中世イスラーム世界で、古代ギリシャの知の光を絶やさず、未来へと繋いだ偉大な数学者、サービト・イブン・クッラ。
彼の最も有名な功績は友愛数を見つけるための公式を発見したことです。
しかしその一方で、フワーリズミーの研究を引き継ぎ、二次方程式の一般化など、今日の代数学の基礎にも深く関わっています。
この記事では、サービト・イブン・クッラの生涯と功績、そして彼にまつわる興味深いエピソードについて、数学史の先生Fukusukeが中学生・高校生レベルで分かりやすく解説!
この記事を読めば、サービト・イブン・クッラがどのようにして数学の歴史にその名を刻んだのかが、きっとわかるはずです。
イブン・クッラの生涯
サービト・イブン・クッラ(Thābit ibn Qurra, 826年頃 – 901年)は、9世紀のイスラーム世界で輝かしい功績を残した学者です。

(出典:https://mathshistory.st-andrews.ac.uk/Biographies/Thabit/)
彼は数学者のみならず、医師、天文学者、哲学者、そして卓越した翻訳家でもありました。
イブン・クッラの年譜
サービト・イブン・クッラの生涯は以下のとおりです。
| 年代 | 出来事 | 補足 |
|---|---|---|
| 826年頃 | ハッラーンで生まれる | 現在のトルコ南東部に位置する古代都市。サービア教徒の裕福な家庭に生まれる。 |
| 850年頃 | バグダードへ移住 | 学問の中心地であったバグダードの「知恵の館」で活動を開始。カリフ(君主)の庇護を受ける。 |
| 850年-901年 | 翻訳と研究に没頭 | ユークリッド、アルキメデス、プトレマイオスなど、古代ギリシャの重要な科学文献をアラビア語に翻訳。数学、天文学の研究でも大きな業績を残す。 |
| 901年 | バグダードで没する | 約75歳で死去。彼の翻訳と研究は、その後のイスラーム科学、さらにはヨーロッパのルネサンスにまで大きな影響を与えた。 |
イブン・クッラの活動場所
現在のトルコ南東部にあたるハッラーンで生まれたサービト・イブン・クッラ。
彼はその後、アッバース朝の首都バグダードに移住し、没するまでこの地で過ごしました。
当時のバグダードには、世界中から学者たちが集まる学問の中心地「知恵の館(バイト・アル=ヒクマ)」があり、そこで翻訳家や科学者としての仕事を行い、イスラームの黄金時代に貢献しました。
イブン・クッラの功績:友愛数を求める式を発見した
サービト・イブン・クッラの数学上最も有名な功績は友愛数の研究です。
友愛数とは、以下のような自然数の珍しい組み合わせのことです。
異なる2つの自然数の組で、自分自身を除いた約数の和が互いに他方と等しくなる数のことを友愛数という。
$~220~$の約数のうち、自身を除いたものの和は、
1+2+4+5+10+11+20+22+44+55+110 = 284
である。
$~284~$の約数のうち、自身を除いたものの和は、
1+2+4+71+142 = 220
である。
よって、自分自身を除いた約数の和が互いに他方と等しくなったので、$~220~$と$~284~$は友愛数である。
サービト・イブン・クッラの公式
古代ギリシャのピタゴラス学派はすでに220と 284のペアを知っていましたが、それ以外の友愛数を見つけることは非常に困難でした。
サービト・イブン・クッラは、この神秘的な友愛数を生み出すための、驚くべき公式を発見したのです。
$~n~$ を $~2~$以上の自然数とする。
\begin{align*}
p &= 3 \times 2^{n-1} - 1 \\
q &= 3 \times 2^n - 1 \\
r &= 9 \times 2^{2n-1} - 1
\end{align*}に対して、 $~p, q, r~$ がすべて素数であるならば、 $~2^n pq~$ と $~2^n r~$ は友愛数になる。
実際にこの公式から、最小の自然数220と284を求めてみましょう。
$~n=2~$ のとき、
\begin{align*}
p &= 3 \times 2^{2-1} - 1 = 5 \\
q &= 3 \times 2^2 - 1 = 11 \\
r &= 9 \times 2^{2 \times 2-1} - 1 = 9 \times 2^3 - 1 = 71
\end{align*}となり、 $~p, q, r~$ は素数なので、次の $~2~$ つの数は友愛数である。
\begin{align*}
2^n pq &= 2^2 \times 5 \times 11 = 220 \\
2^n r &= 2^2 \times 71 = 284
\end{align*}この公式に$~n=4~$を代入することで、イブン・クッラは$~17296~$と$~18416~$の組を見つけています。
近世ヨーロッパでは、17世紀のフェルマーによってサービト・イブン・クッラの公式は再発見され、デカルトが$~n=7~$を代入することによって、$~9363584~$と$~9437056~$が発見されました。
サービト・イブン・クッラの公式の証明や、それを一般化したオイラーの関係式については以下の記事をご覧ください。

