古代ローマの数学史は、羊を数えるための数字から始まり、ギリシャ数学の影響を受けながらも実用性重視の数学を発展させ、キリスト教の台頭によって衰退するという道ををたどりました。
この記事では、王政・共和政・帝政という三つの時代背景について触れながら、各時代でどのような数学が求められていたかを、現役教員で数学史ライターのFukusukeがわかりやすく解説!
また、古代ローマが隆盛を極めた帝政の時代、統治下であったアレクサンドリアで活躍した数学者たちについてもまとめています。
この記事を読んで、古代ローマの数学史の概要をサクッと理解してみましょう!
古代ローマの数学史年表
| 年代 | 出来事 |
| 紀元前753年 | 王政ローマ建国 →羊を数えるときに使った記号からローマ数字が誕生し始める。 |
| 紀元前509年 | 共和政ローマ成立 |
| 紀元前3世紀初頭 | ローマがイタリア半島を統一 →この頃より、ローマにギリシャ由来の数学が流入し始める |
| 紀元前219年 | 第二次ポエニ戦争(〜前201年) →シラクサ包囲戦にて、アルキメデスが活躍する。 |
| 紀元前31年 | プトレマイオス朝エジプト滅亡 →アレクサンドロス大王によって伝わったギリシャ由来の文化(ヘレニズム文化)が衰退する。 |
| 紀元前27年 | 帝政ローマ成立 |
| 1世紀中頃 | ヘロンが誕生する |
| 70年頃 | メネラウスが誕生する |
| 1〜2世紀 | ローマ帝国が最盛期を迎える →天文学・土木の需要増加に伴い、数学は実用性が大きく重視された。 |
| 2世紀 | 二コマコスが誕生する |
| 2世紀 | プトレマイオスが誕生する |
| 3世紀 | ディオファントスが誕生する |
| 260年頃 | パップスが誕生する |
| 313年 | ローマでキリスト教が公認される →科学よりも神学が重視されるようになっていく |
| 370年頃 | ヒュパティアが誕生する |
| 391年 | アレクサンドリア図書館がキリスト教徒によって破壊される →アレクサンドリアが学問の中心地としての機能を失う |
| 395年 | 西ローマ帝国と東ローマ帝国に分裂する |
| 415年 | ヒュパティアが死亡する →アレクサンドリアから学者が消えていった |
| 476年 | 西ローマ帝国が滅亡する →「古代ローマ」という時代の終焉 |
| 529年 | アカデメイアが閉鎖される →ヨーロッパが本格的に科学の暗黒時代へと突入する |
| 1453年 | 東ローマ帝国が滅亡する |
古代ローマの歴史
古代ローマは一般的に、王政が始まった紀元前753年から、西ローマ帝国が終焉を迎える紀元後476年までを指します。
1200年以上を一括りにしている古代ローマですが、大きく3つの時代に分けることができます。
- 王政時代(紀元前753年〜紀元前509年)
- 共和政時代(紀元前509年〜紀元前27年)
- 帝政時代(紀元前27年〜476年)
各時代の歴史と、そこに数学がどう絡んできたかを簡単に見ていきましょう。
王政時代(紀元前753年〜紀元前509年)
紀元前753年、ロームルスによってローマが建国され、王政が始まりました。

(出典:Carlo Brogi, Public domain, via Wikimedia Commons)
ロームルスをはじめとする初期の王たちが都市の基盤を築き、前7世紀にはエトルリア人の王が都市国家としてローマを発展させました。
この時代のローマはまだ小さな都市国家であり、現在のローマ市にあたる程度の広さです。

(Roke (d), CC BY-SA 3.0, via Wikimedia Commonsより改変)
この時代、数学の主な利用は羊の数のカウントや、行政上の記録程度に限られていました。

紀元前7世紀ころにアルファベットがローマに流入し、これらの記号が現在のローマ数字へと変わっています。


紀元前509年、7代目の王が追放されることにより、約250年続いた王政が幕を閉じました。
共和政時代(紀元前509年〜紀元前27年)
紀元前509年から始まった共和政時代は、王の追放後に設立された貴族と平民による共和政が特徴です。
平民の保護のための役職の設置や法律の制定により、平民の権利が拡大。
市民参加型の政治体制が確立したことで、共和政ローマは前3世紀初頭までにイタリア半島を統一するほどの強力な軍事力を手に入れました。

