今では中学で当たり前のように教わる無理数。
しかし、古代ギリシャでは無理数の存在は当たり前ではなく、分数でどのように表せるのかを研究することに必死でした。
そんな無理数の存在を証明したのが、ヒッパソスという数学者。
彼は無理数の存在を町の人々に言いふらしたことで、仲間に殺されるという悲しい最期を遂げています。
今回は、ヒッパソスの功績と謎に包まれた生涯、そしてなぜ彼が殺されたのかを解説します。
時代 | 紀元前5世紀中頃 |
場所 | ギリシャ |
ヒッパソスの生涯
ヒッパソス(Hippasus, B.C.5世紀中頃)は、古代ギリシャ時代に活躍した数学者です。
生年、没年、いつ頃にどこで活動したかは、今も謎に包まれている人物となります。
ヒッパソスの年譜
メタポンタムで生まれる
ヒッパソスの活動場所
ヒッパソスは、現在のイタリアに位置する、メタポンタムという場所で生まれました。
活動場所が資料で詳細には残されていないものの、ピタゴラス教団で研究活動にいそしんでいたことから、クロトンにいたことが分かります。
ピタゴラス教団内で研究していくうちに、彼は無理数の存在に気が付き、無理数の存在を証明します。
無理数の存在を教団外にもらしてしまったため、イオニア海沖で船から落とされて死んでしまいました。
ヒッパソスの数学的功績
ヒッパソスの数学的功績といえば、無理数の証明です。
証明した無理数が$~\sqrt{2}~$という説と、$~\sqrt{5}~$という説の2つが存在してます。
√2 が無理数であることを証明した
ピタゴラス派の哲学者や数学者は、世界は整数及びその比で説明できると考えていました。
万物は数なり。
整数の比で表せないものなど無い!
そのため、ピタゴラス教団ではピタゴラスの定理で求められる正方形の斜辺の長さについて頭を悩ませていました。
なぜなら、正方形の斜辺の長さ(現在でいう$~\sqrt{2}~$に該当する数)は、整数あるいは分数で表すことができないからです。
今ではその数を「無理数」と呼び、以下のように定義されています。
整数$~a~$,$~b~$($~b\neq 0~$)に対し、$~\displaystyle \frac{a}{b}~$で表せない数を無理数という。
ヒッパソスは、現在でも一般的な証明方法である背理法を用いて、その斜辺の長さである$~\sqrt{2}~$が無理数であることを証明しました。
ただ、彼が行った具体的な方法は謎に包まれています。
現在、最も有名な$~\sqrt{2}~$の証明方法は以下のようなものです。
背理法で示す。
$~\sqrt{2}~$は無理数ではない、つまり有理数であると仮定すると、$~\sqrt{2}~$は互いに素な2つの自然数 $~a~,~b~$を用いて、
\sqrt{2}=\frac{a}{b}
と表せる。
この式を変形していくと、
\begin{align*} a&=\sqrt{2}b \\ \\ a^2&=2b^2 ~~~~\cdots① \end{align*}
であるため、$~a^2~$は偶数であることがわかる。
さらに、補題1より、$~a~$も偶数となる。$~~~\cdots ②$
$②$より、$~c~$を自然数とすると、
a=2c~~~~\cdots ③
であるため、$③$を$①$に代入すると、
\begin{align*} (2c)^2&=2b^2 \\ 4c^2&=2b^2 \\ 2c^2&=b^2 \end{align*}
が成り立ち、$~b^2~$は偶数であることがわかる。
さらに、補題1より、$~b~$も偶数となる。$~~~\cdots ④$
$②~,~④$より、$~a~,~b~$は共に偶数であることが示されたが、これは$~a~,~b~$ が互いに素であることに矛盾する。
よって、$~\sqrt{2}~$が無理数であることが示された。■
$~n~$を整数とする。このとき、$~n^2~$が偶数ならば、$~n~$は偶数である。
数学Ⅰの教科書に載っているのは上記の証明方法ですが、他にも証明方法があります↓↓
正五角形の作図をした(√5 が無理数であると気付いた)
ピタゴラス教団のシンボルマークである正五角形の作図は、ヒッパソスが最初に行ったという説もあります。
正五角形の作図の中には$~\sqrt{5}~$が出てくるため、方法は定かでないものの、$~\sqrt{5}~$が無理数であることを証明したともいわれています。
$~\sqrt{2}~$でも$~\sqrt{5}~$でも、無理数の存在を明らかにしてしまったヒッパソスは、ピタゴラス教団に激震を与える存在となってしまったのです。
ちなみに、正五角形の作図方法については、以下の記事にて詳しく述べています。
ヒッパソスに関するエピソード
無理数の存在を証明したヒッパソス。
このことが彼の人生を狂わせてしまうことになります。
無理数の存在を口外して殺された
ピタゴラス教団にはさまざまな戒律が存在し、その中の1つに、「教徒が発見したことはすべてピタゴラスに帰属し、教団外にはもらしてはいけない」という戒律がありました。
ヒッパソスが証明した無理数の存在は、「万物は数である」を教義として世界が整数及びその比で説明できると考えていたピタゴラス教団にとって何よりも秘密にしたい内容でした。
しかし、ヒッパソスは$~\sqrt{2}~$または$~\sqrt{5}~$が無理数であることを証明できた嬉しさから、その事実を教団外にもらしてしまいます。
戒律に背いたヒッパソスに激怒したピタゴラス教徒は、集団でヒッパソスを抱えて船に乗り込み、イオニア海の沖でヒッパソスを海に投げ入れて殺してしまうのでした。
「戒律を破った者は海に沈める」
これもピタゴラス教団の戒律の一つであり、ヒッパソスの遺体は今もイオニア海に沈んでいます。
ピタゴラスやピタゴラス教団については以下の記事をご覧ください。
まとめ
無理数の存在を証明し、その事実を口外してしまったために命を落としたヒッパソス。
しかし、ヒッパソスがいたからこそ、ピタゴラス教団外にも無理数が伝わり、その後の研究の対象になってギリシャ数学が大きく前進しました。
- $~\sqrt{2}~$が無理数であることを背理法で証明した。
- 正五角形の作図から$~\sqrt{5}~$が無理数であることに気付いた。
- ピタゴラス教団の戒律を破ったため、掟に従いイオニア海で殺された。
自分の数学的功績が命を落とす原因となるなんて……
ピタゴラス(B.C.569頃~B.C.500頃)に殺されたという説もあるけど、生きていた年代が違うから、ピタゴラス教団の後継者たちと考えるのが自然だね。
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