哲学者ゼノンのパラドックスはなぜ生まれた?ゼノンが後世に与えた影響とは?【数学史6-7】

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 古代ギリシャで活躍した哲学者ゼノン

 彼は哲学者でありながら、その優れた思考力によって、矛盾や逆理とも訳されるパラドックスを当時の数学者たちに提起しました。

 生涯で約40個ものパラドックスを作りましたが、その中でも「二分法」「アキレスと亀」「飛んでいる矢」「競技場」の4つは「運動のパラドックス」と総称されるほど有名です。

 この記事では、ゼノンの生涯や彼が提起したパラドックスの概要について紹介します。

この記事で主に扱っている時代と場所
時代紀元前490年頃~紀元前430年頃
場所ギリシャ
この記事を読んでわかること

ゼノンの生涯:紀元前5世紀のエレアで活躍

 ゼノン(Zeno , B.C.490頃-B.C.430頃)は、当時のギリシャ数学を先導していたミレトス学派に対して、パラドックスを提起した哲学者です。

 彼の存在は、後のギリシャ数学に無限を扱う事の難しさを残しました。

ゼノン
<図1> ゼノン
(出典:Jan de Bisschop, CC0, via Wikimedia Commons)

ゼノンの年譜

 ゼノンが生きていた時代の歴史は、紀元前4世紀頃まで口頭で後世へと伝わったため、細かな情報は残っていません。

 彼の功績はプラトンやアリストテレスの著作によって後世に伝わっています。

ヒポクラテスの年譜
B.C.490年頃

イタリア半島南部の町エレアで生まれる

B.C.430頃

ゼノンの活動場所

 イタリア半島南部のエレアで生まれ、エレア派の創始者であるクセノファネスやパルメニデスと交流し、エレア派の考えを支持しました。

 ゼノンは哲学者でありながら、ミレトス学派(ミレトスのタレス、サモス島のピタゴラス、アブデラのデモクリトスなど)に対し、運動におけるパラドックスを提示して論争を吹っ掛け、その後のギリシャ数学に影響を与えました。

 晩年、ゼノンはエレアの僭主(市民に支持された独裁者)に反抗し、死刑となりました。

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