数学史2-1 ~エジプトの数学(歴史)~

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Ⅰ エジプト文明はなぜ栄えた?
メソポタミア、エジプト、インダス、中国からなる四大文明については、歴史の授業で聞いたことがあるでしょう。
これらの文明はすべて大きな川の近くで発展しました。

各文明では、独自の文字が発明され、知識の伝達や蓄積が可能になり、その結果現在でも当時の暮らしを知ることができます。
エジプトにおいては、1万年以上前からナイル川沿いに人が住み始めました。
北に地中海、東・西・南は砂漠という外敵に攻められにくい場所にあったことや、夏から秋にかけてナイル川が氾濫するため、肥沃な土壌で豊かな農作物を作ることができたのもエジプト文明が栄えた要因と言えるでしょう。
また、毎年ナイル川が氾濫するため、土地を測り直す機会が多くありました。
そこで、測量技術をはじめとする実用的な数学が発展していったのです。
これが“geo"(土地)+"metry"(測量)="geometry(幾何学)"の発祥とも言われています。
実際、ピラミッドを作るときには、正確な長さで高さの等しい正方形を土台として作ることができ、その勾配(角度)を一定にするため三角比の知識まで使っていました。
エジプトでは、文字の使用も紀元前4000年頃後半から始まり、書記や神官といった役人階級しか扱えなかったものの、その記録が現代にまで残っています。
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Ⅱ リンド・パピルスとは?
そんなエジプト文明の数学を知る手がかりとなるものが1858年に見つかっています。
それが、リンド・パピルスです。
そもそもパピルスとは、カミガヤツリ(下図)という植物の茎から作った紙のようなもので、これに葦の茎を斜めに切って作ったペンのようなもので書きこんでいました。

そのパピルスの中でも、1858年にスコットランド人のアレクサンダー・ヘンリー・リンドによって発見されたものをリンド・パピルスと言います。

リンド・パピルスは紀元前1650年頃に、書記アーメスによって書かれた、幅約30cm、長さ5m以上の巻物です。(そのため、「アーメス・パピルス」とも言う」)
簡単な計算問題から、面積や体積を求める問題、そして方程式まで幅広い分野の問題が80以上載っています。
このリンド・パピルス以外にも「モスクワ・パピルス」や「ベルリン・パピルス」といったものも出土しており、リンド・パピルスほどではないものの、エジプト文明の様子を知る手がかりとなっています。
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Ⅲ まとめ
エジプト文明がなぜ発展したか、そしてその当時の様子が現代に伝わっている理由がわかりました。
次の記事からは、エジプトで使われていた数字や計算方法、そして今回のリンド・パピルスの問題等に触れていきます。


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◇参考文献等
・ヴィクターJカッツ著,上野健爾・三浦信夫監訳,中根美知代・高橋秀裕・林知宏・大谷卓史・佐藤賢一・東慎一郎・中澤聡訳(2009)『カッツ 数学の歴史』,pp.5-6,共立出版.
・中村滋・室井和男(2015)『数学史ーー数学5000年の歩み』,pp.17-20,共立出版.
・志賀浩二(2014)『数学の流れ30講(上)ー16世紀までー』,pp.14-23,朝倉書店.
・三浦伸夫・三宅克哉監訳,久村典子訳(2018)『メルツバッハ&ボイヤー 数学の歴史Ⅰー数学の萌芽から17世紀前期までー』,pp.8-9,朝倉書店.
・中村滋(2019)『ずかん 数字』,pp.34-35,技術評論社.
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