(Roke (d), CC BY-SA 3.0, via Wikimedia Commons)
その後、ポエニ戦争などを経て地中海世界に進出し、属州拡大とともに社会・経済構造が大きく変化していくことになります。
ちなみに、第二次ポエニ戦争の最中、シチリア島シラクサの数学者アルキメデスがローマ軍の刃に倒れています。

その後も古代ギリシャの影響を受けていた地域を、戦争により属州化。
最終的に、紀元前31年のアクティウムの海戦でプトレマイオス朝エジプトを滅亡させ、ヘレニズム時代を終焉へと向かわせました。

(Roke (d), CC BY-SA 3.0, via Wikimedia Commons)
内部の格差や混乱が深まり、前27年にアウグストゥスが初代皇帝となり帝政へ移行しました。
共和政ローマにおいては、土木工事や建築、道路・水道建設のための実用的な数学が必要とされつつ、ヘレニズムの数学の影響を少しずつ受けていくことになりました。
ただ、領土の拡大とともに数字を表す記号が多様化しており、ローマの独自の数学はなかなか発展しませんでした。

帝政時代(紀元前27年〜紀元後476年)
紀元前27年、 アウグストゥス が初代皇帝として就任することで始まります。
これによりローマは帝政国家となり、「ローマ帝国(Imperium Romanum)」として最盛期を迎えることになりました。

(出典:Cplakidas, Public domain, via Wikimedia Commons)
領土が広がるにつれ、公共建築の設計や建設に高度な測量や計算技術が不可欠となり、ヘロンのような実用的な数学を操る数学者が必要とされました。
また、アレクサンドリアを属州化したことにより、古代ギリシャ由来の数学も受け継がれることになります。
しかし、313年にミラノ勅令でコンスタンティヌス帝がキリスト教を公認したことで、学問よりも信仰に重きを置く風潮になりました。
ローマ帝国内の情勢としては、広がった領土を統治するのが難しくなったこともあり、395年に東西に分裂。
ゲルマン人の大移動もあり、476年に西ローマ帝国が滅亡して古代ローマという1つの時代が終わることになりました。

(出典:Roke (d), CC BY-SA 3.0, via Wikimedia Commons)
東ローマ帝国は首都であるコンスタンティノープルの防衛力が高く、その後も約1000年続いています。
ただ、神学中心であることは変わらず、数学が発展しない科学の暗黒時代を歩むこととなりました。

(AIによるイメージ)
次にヨーロッパで数学が発展するのはルネサンスを待つことになります。
古代ローマの数学者たち
実用的な数学が重視されつつも、約1000年後にも通ずる理論も生まれた古代ローマの数学。
純粋数学への貢献と、実用的な数学の2つの面で、古代ローマの数学者たちをまとめてみましょう。
| 数学者 | 純粋数学での功績 | 実用的な数学での功績 |
| メネラウス (70年頃~130年頃) | ・メネラウスの定理をはじめとする、球面三角形の性質を研究した。 | ・球面上の図形的性質を利用し、天球上における天体の動きを研究した。 |
| ヘロン (1世紀中頃) | ・ヘロンの公式を発見し、数式を代数学の目線で研究した。 | ・三角形の三辺から面積を求める方法を発案し、測量技術、建築技術の向上に貢献した。 |
| ニコマコス (2世紀) | ・ニコマコスの定理を発表。 | |
| プトレマイオス (2世紀) | ・トレミーの定理を発表。 | ・正弦表を$~0.25^\circ~$刻みで作成し、天文学の進歩に寄与。 |
| ディオファントス (3世紀) | ・『算術』を著し、代数学を発展させた。 | |
| パップス (260年頃〜4世紀中頃) | ・『数学集成』で、古代ギリシャ数学、特に幾何学の知識を体系的にまとめた | |
| ヒュパティア (360年頃~415年) | ・アポロニウスの『円錐曲線論』やディオファントスの『算術』といった重要な数学書に注釈を加えた。 |
上記の数学者たちの功績を一人ひとり簡単にまとめます。
メネラウス:球面三角法を体系化した
メネラウス(Menelaus of Alexandria, 70頃〜130頃)は、球面三角法の創始者として知られる数学者です。