ヒントはユークリッドの完全数
サービト・イブン・クッラが友愛数の公式にたどりついた背景には、古代ギリシャの数学者ユークリッド(エウクレテイデス)が研究した完全数があったと考えられています。
完全数は以下の定義で与えられます。
自分自身を除く約数の和が、自分自身と等しくなる自然数のことを完全数という。
ユークリッドは、完全数を生み出す公式を、主著『原論』の中で次のように与えています。
$~2^p-1~$が素数のとき、$~2^{p-1}(2^p-1)~$は完全数となる。
イブン・クッラは、翻訳活動を行うなかで完全数の理論を深く研究し、それを2つの数の関係である友愛数に応用することで、歴史的な公式の発見に至ったのです。
イブン・クッラの功績:二次方程式の解法を一般化した
サービト・イブン・クッラのもう一つの重要な功績は、二次方程式の解法を一般化したことです。
フワーリズミーの解法を一般化
「代数学の父」として知られるフワーリズミーは、二次方程式を係数が正の数になるように6つのパターンに分類し、それぞれについて具体的な数値を用いた解法を示しました。
型として、$~x^2 + 10x = 39~$を解け。
(1) $x^2~$を表す図に1辺$~x~$の正方形をかき、となりあった2辺の外側にそれぞれ5の幅を持つ長方形を加える。
こうしてできた図形の面積は$~39~$である。

(2) 大きな正方形を完成させるために、面積が$5^2$の正方形をつけ加える。

(3) 大きな正方形の1辺は$~x+5~$であり、その面積が$~39+5^2=64~$である。
そのため、大きな正方形の1辺は$~8~$であるため、$~x+5=8~$より$~x=3~$が求められる。
しかし、サービト・イブン・クッラは、フワーリズミーの方法からさらに一歩進んで、具体的な数値を使わない二次方程式の一般的な解法を幾何学的に証明したのです。

平方完成を図で表した
フワーリズミーが例として挙げた$~x^2+10x=39~$を、一般化した二次方程式$~x^2+px=q~$の解法を見てみましょう。
イブン・クッラが使ったのは、翻訳の仕事をする中で登場したであろうユークリッドの『原論』の命題でした。
与えられた線分$~AB~$を$~M~$で二等分し、線分$~AB~$を延長して、線分$~AC~$をつくる。

このとき、$~AC~$と$~BC~$を長さに持つ長方形と、1辺が$~BM~$の正方形の面積の和は、1辺が$~CM~$の正方形の面積に等しい。

この命題を利用し、イブン・クッラは次のように二次方程式を解いています。
$~x^2+px~$を長方形$~ADFB~$と正方形$~BFGC~$の面積の和で表す。

この長方形$~ADGC~$の面積$~q~$に、1辺$~\displaystyle \frac{p}{2}~$の正方形$~EHIF~$の面積$~\displaystyle \left(\frac{p}{2}\right)^2~$を加えると、『原論』2章命題6より、 1辺$~\displaystyle x+\frac{p}{2}~$の正方形$~MHJC~$と等しくなる。

すなわち、
\left(x+\frac{p}{2}\right)^2 = q+\left(\frac{p}{2}\right)^2が成り立ち、正方形の1辺は
\begin{align*}
x+\frac{p}{2} &= \sqrt{q+\left(\frac{p}{2}\right)^2} \\
x& = \sqrt{q+\left(\frac{p}{2}\right)^2} - \frac{p}{2}
\end{align*}と求めることができる。

イブン・クッラは幾何学的な操作のみによって、二次方程式の解の公式を視覚的に証明したのです。
ちなみに、現在の解の公式を$~x^2+px=q~$で使うと、
x=\frac{-p\pm\sqrt{p^2+4q}}{2}=-\frac{p}{2}\pm\sqrt{q+\left(\frac{p}{2}\right)^2}となり、負の平方根こそ考えられていないものの、同じ式を作ることができています。
イブン・クッラの功績:ギリシャの著作を多数翻訳した
サービト・イブン・クッラは、友愛数の功績以上に数学史上で意義のあることを成し遂げました。
それは、ギリシャの名著をアラビア語に翻訳したことです。
イブン・クッラが翻訳に携わった数学書を挙げると、ヘレニズム時代の有名数学者たちの名著ばかり。
この時代にアラビア語に翻訳された書が、11〜12世紀のヨーロッパでラテン語に再び翻訳されることで、ルネサンス期に数学が花開く土台となりました。
イブン・クッラが翻訳した数学書は重要なものが多く、彼がいなければアルキメデスやアポロニウスの功績がヨーロッパに伝わらなかったのではないかと考えられています。

(出典:Apollonius of Perga, CC BY 4.0, via Wikimedia Commons)
イブン・クッラのエピソード:孫はイブラーヒーム・イブン・スィナーン
イブン・クッラの孫であるイブラーヒーム・イブン・スィナーン( Ibrahim Ibn Sinan ,908年〜946年)は、祖父と同じく優れた数学者・天文学者として知られています。

(AIイメージ)
イブン・スィナーンは、祖父であるイブン・クッラの業績を深く研究し、特に円錐曲線(放物線や双曲線など)の研究を発展させました。
ある著作の中でスィナーンは、「(祖父の)方法が長すぎるという批判を耳にしたので、一族の科学的評判を挽回するために、私は(より優れた)証明を考案した」という趣旨の記述を残しており、イブン・クッラを超えようという熱意を感じられるエピソードとして知られています。
まとめ
今回は、中世イスラームの偉大な数学者、サービト・イブン・クッラについて解説しました。
- 翻訳家としての顔を持ち、それが数学の知見に繋がった。
- 謎に満ちた友愛数を生成する画期的な公式を発見した。
- 二次方程式の解法について、フワーリズミーよりも抽象度の高い説明を行った。

古代ギリシャの原文を読めるってだけでアドバンテージだよね。



しかも、ここで翻訳された書物は中世ヨーロッパへと伝わっているから、イブン・クッラの貢献度は計り知れないよ。




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