古代ギリシャにおいて、ヒッパソスが証明した$~\sqrt{2}~$の無理数性は、ピタゴラス教団に大きな衝撃を与えました。
ヒッパソスに追随する形で、$~\sqrt{3}~,~\sqrt{5}~,~\sqrt{6}~,~\cdots~,~\sqrt{17}~$の無理数性を示した人物こそ、キュレネ出身の数学者テオドロスです。
彼は「テオドロスの螺旋」と呼ばれる図形を用いて、無理数であることを証明したとされています。
この記事では、テオドロスがどんな功績を残して後世にどんな影響を与えたのか、またなぜ$~\sqrt{17}~$というキリの悪い数字まで証明したのかを解説します。
時代 | 紀元前5世紀後半 |
場所 | ギリシャ |
テオドロスの生涯
テオドロス(Theodrous, B.C.465頃~ B.C.398頃)は、現在のリビアにあるキュレネ出身の数学者です。
「テオドロス」という名前には、古代ギリシャ語で「神の賜り物」という意味があり、歴史的に多くの学者や王族などの重要人物に付けられたため、区別する目的で「キュレネのテオドロス」という呼び方をすることもあります。
テオドロスの年譜
テオドロスに関する情報はあまり残っていないため、大まかな年譜しか示すことができません。
キュレネで生まれる
キュレネやアテネで数学の研究を行う
無理数の証明もこの時期に行われた。
キュレネでプラトンに無理数を教授する
テアイテトスもプラトンと一緒にテオドロスから習った。
死亡
没した地に関する情報は全くない。
テオドロスの活動場所
キュレネで生まれたテオドロスは、キュレネだけでなく、ギリシャ本土のアテネでも研究をしていたことが推測されています。
プラトン(Platon, B.C.427~B.C.347)やテアイテトス(Theaetetus, B.C.415~B.C.369)が、キュレネでテオドロスから無理数を教わったという記録から、晩年はキュレネで活動をしていたことがわかっています。
テオドロスの功績:テオドロスの螺旋を使って無理数を示した
テオドロスの主な功績は、 $~\sqrt{3}~,~\sqrt{5}~$,$~\sqrt{6}~,~\sqrt{7}~,~\sqrt{8}~$,$~\sqrt{10}~,~\sqrt{11}~~\sqrt{12}~~\sqrt{13}~$,$~\sqrt{14}~,~\sqrt{15}~,~\sqrt{17}~$が無理数であることを示したことにあります。
ヒッパソス(Hippasus, B.C.5世紀頃)が$~\sqrt{2}~$の無理数性を示した直後の時期にテオドロスは成果を残しました。
「テオドロスの螺旋」は√17まで
実は、テオドロスがどのように無理数性を証明したのかは定かではありません。
プラトンによれば、テオドロスは次の図形を利用して証明したとされています。
図2のように、底辺$~1~$、高さ$~1~$の直角二等辺三角形から始まり、高さ$~1~$の直角三角形を組み合わせてできた図形をテオドロスの螺旋という。
証明が$~\sqrt{17}~$までで終わっている理由は、$~\sqrt{18}~$を斜辺に持つ直角三角形を作ると、最初の直角三角形と重なってしまうからです。
背理法を適用したのか、幾何学的性質だけを利用したのか、具体的な証明方法を知るためには新たな資料が出てくるのを待つ必要があります。
プラトンやテアイテトスに無理数を教えた
何らかの方法で$~\sqrt{17}~$までの無理数性を示したテオドロスは、当時のアテネで有名な数学者になります。
その噂を聞いて哲学者プラトンや数学者テアイテトスは、テオドロスの故郷であるキュレネをわざわざ訪れ、幾何学と無理数を共に学びました。
テオドロスからの学びは、プラトン設立の学校であるアカデメイアでも活かされ、後の数学者たちに影響を与えています。
特に、アカデメイアを卒業した数学者エウドクソスは、無理数を比の中で扱うことにより、人々の無理数への抵抗感を薄くしました。
まとめ:無理数と向き合うきっかけを作った数学者
$~\sqrt{2}~$が数の異端児として扱われたヒッパソスの意思を引き継ぎ、他の多くの無理数を研究し、プラトンを通じてエウドクソスへとバトンをつなげたテオドロス。
情報は少ないものの、彼の生涯、功績、影響力について解説してきました。
- テオドロスは$~\sqrt{3}~$,$~\sqrt{5}~,\cdots,~\sqrt{17}~$が無理数であることを証明した。
- 「テオドロスの螺旋」を利用した関係上、$~\sqrt{17}~$までの証明となった。
- プラトンに教えたことで、後世の数学者たちに影響を与えた。
テオドロスは、ヒッパソスの$~\sqrt{2}~$と同じ方法で示したのかな?
その説もあれば、ユークリッドの互除法を図形の中で行って、最大公約数が出ないことから示したという説もあるよ。
参考文献(本の紹介ページにリンクしています)
- 『メルツバッハ&ボイヤー数学の歴史Ⅰー数学の萌芽から17世紀前期までー』,pp.82-83,91.
- 『世界数学者事典』,pp.303.
- 『数学の歴史物語』,pp.37-38.
- 『ギリシャ数学史』,pp.107-108.
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