プラトンのイデア論やアカデメイアは数学にも影響!幾何学を重視した理由とは?【数学史6-15】

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 かの有名な哲学者ソクラテスの弟子であり、アリストテレスの師でもあるプラトン

 プラトンは、イデア論とアカデメイアの創設を通じて、後世の数学の発展に深い影響を与えました。

 この記事では、プラトンのイデア論が数学、特に幾何学にどのように適用されたのか、そしてプラトンが創設したアカデメイアが数学の発展にどのように寄与したのかを解説!

 プラトンが幾何学を重視した背景には、師であるソクラテスの死が絡んでいました。

この記事で主に扱っている時代と場所
時代紀元前427年~紀元前347年
場所ギリシャ
この記事を読んでわかること

プラトンの生涯

 プラトン(Plato , B.C.427頃~B.C.347頃)は、古代ギリシャのソフィスト(哲学者)です。

 数学者ではないものの、彼の活動はその後の数学界に大きな影響を与えました。

プラトン
<図1> プラトン
(出典:Unidentified engraver, Public domain, via Wikimedia Commons)

プラトンの年譜

プラトンの年譜
B.C.427年

ギリシャのアテネで生まれる

 本名は「アリストクレス」という説が濃厚。

青年期
アテネを代表するレスラーとして活躍する

 このときのリングネームが、彼の広い肩や堂々とした体格を意味する「プラトス(広い)」に由来する「プラトン」で、その名前が現在まで定着している。

B.C.407年

ソクラテスの弟子となる

 ソクラテスが紀元前399年に死ぬまでの8年間、門人として仕えた。

アカデメイア創設までの期間

キュレネやマグナ・グラキエアなどを訪問する

 テオドロスやテアイテトス、アルキュタスなどと交流をする。

B.C.387年

アカデメイアを設立する

 数学、とりわけ幾何学を重視した学校で、エウドクソスやアリストテレスといった卒業生も輩出している。

晩年

アカデメイアの発展や執筆活動に力を入れる

 著書の中には数学者ヒッピアスを紹介した『大ヒッピアス』なども含まれている。

B.C.347年

 アテネで死亡

 

プラトンの活動場所

 プラトンが生まれ、人生の大半を過ごし、没した地はギリシャのアテネです。

 アカデメイアを負う説する前、地中海地域を旅行し、キュレネでテアイテトスと共にテオドロスから無理数について学んだり、マグナ・グラエキアでアルキュタスから数学の重要性を学んだりしています。

 シラクサを訪れたこともあり、その地の僭主(非合法な独裁的支配者)ディオニュシオスに殺されそうになったところをアルキュタスに救われてアテネに帰ってきたというエピソードもあります。

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