無理数を発見したから殺された?ヒッパソスがピタゴラス学派に与えた影響を解説!【数学史6-8】

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 今では中学で当たり前のように教わる無理数

 しかし、古代ギリシャでは無理数の存在は当たり前ではなく、分数でどのように表せるのかを研究することに必死でした。

 そんな無理数の存在を証明したのが、ヒッパソスという数学者

 彼は無理数の存在を町の人々に言いふらしたことで、仲間に殺されるという悲しい最期を遂げています。

 今回は、ヒッパソスの功績と謎に包まれた生涯、そしてなぜ彼が殺されたのかを解説します。

この記事で主に扱っている時代と場所
時代紀元前5世紀中頃
場所ギリシャ
この記事を読んでわかること

ヒッパソスの生涯

 ヒッパソス(Hippasus, B.C.5世紀中頃)は、古代ギリシャ時代に活躍した数学者です。

 生年、没年、いつ頃にどこで活動したかは、今も謎に包まれている人物となります。

<図1> ヒッパソス
(出典:Boccanera G., Public domain, via Wikimedia Commons)

ヒッパソスの年譜

ヒッピアスの年譜
B.C.5世紀中頃

メタポンタムで生まれる

ヒッパソスの活動場所

 ヒッパソスは、現在のイタリアに位置する、メタポンタムという場所で生まれました。

 活動場所が資料で詳細には残されていないものの、ピタゴラス教団で研究活動にいそしんでいたことから、クロトンにいたことが分かります。

 ピタゴラス教団内で研究していくうちに、彼は無理数の存在に気が付き、無理数の存在を証明します。

 無理数の存在を教団外にもらしてしまったため、イオニア海沖で船から落とされて死んでしまいました。

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