侵攻。
- 508年:スパルタがアテネに再侵攻。アテネがスパルタ軍を撤退させる。
- 490年:ペルシア戦争(アテネとペルシアの戦い)が始まる。
- 480年:スパルタがペルシアに大敗する。
- :ペルシアがアテネ市内を焼きつくす。
- :アテネがペルシア艦隊を撃破する。
- 479年:スパルタがペルシア陸軍を撃破する。
- 449年:アテネとペルシアの間に平和条約が成立。
- 431年:ペロポネソス戦争(アテネとスパルタの戦い)が始まる。
- 404年:アテネに疫病が流行り、ペロポネソス戦争はスパルタの勝利。
※2 年代はすべて紀元前。
ほとんどのポリスがマケドニア支配下となる
絶え間ない戦争により、アテネやスパルタをはじめとする各ポリスは弱体化していきました。
その最中に、ギリシャの北方にあるマケドニアが軍事力を徐々に強め、紀元前338年にアテネを破ります。
この出来事をきっかけに、マケドニアはギリシャのほとんどのポリスを支配下におくことに。
そして、紀元前334年にアレクサンドロス大王が東方遠征を開始したことで、ギリシャに東方の文化が入ってくるようになりました。
この出来事によって、ギリシャ風の(ヘレニズム)時代へと移り変わり、ギリシャ独自の文化は幕を閉じたのです。
歴史が数学に与えた影響
争いが多かった古代ギリシャですが、数学が発展するうえでは良い環境が整っていたと言えます。
エジプトやバビロニアの知識が手に入った
ポリスの中でも、早いところでは紀元前8世紀半ばから植民活動をしていました。(前述)
植民市の中には、オリエントとの交易が可能な地域もあり、エジプトやバビロニアの高度な数学の知識がギリシャに伝わりました。
紀元前6世紀の数学者ピタゴラス(Pythagoras, B.C.569頃-B.C.500頃)も、若い頃にエジプトやバビロニアを旅して回り、ピタゴラスの定理(三平方の定理)を勉強しています。
「証明」の概念が生まれた
ポリスでは、市民がアゴラ(広場)で議論をする文化がありました。(前述)
議論をするうえで求められるのは、自分の主張を合理的に説明することです。
そのため、古代ギリシャ人はエジプトやバビロニアの数学的知識を鵜呑みにすることなく、それらが本当に正しいかどうかの証明を与えていきました。
他の文明では見られなかった証明という行為が、その後のギリシャ数学を発展させると共に、現在の数学にまで影響を与えています。
著作活動が活発になった
議論を大切にしていたポリスにおいては、口頭でのコミュニケーション力や記憶術が重要視されました。
そのため、プラトン(Platon , B.C.427-B.C.347)の時代まで、人や議論の内容について文字として残すという文化が無く、タレスやピタゴラスといった数学者たちの来歴や功績についても、伝聞によって語り継がれてきた情報が主となっています。
しかし、戦争の長期化によってポリスが弱体化してきた紀元前400年頃(前述)からは、先行きの不透明な世界を案じ、著作活動が活発化しました。
ギリシャ時代の数学者たちが残した研究成果は、ヘレニズム時代へと伝わり、ユークリッド(Euclid , B.C.330頃-B.C.275頃)の『原論』に総括されています。
数学者が生まれた(数学者の名が残った)
著作活動が活発になったことで、数学上の発見だけでなく、それを行った人物名までもが後世に残るようになりました。
最古の数学者はタレス(Thales , 紀元前625年頃~紀元前547年頃)であり、「タレスの定理」という功績と共に、数学史に名を残しています。
半円に内接する三角形は直角三角形である。
まとめ
古代ギリシャの中でも、ギリシャ時代(~B.C.323)における歴史と数学者について解説をしました。
- ポリスの市民の議論好きな文化が、数学における証明を誕生させた。
- タレスをはじめとする数学者たちの名が、功績と共に現在にまで残っている。
- アレクサンドロス大王の東方遠征により、ギリシャ独自の文化が幕を下ろした。
次の記事以降では、ギリシャ時代の数学の中身を見ていきます。
数学者の名前が、プラトンとユークリッド以外、全員「〇〇ス」だ!
プラトンの本名は「アリストクレス」、ユークリッドが「エウクレイデス」だよ。
その時代の文法に従っていたんだ。
ただ、ゼノンだけは特殊だね。
参考文献(本の紹介ページにリンクしています)
- 『カッツ 数学の歴史』,pp.55-118
- 『メルツバッハ&ボイヤー 数学の歴史Ⅰ』,pp.41-98
- 『数学史 数学5000年の歩み』,pp.83-119
- 『数学の歴史物語』,pp.41-76
- 『数学の流れ30講(上)』,pp.25-55
- 『世界数学者事典』
- マイケル・J・ブラッドリー(2009)『数学を切りひらいた人びと1-数学を生んだ父母たち』,pp.14-48
- ピエルジョルジョ・オーディフレッディ著,河合成雄訳(2021)『幾何学の偉大なものがたり』,pp55-118
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