プラトンの著書『テアイテトス』にその名が残る古代ギリシャの数学者テアイテトス。
テアイテトスは、プラトンと共に無理数について学び、無数数かどうかを判定する独自の方法を見つけ出しました。
他にもプラトン立体とも呼ばれる5つの正多面体について研究し、正多面体が5つしかないことを証明した数学者としても知られています。
この記事を読むことで、プラトンに大きな影響を与えた数学者テアイテトスについて深く知ることができます。
時代 | 紀元前417年頃~紀元前369年頃 |
場所 | ギリシャ |
テアイテトスの生涯
テアイテトス(Theaetetus ,B.C.417頃〜B.C.369頃)は、生まれも育ちもアテネという珍しい経歴のギリシャ数学者です。
哲学者プラトンとの親交が非常に深かった数学者でした。
テアイテトスの年譜
ギリシャのアテネで生まれる
裕福な家庭で生まれ育った。
無理数を一般的に扱う。
$~\sqrt{2}~,~\sqrt{17}~$といった具体的な数ではなく、無理数全般について考えた。
5種類の正多面体について研究する。
すでに見つけられていた正 4 , 6 , 12 面体の他に、正 8 , 20 面体を発見した。
傷と赤痢によって死亡。
コリントスで起きた戦いで負った傷と、赤痢に悩まされて自宅で死亡した。
テアイテトスの活動場所
テアイテトスはアテネで生まれ、アテネで才能を開花させました。
青年時代に、当時無理数研究の第一人者だったテオドロスに会うために、プラトンと共にクニドスへと留学しています。
その後、黒海沿岸のヘラクレアや、アテネのアカデメイアで研究を進めていましたが、コリントスで起こったアテネの戦いに徴兵され、そのときに負った怪我がきっかけで若くして亡くなりました。
コリントスで起こった戦いは、世界史で学ぶような大きな戦いではありません。アテネVSスパルタのペロポネソス半島の約35年後の出来事。
功績:無理数研究を進めた
テアイテトスの功績の1つは、テオドロスから学んだ無理数を一般化したことです。
私は$~\sqrt{2}~,~\sqrt{3}~,~\cdots~,~\sqrt{17}~$という具体的な無理数について研究したよ。
(AIによるイメージ)
ユークリッドの互除法から無理数を比で考えた
テアイテトスは、無理数を有理数の比では表せない数として定義しました。
数$~x~,~y~~~(~x > y~)~$に対して、$~x~$から$~y~$を可能な限りひいて、$~y~$より小さくなったときの余りを$~x_1~$とする。
次に、$~y~$から$~x_1~$を可能な限りひいて、$~x_1~$より小さくなったときの余りを$~y_1~$とする。
この手続きが終わらないとき、$~x~$と$~y~$の比は無理数でしか表すことができない。
これを繰り返し、余りが出なくなったときの大きさを「最大公約数」と定義したよ。
(出典:Photograph taken by Mark A. Wilson (Wilson44691, Department of Geology, The College of Wooster).[1], CC BY-SA 4.0, via Wikimedia Commons)
ユークリッド(Euclid , B.C.330頃~B.C.275頃)のほうがテアイテトスよりも後の生まれなので、互除法の考え方がテアイテトスの時代からあったことがわかります。
無理数に対するこの考え方は、当時としては非常に革新的なものであり、エウドクソスの比例論へとつながっていきます。
正方形の1辺と対角線が無理数比になる説明
正方形の一辺とその対角線が無理数の比になることも、に従って証明することができます。 テアイテトスの無理数の定義
一辺$~y=1~$の正方形に対して、対角線の長さを$~x~$とする。
対角線の長さ$~x~$から、一辺の長さ$~y=1~$をひいた余りを$~y_1~$とすると、
x-1=y_1
である。この$~y_1~$を一辺の長さにもつ正方形をつくり、その対角線の長さを$~x_1~$とする。
対角線の長さ$~x_1~$から、1辺の長さ$~y_1~$をひいた余りを$~y_2~$とすると、
x_1-y_1=y_2
である。
この$~y_2~$を一辺の長さにもつ正方形をつくり、その対角線の長さを$~x_2~$とする。
ここでできた一辺$~y_2~$の正方形は、向きも含めて、一辺$~y~$の正方形の縮小図であり、この手続きに終わりはないため、$~x(=\sqrt{2})~$と$~y(=1)~$の比は無理数である。
ただ、テアイテトスの定義は、互除法の手続きが終わらないときに無理数であることを証明できるのであり、上記のような特別な場合でしか証明できませんでした。
功績:正多面体が5種類あることを証明した
テアイテトスの名を不滅にしたのは、正多面体がちょうど5種類存在することを発見したという功績です。
これらは現在、「プラトン立体」として知られています。
テアイテトス以前に3つ知られていた
テアイテトスの時代以前には、正四面体、正六面体、正十二面体の3つの正多面体のみが知られていました。
これらを見つけたのは、ピタゴラス教団と言われています。
各面が正三角形、正方形、正五角形の3種でしたが、テアイテトスは各面が正三角形の場合に他にも正多面体が作れることに気付きました。
それが正八面体と正二十面体です。
テアイテトスはこの研究から、正多面体が5種類しかないことも証明しています。
プラトンの研究へとつながった
テアイテトスによる正多面体の研究は、かねてより交流があったプラトンの宇宙論に深く影響を与え、「プラトン立体」として後世に伝えられることになります。
しかし、実際にこれらを最初に研究し、分類したのはテアイテトスであるという事実は、彼の数学への貢献を際立たせています。
火、土、空気、水という四原質に正多面体を対応させ、ピタゴラス教団が崇拝していた正十二面体を宇宙の象徴とみなしたよ。
(出典:Unidentified engraver, Public domain, via Wikimedia Commons)
まとめ
テアイテトスは無理数研究と正多面体研究に力を入れた数学者です。
- テアイテトスは比によって、無理数を一般的に証明しようとした。
- 正八面体と正二十面体を発見し、正多面体が5種類しかないことを示した。
- 正多面体の研究は、交流が深かったプラトンに影響を与え、「プラトン立体」と呼ばれるようになった。
本来なら「プラトン立体」ではなく、「テアイテトス立体」なのでは?
プラトンが4原質や宇宙と正多面体を対応させたから、その時代に正多面体が有名になったんだ。プラトンがいなかったら、『テアイテトス』という本も存在せず、テアイテトスの成果は歴史に埋もれていたと考えられるよ。
参考文献(本の紹介ページにリンクしています)
- 『カッツ 数学の歴史』,pp.93-95,共立出版.
- 『メルツバッハ&ボイヤー数学の歴史Ⅰー数学の萌芽から17世紀前期までー』,pp.80-83.
- 『世界数学者事典』,pp.291.
- 『数学の歴史物語』,pp.49-51.
- 『ギリシャ数学史』,pp.108-109.
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