古代ギリシャで活躍した哲学者ゼノン。
彼は哲学者でありながら、その優れた思考力によって、矛盾や逆理とも訳されるパラドックスを当時の数学者たちに提起しました。
生涯で約40個ものパラドックスを作りましたが、その中でも「二分法」「アキレスと亀」「飛んでいる矢」「競技場」の4つは「運動のパラドックス」と総称されるほど有名です。
この記事では、ゼノンの生涯や彼が提起したパラドックスの概要について紹介します。
時代 | 紀元前490年頃~紀元前430年頃 |
場所 | ギリシャ |
ゼノンの生涯:紀元前5世紀のエレアで活躍
ゼノン(Zeno , B.C.490頃-B.C.430頃)は、当時のギリシャ数学を先導していたミレトス学派に対して、パラドックスを提起した哲学者です。
彼の存在は、後のギリシャ数学に無限を扱う事の難しさを残しました。
ゼノンの年譜
ゼノンが生きていた時代の歴史は、紀元前4世紀頃まで口頭で後世へと伝わったため、細かな情報は残っていません。
彼の功績はプラトンやアリストテレスの著作によって後世に伝わっています。
イタリア半島南部の町エレアで生まれる
ゼノンの活動場所
イタリア半島南部のエレアで生まれ、エレア派の創始者であるクセノファネスやパルメニデスと交流し、エレア派の考えを支持しました。
ゼノンは哲学者でありながら、ミレトス学派(ミレトスのタレス、サモス島のピタゴラス、アブデラのデモクリトスなど)に対し、運動におけるパラドックスを提示して論争を吹っ掛け、その後のギリシャ数学に影響を与えました。
晩年、ゼノンはエレアの僭主(市民に支持された独裁者)に反抗し、死刑となりました。
ゼノンの数学的功績:パラドックスの提起
当時のギリシャ数学をリードしていたミレトス学派は、世界の根源が何かということを研究していました。
ミレトス学派は、空間の根源は点、時間の根源は瞬間と仮定したうえで連続した運動を考え、幾何学を中心とした数学世界を広げていきました。
それに対し、エレア派のエピメニデスは物事を分割するのではなく、「存在」そのものが大切だと主張します。
エピメニデスはミレトス派に批判されたものの、その様子を見て憤った友人ゼノンは40個ほどのパラドックスを提起し、連続性によって起こり得る矛盾を指摘しました。
ゼノンが提起したパラドックスの中でも、「運動のパラドックス」と総称される次の4つが有名です。
1つ1つのパラドックスの概要を見てみましょう。
二分法のパラドックス
「二分」すなわち「半分に分けていく」ことから生じるパラドックスのことです。
- $~A~$から$~B~$まで移動するとき、
- $~A~$と$~B~$の中間点である$~C~$を経由する必要がある。
- $~C~$から$~B~$まで移動するとき、中間点である$~D~$を経由する必要がある。
- $~D~$から$~B~$まで移動するとき、中間点である$~E~$を経由する必要がある。
- これを無限に繰り返していくと、無限個の経由地点が必要であり、有限の時間内に到達するのは不可能である。
ゼノンは 二分法のパラドックス を通して、無限個の経由地点(空間)の存在により、運動を完了することができないことを主張し、運動概念を否定しました。
この二分法のパラドックスは、無限等比級数の収束性によって解決することができます。
アキレスと亀のパラドックス
駿足のアキレスが鈍足の亀にいつまで経っても追いつけないことを説明したパラドックスです。
俊足のアキレスとゆっくり進む亀がいる。
亀がアキレスよりも前方にいるとき、アキレスは亀に追いつくことができない。
なぜなら、アキレスが亀のいた位置に追いつくときには、亀はまた前方に進んでしまっているからである。
これを繰り返していくため、アキレスはいつまで経ってもカメに追いつくことはできない。
ゼノンは アキレスと亀のパラドックス を通して、時間が無限に必要であることから、運動を完了することができないことを主張し、運動概念を否定しました。
このアキレスと亀のパラドックスについても、無限等比級数の収束性によって解決することができます。
飛んでいる矢のパラドックス
飛んでいるはずの矢が静止していることを説明するパラドックスです。
矢が飛んでいたとしても、ある瞬間を切り取れば矢は動いていないのだから、その瞬間の積み重ねでできた時間の中で矢が動くことはない。
ゼノンは 飛んでいる矢のパラドックス を通して、時間を瞬間に区切ると物体は運動できなくなることを主張し、運動概念を否定しました。
飛んでいる矢のパラドックスについては、微分の概念が確立することによって解決に至りました。
競技場のパラドックス
同じ運動なのに、捉え方によっては速さが$~2~$倍になってしまうパラドックスです。
4つの同じ大きさのブロックがつながってできた$~A~,~B~,~C~$のブロック列がある。
$~A~$は静止しており、$~B~$は左から右に動き、$~C~$は$~B~$と同じ速さで右から左に動く。
$~B~$と$~C~$が1ブロック分動く時間を、最小単位時間する。
最小単位時間が経過すると、$~B~$から見て$~A~$はブロック$~1~$個分動いて見える(図10)が、$~C~$はブロック$~2~$個分動いて見える(図11)ため、最小単位時間の2倍の時間が流れたことになる。
これは最小単位時間ではなくなってしまうため、最小単位時間という設定に矛盾してしまう。
ゼノンは 競技場のパラドックス を通して、時間の最小単位は決められないことを主張し、その時間の下で行われる運動概念を否定しました。
競技場のパラドックスについては、相対速度の考え方を使うことによって解決することができます。
無限を慎重に扱うことを数学界に要求した
ゼノンのパラドックスにより、数学界は連続や無限という概念を扱うことに恐れを抱くようになりました。
実際、ゼノンと同時期に活躍した、ミレトス学派の数学者デモクリトスは、立体を無限に細かくすることで体積が求められるという主張をゼノンに攻撃されています。
無限を扱うことをためらわせ、解析学の誕生が遅れることになったという捉え方もできれば、数学は慎重に議論されなければならないという姿勢を数学界に要求したという捉え方もできます。
ゼノンの後に生まれた数学者たちは、無限を扱うためにはゼノンのパラドックスという大きな壁を超えなければならなかったのです。
まとめ
ミレトス学派の運動概念を無限という観点から批判したエレア派のゼノン。
今回は、彼の4つのパラドックスの紹介と、後の数学界に与えた影響について解説しました。
- ゼノンのパラドックスは無限の扱いが鍵となっている。
- ゼノンのパラドックスにより、17世紀まで数学者たちは無限を恐れた。
タレスやピタゴラスも属していたミレトス学派を、パラドックスという切り札で攻撃したゼノン、すごいなぁ。
ゼノンの後に誕生したエウドクソスは、無限を直接的には避けつつ、無限を扱う論法を組み立てたよ。
参考文献(本の紹介ページにリンクしています)
- 『カッツ 数学の歴史』,pp.68-69.
- 『メルツバッハ&ボイヤー数学の歴史Ⅰー数学の萌芽から17世紀前期までー』,pp.71-74.
- 『数学の流れ30講(上)ー16世紀までー』,pp.28-31.
- 『数学の歴史物語』,pp.46-47.
- 『世界数学者事典』,pp.252-253.
- 『ギリシャ数学史』,pp.154-155.
- 『アキレスとカメーパラドックスの考察ー』
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