高校の世界史や倫理の授業で登場するデモクリトス。
彼は万物の根源は原子であるという、原子論者としてよく知られているのではないでしょうか。
しかし、デモクリトスの功績は自然科学だけにとどまらず、数学にも残っています。
錐体の体積を求める研究をし、今でいう積分法にもつながる考え方を作り上げた人なのです。
今回は、そんなデモクリトスの生涯と功績を詳しく紹介していきます。
時代 | 紀元前460年頃~紀元前380年頃 |
場所 | ギリシャ |
デモクリトスの生涯
デモクリトス(Democritos, B.C.460頃~B.C.380頃)は、ギリシャ時代に活躍した数学者、科学者です。
生年、没年ははっきりと残っているものの、いつ頃にどこで活動したかははっきりと残っていません。
デモクリトスの年譜
アブデラで生まれる
約80歳で死亡
デモクリトスの活動場所
デモクリトスはアブデラという場所で生まれたため、「アブデラのデモクリトス」と呼ばれることもあります。
親の遺産で、アテネ、エジプト、バビロニア、さらにはインド、エチオピアにまで旅行。
各地で数学の知識などを身につけました。
旅行から帰ってきてからの研究場所は明らかになっていません。
デモクリトスの功績:立体の体積を研究
数学におけるデモクリトスの功績は、立体、特に錐体の体積についての研究です。
角錐の体積は角柱の体積の1/3
今では中学校で当たり前のように教えられている角錐の体積の求め方。
角錐の体積と角柱の体積の関係は次のように与えられます。
同じ底面積で同じ高さを持つ三角錐と三角柱の体積について、
(三角柱の体積) \times \frac{1}{3} = (三角錐の体積)
が成り立つ。
このことを初めて証明したのがデモクリトスで、三角柱をある切り方で切断すると、形が同じ3つの三角錐に分けられることから、角錐の体積は角柱の体積の$~\displaystyle \frac{1}{3}~$であることを示す方法で証明しました。
証明の詳細は以下の通りです。
三角柱$~ABC-DEF~$を、$~AE~,~EF~,~FA~$を通る平面で切り、その後$~C~$を含む立体を$~AB~,~BF~,~FA~$を通る平面で切る。
3つに分かれた立体の体積がすべて等しくなることを示す。
(1) 三角錐$~A-DEF~$と三角錐$~F-ABC~$について
底面:$~\triangle DEF = \triangle ABC~$
高さ:$~AD = CF~$
なので2つの三角錐の体積は等しい。
(2) 三角錐$~A-DEF~$と三角錐$~A-BEF~$について
それぞれの三角錐を、$~F-ADE~$と$~F-ABE~$ として見ると
底面:$~\triangle ADE = \triangle ABE~$
高さ:$~F~$から$~DE~$にひいた垂線で共通なので、2つの三角錐の体積は等しい。
(1)、(2)より、3つに分かれた立体の体積は等しいので、
\begin{align*} (三角柱ABC-DEF)&=3\times(三角錐A-DEF) \\ (三角柱ABC-DEF)\times\frac{1}{3}&=(三角錐A-DEF) \end{align*}
が示された。$~\blacksquare~$
角錐について研究したなら、円錐は?と思う方もいるでしょう。
「円錐の体積が円柱の体積の$~\displaystyle \frac{1}{3}~$である」という結論は、角錐の証明の派生物として与えられました。
証明方法は、カヴァリエリの原理を使い、立体が無限に薄く切れるという仮定から証明するというものです。
2つの立体を無限に細かく切断した際、各高さにおける切断面の面積が等しいとき、2つの立体の体積は等しい。
立体を無限個に切り分ける考えを生んだ
上記の通り、デモクリトスは立体を無限に薄くスライスし、立体はその平面の集まりであるとしてとらえるという、当時とても画期的な方法を生み出しました。
しかし、当時の世界では、無限についてはまだ理解が完全には深まっておらず、「無限の分割など無理だ!」「高さによって切断面の大きさが違うから、きれいにくっつかないはずだが?」などと、ゼノンをはじめとするエレア派に論破されてしまいます。
デモクリトスの立体を無限に分割するという考え方が、人々に納得されるようになったのは約2000年後の17世紀でした。
デモクリトスのエピソード:旅行好きの原子論者
デモクリトスは数学に関する功績を残しただけでなく、自然哲学にも功績を残しました。
親の遺産でエジプトやインドまで旅行
デモクリトスはたいそうな旅行好きとして有名でした。
親の遺産を2人の兄弟と分けた時、遺産がちょうど現金であったため、少額ではあったものの受け取り、そのお金で世界各地を旅行しました。
場所は、分かっているだけでも、アテネ、エジプト、バビロニア、ペルシャ、さらにはインドやエチオピアまで。
地中海沿岸にとどまらず、ペルシャの先のインド、また、エジプトの先のエチオピアまで旅行していることには驚きを隠せません。
この旅行で、デモクリトスは見聞を広め、エジプトやバビロニアの数学的知識を吸収しました。
原子論が有名
タレスやピタゴラスと同じく、ミレトス学派の偉人として知られるデモクリトス。
「万物の根源は原子である」と提唱していました。
「ある物体を限界まで細かくしていくと、これ以上分割できない『原子(アトム)』に行きつく」という考え方が、立体を限界まで薄くスライスしていくと、最後には平面の集まりにになるという考え方につながりました。
まとめ
立体、特に錐体の体積の研究に取り組み、現在の積分法の考えの基礎を築いたデモクリトス。
今回は、彼の数学的功績とエピソードにスポットを当てて解説しました。
- 角錐の体積は角柱の体積の1/3であることの証明をした。
- 立体を無限個の平面にスライスして、立体を平面の集まりとしてとらえた。
今の積分につながる考えが紀元前に生まれていたなんて驚き。
ちょうどこの時期にゼノンをはじめとするエレア派がアキレスと亀のような無限に関するパラドックスを提唱していたから、無限に敏感だったんだ。ちょっと不憫だよね。
参考文献(本の紹介ページにリンクしています)
- 『メルツバッハ&ボイヤー 数学の歴史Ⅰ』,pp.77-79
- 『世界数学者事典』,pp.311-312
- T・L・ヒース著,平田寛・菊池俊彦・大沼正則訳(2009)『復刻版 ギリシア数学史』,pp94-98
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