- 平面幾何学の概念を球面に拡張し、天文学に応用した。
- 球面三角形における「メネラウスの定理」を証明した。
球面三角法は、天体の動きを天球上で捉えるうえで必須の知識でした。
メネラウスが書いた『球面幾何学』に、球面三角法におけるメネラウスの定理がまとめられています。
球面三角形$~ABC~$と交わる大円弧$~EF~$があり、大円弧$~BC~$の延長と$~EF~$の延長は$~D~$で交わるとする。球の中心を$~O~$としたとき、次の等式が成り立つ。
\frac{\sin{\angle AOF}}{\sin{\angle FOB}}\times\frac{\sin{\angle BOD}}{\sin{\angle DOC}}\times\frac{\sin{\angle COE}}{\sin{\angle EOA}}=1

ヘロン:ヘロンの公式を発見した
ヘロン(Hero of Alexandria, 1世紀中頃)は、ヘロンの公式を発表し、代数学目線で数式をとらえた数学者です。

(出典:See page for author, Public domain, via Wikimedia Commons)
- 三角形を代数学的に求積する「ヘロンの公式」を発表した。
- 優れた発明家として、自動ドアと自動販売機も考案した
ヘロンは、図形の長さと面積を数字でとらえることによって、図形の求積を簡単にし、ローマ最盛期の建築の効率化に貢献しました。
「ヘロンの公式」は、建築や測量だけでなく、プログラミングにおいて、実用的な計算方法として重宝されています。

三辺の長さが$~a~,~b~,~c~$の$~\triangle ABC~$で、
s=\frac{a+b+c}{2}とする。
このとき、$~\triangle ABC~$の面積$~S~$は次のように求めることができる。
S=\sqrt{s(s-a)(s-b)(s-c)} \\
ニコマコス:数論の教育書を著した
ニコマコス(Nicomachus of Gerasa, 2世紀)は、ピタゴラス学派の思想を引き継いだ数学者です。

(出典:AnonymousUnknown author, Public domain, via Wikimedia Commons)
- ニコマコスの定理を発表した。
「ニコマコスの定理」とは、整数の立方和が、和の平方で表されるというシンプルで美しい定理です。
ニコマコスは、ネオ・ピタゴラス学派として活動しており、整数を研究する中で「ニコマコスの定理」を発見するに至りました。
$~n~$を自然数とする。
$~1~$から$n$までの整数の立方和は、1からnまでの整数和の平方に等しい。
1^3 + 2^3 + 3^3 + \cdots + n^3 = (1 + 2 + 3 + \cdots + n)^2


プトレマイオス:天文学的数学を完成させた
プトレマイオス(Claudius Ptolemaeus, 2世紀)は、天文学・地理学の大家でした。

(出典:See page for author, Public domain, via Wikimedia Commons)
- 『アルマゲスト』を著した。
- 円に内接する四角形に関する「トレミーの定理」を発表した。
- 正弦表を$~0.25^\circ~$刻みで作成した。
- 三角関数の半角公式を相似の知識から導いた。
プトレマイオスは、自身の名前(トレミー)が冠された「トレミーの定理」を発表したことで有名です。
四角形 $ABCD$ が円に内接するとき、
AB \times CD + BC \times DA = AC \cdot BD
が成り立つ。

この「トレミーの定理」を使うことによって、三角関数の加法定理を導くことを可能にしました。
また、加法定理以外に、三角関数の半角公式も相似の知識から導いており、正弦表を$~0.25^\circ~$刻みで作成。
天文学や地理学にも精通しており、『アルマゲスト』は数学、天文学において、当代一と評価されるほどでした。

