円の面積をどのように求めるか?
現在では円周率3.14を用いて計算しますが、円周率がない時代では曲線図形である円の扱いに困っていました。
そこで、古代ギリシャの数学者アンティポンは、円を多角形で近似することで、円の面積を求めると同時に円積問題の解決を試みました。
この記事では、アンティポンの生涯と数学的な功績を現役数学教員がわかりやすく解説!
アンティポンの業績が後世の数学、特に円周率の近似値研究にどのような影響を与えたかを知ることができます。
時代 | 紀元前5世紀頃 |
場所 | ギリシャ |
アンティポンの生涯
古代ギリシャの数学者アンティポン(Antiphon , B.C.5世紀)に関する情報は、プラトンの本や彼が書いたとされる『自然について』などに限られています。
アンティポンの年譜
アンティポンの限られた情報を年譜にすると以下のようになります。
アテネまたはその近くで誕生
アテネで研究を行う
円を多角形で近似することを試みる
アテネまたはその近くで死亡
わかっているのは紀元前5世紀に活躍したことだけ。
生年や没年について詳しいことはわかっていません。
アンティポンの活動場所
アンティポンは主に古代ギリシャのアテネで活動し、当時の学問の中心地であったアテネの学園で学び、哲学や数学の研究を行いました。
生地や没地は不明です。
アンティポンの功績:多角形を円に近づけた
哲学者としての顔も持つアンティポンですが、数学者としての功績は、円の方形化に向けた研究です。
きっかけは円積問題
古代ギリシャの三大作図問題の1つであった円積問題は以下のようなシンプルな作図の問題です。
1つの円の面積と等しい面積をもつ正方形を作図しなさい。
アナクサゴラスが考え始めた円積問題は、円の面積を正確に求めることにも繋がり、アンティポンの研究への動機付けとなりました。
取りつくし法の元となる方法
アンティポンは、正多角形に2倍の辺を持つ正多角形を書き込み、この操作は無限に可能であると断言しました。
円=正多角形であれば、正多角形を正方形にすることは可能であるため、円積問題が解決できるとアンティポンは考えていたのです。
残念ながら無限回の操作による作図はルール違反で、さらには同時代のゼノンの影響により、無限は受け入れられませんでした。
しかし、アンティポンの円を正多角形で埋め尽くしていくというアイデアは、その後のエウドクソスによる取りつくし法の基礎となっています。
円周率の近似値研究につながっている
アンティポンの開発した方法は、アルキメデスやルドルフ・ファン・ケーレンなど、後の数学者による円周率の近似値計算の基礎となりました。
実際、アルキメデスは円を正96角形で近似し、円周率を$~3.14~$まで計算しています。
アルキメデスの後も、アンティポンのアイデアを基に、世界各地で円周率の近似計算が行われました。
時期 | 数学者 | 利用した正多角形 | 円周率の近似値の正確さ |
前3世紀 | アルキメデス | 正$~96~$角形 | $~3.14~$まで |
263 | 劉徽 | 正$~3072~$角形 | $~3.141~$まで |
5世紀 | 祖沖之 | 正$~24576~$角形 | $~3.141592~$まで |
1610 | ファン・ケーレン | 正$~60\times2^62~$角形 | 小数点第35位まで |
1681頃 | 関孝和 | 正$~131072~$角形 | $~3.1415926535~$まで |
この手法による円周率の近似計算はファン・ケーレンが最も細かく、その後は無限級数による手法に取って代わられました。
まとめ
紀元前5世紀に活躍した数学者アンティポンが、数学史上どのような影響を与えてきたかを解説してきました。
- 円積問題解決のため、多角形を使って円を近似することを考えた。
- エウドクソスの取りつくし法の基となり、その後の円周率の近似計算にも用いられた。
参考文献(本の紹介ページにリンクしています)
- 『世界数学者事典』,p.38
- 『ギリシャ数学史』,pp.114-115
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