ディオファントス:代数学の父と呼ばれた
ディオファントス(Diophantus of Alexandria, 3世紀)は、代数学の父とも称された数学者です。

(出典:See page for author, Public domain, via Wikimedia Commons)
- 『算術』を著し、代数学を発展させた。
- 計算に記号を導入し、問題を簡潔に記述することで、より複雑な計算を可能にした。
- 未知数を記号で表し、「ディオファントス方程式」を数多く研究した。
- ディオファントスの墓に刻まれた問題が有名。
ディオファントスは、計算式の中に記号を導入することで、式を簡潔に表すことに成功しました。
そのため、「代数学の父」とも呼ばれています。
| 現在の記号 | 『算術』 の記号 | 由来や意味 |
| Ϛ | 「数」を意味する「Arithmos」の最後の文字から。 | |
| $~x^2~$ | $~\Delta^{\Upsilon}~$ | 「dynamis(力)」の最初の2文字の大文字。 |
| $~x^3~$ | $~\Kappa^{\Upsilon}~$ | 「cube(立方体)」の語源「kybos」の最初の2文字の大文字。 |
| $~x^4~$ | $~\Delta^{\Upsilon}\Delta~$ | 平方の平方。 |
| $~x^5~$ | $~\Delta~\Kappa^{\Upsilon}~$ | 平方の立方。 |
| $~x^6~$ | $~\Kappa^{\Upsilon} \Kappa~$ | 立方の立方。 |
| なし | $~\r{M}~$ | 上記の未知数と区別するために、定数項の前につける。 「$~\mu \omicron \upsilon \alpha \text{ς}~$(1単位)」の頭文字の大文字に由来する。 |
| $~\displaystyle \frac{1}{(数)}~$ | $~(数)^\chi~$ | 単位分数を表す。$~\chi~$か ×(バツ) か$~\Kappa~$かさまざまな説がある。 |
| $~-~$(ひく) | ![]() | 「$~\lambda \epsilon \iota \phi \iota \delta~$(ない)」の$~\lambda~$と$~\iota~$をくっつけた。 |
| $~=~$ | $~\iota^{\sigma}~$ | 「$~\iota \sigma \omicron \text{ς}~$(相等しい)」の最初の2文字。 |
これらの記号を使いながら、式を巧みに変形することで、1つの未知数でさまざまな方程式を解いています。

パップス:古代数学の集大成を行った
パップス(Pappus of Alexandria, 4世紀初め)は、ギリシャ数学最後の大幾何学者です。

- ギリシャ幾何学を体系的にまとめた『数学集成』を著した。
- 自身の名前がつく定理をいくつも証明した。
- 三大作図問題の不可能性を予見した。
- 蜂の巣を数学的に分析した
パップスは、古代ギリシャ由来の幾何学の知識を体系的にまとめた『数学集成』の著者として有名です。
『数学集成』は、過去の幾何学の知識を網羅しただけでなく、自身の解法や発見を追加している良書でした。
パップス自身によって発見された定理のいくつかに、彼の名が冠せられています。
$~\triangle ABC~$で、辺$~BC~$の中点を$~M~$としたとき、
AB^2+AC^2=2(AM^2+BM^2)
が成り立つ。

また、蜂の巣を数学的に分析するという、身近な疑問を数学で解決するという姿勢も見せています。

ヒュパティア:円錐曲線を研究した女性数学者
ヒュパティア(Hypatia of Alexandria, 360年頃〜415年)は、ローマ時代最後の女性数学者です。

(出典:Jules Maurice Gaspard, Public domain, via Wikimedia Commons)
ヒュパティアは、重要な数学書に注釈を加え、後の数学の発展に寄与しました。
また、イデア論を徹底する新プラトン主義の教えに基づく学校を主宰し、科学的な真理の重要性を説きました。
しかし、自然科学よりもキリスト教の教えを重視する風潮は次第に強まり、ヒュパティアは暴徒化したキリスト教徒に襲われて亡くなります。

(出典:[5], Public domain, via Wikimedia Commons)
キリスト教徒によってアレクサンドリア図書館も破壊されていたこともあり、アレクサンドリアから学者たちは去り、ヨーロッパは「科学の暗黒時代」へと突入していくのです。
まとめ:実用性重視から宗教重視で廃れた
- 古代ローマの数学は、実用性重視の数学だった。
- 代数学が発展しつつ幾何学が再び脚光を浴びるなど、古代ギリシャの影響も受け継ぎ、発展していった
- ローマ帝政後期にキリスト教が公認されると、次第に自然科学や哲学は攻撃の的となり、衰退していった
- アレクサンドリア図書館の破壊、アカデメイアの閉鎖の流れを受け、ヨーロッパは「科学の暗黒時代」へと突入していく
古代ギリシャの影響は受けながらも、あくまで実学重視という視点で発展していったローマ時代の数学。
キリスト教の台頭により、自然科学の考え方が排斥されるようになり、ヨーロッパの数学は一時衰退してしまいます。
しかし、この時代に蓄積された知識は、イスラム世界を経由してルネサンスへと受け継がれ、後のヨーロッパ数学の発展につながっていきます。
古代ローマの数学史は、まさに歴史の大きな転換点だったのです。

ローマは闘争を重ねて建国、発展していった国だからか、実学が重視される土壌が豊かだったんだね。
宗教の台頭で、自然科学が排斥されてしまったのは悲しいね。



その点は、古代ギリシャ世界の流れと異なるし、純粋数学が発展した古代ギリシャ数学の発展の流れの違いとしても如実に表れているね。





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