古代ギリシャの数学者エウドクソスは、この時代の中で最も進んだ数学を後世に残しました。
特に彼を有名にさせているのは「取り尽くし法」と「比例論」。
取り尽くし法は、後の積分計算の発展に不可欠なものとなり、比例論は無理数の数学的理解を飛躍的に進歩させました。
この記事では、エウドクソスの卓越した業績を、彼の生涯を通じて探ります。
時代 | 紀元前408年頃~紀元前355年頃 |
場所 | ギリシャ |
エウドクソスの生涯
エウドクソス(Eudoxus ,B.C.408頃〜B.C.355頃)は、ヘレニズム以前のギリシャ数学者の中では最も独創的な発想力の持ち主として知られています。
エウドクソスの年譜
クニドス(現:トルコ)で生まれる
エジプトで天文学を深める
16か月間、エジプトに滞在して天文学の研究を行った。
アカデメイアで教師を務める
学生時代からプラトンに評価されており、メナイクモスやディノストラトスの指導にも携わった。
クニドスに戻り、自身の学校を設立する。
死亡。
クニドスで死亡したと考えられている。
エウドクソスの活動場所
エウドクソスは、クニドスで生まれ育った後、プラトンのアカデメイアの噂を聞き、借金までしてアテネに移住します。
そのため、アテネ郊外の港町ペイライエウスから毎日片道7kmの距離を通学しました。
アカデメイアで学んだ後、エウドクソスは天文学の研究のためエジプトに渡ります。
エジプトのヘリオポリスで16ヶ月間過ごしたエウドクソスは、アテネ、そして地元クニドスに戻り、自身が学んだことを周りに広めるために残りの人生を使いました。
功績:取り尽くし法を考案した
エウドクソスの功績として最も有名なのが取り尽くし法で、無限小についてを独自の発想で言及しました。
積分の基礎となる考え方
エウドクソスが考えた取り尽くし法は、以下のように表されます。
ある量からそれの半分以上を取り去り、その残りからその半分以上を取り去る。
さらにこれを続けていけば、あらかじめ与えられたいかなる小さな量よりも小さい量が残る。
曲線で囲まれた図形の内部を、ある基準よりも誤差が少なくなるように取り尽くします。
試しに半径が$~1~$の円を取り尽くしてみましょう。
あらかじめ$~0.1~$という量を決め、半径$~1~$の円(面積は約$~3.14~$)を取り尽くす。
(1) 1回目の取り尽くしでは、円に内接する正六角形を取り去る。
このとき、正六角形の面積は
\frac{1}{2}\cdot1\cdot1\cdot\sin{60^{\circ}}\times 6=\frac{3\sqrt{3}}{2}\fallingdotseq2.60
なので、残った部分の面積は約0.54。
(2) 2回目の取り尽くしでは、円に内接する正十二角形で取り去る。
このとき、正十二角形の面積は
\frac{1}{2}\cdot1\cdot1\cdot\sin{30^{\circ}}\times 12=3
なので、残った部分の面積は約0.14。
(3) 3回目の取り尽くしでは、円に内接する正二十四角形で取り去る。
このとき、正二十四角形の面積は
\frac{1}{2}\cdot1\cdot1\cdot\sin{15^{\circ}}\times 24=3(\sqrt{6}-\sqrt{2})\fallingdotseq 3.11
なので、残った部分の面積は約0.03。
(3)の段階で、あらかじめ決めた小さな量$~0.1~$を下回るまで取り尽くすことができた。
現在、曲線で囲まれた図形の面積を求める際には積分を使っていますが、こちらも特定の軸に合わせて細かく取り尽くしていくという点で同じです。
また、取り尽くし法は約100年後のアルキメデス(Archimedes , 紀元前287年頃~紀元前212年)が考えたものと言われがちですが、アルキメデスによれば、
この方法はエウドクソスによるものだ!
(出典:Domenico Fetti, Public domain, via Wikimedia Commons)
とのことなので、取り尽くし法はエウドクソスによるものと考えてよいでしょう。
ゼノンのパラドックスにも対応済
当時、無限小に関する議論をするにあたって避けられなかったのがゼノンのパラドックス。
しかし、取り尽くし法の本質は
極めて小さい基準を決め、それよりも誤差が小さくなるまで分割作業を繰り返していく
ことにあり、「無限」という言葉を使わず、あくまで有限回の作業でできることで成り立っています。
取り尽くし法の考え方は、19世紀の数学者オーギュスタン・ルイ・コーシー(Augustin Louis Cauchy , 1789年~1857年)やカール・ワイエルシュトラス(Carl Weierstrass , 1815年~1897年)が確立した、極限の厳密な考え方であるε-δ論法にもつながっています。
$~x~$を$~a~$に近づけたとき、$~f(x)~$が$~b~$に近づくこと($~\displaystyle \lim_{x \to a}f(x)=b~$)を次のように表す。
任意の $~\varepsilon > 0~$に対して、ある$~\delta > 0~$が存在して、
|x-a|<\delta \Longrightarrow |f(x)-b|< \varepsilon
エウドクソスが取り尽くし法の中で述べた「あらかじめ与えられたいかなる小さな量」こそ、まさに$~\varepsilon~$のことなのです。
功績:比例論で無理数を扱った
もう1つの大きな功績として、当時嫌われていた無理数を数の仲間に混ぜたことにあります。
無理数でも適用できる比例論
エウドクソスは、次のように比を定義しました。
4つの数量$~a~,~b~,~c~,~d~$に対して、与えられた整数$~m~,~n~$について、
\begin{cases} ma < nb &ならば~~~~mc < nd \\ ma = nb &ならば~~~~mc = nd \\ ma > nb &ならば~~~~mc > nd \end{cases}
のいずれかが必ず成り立つとき、$~\displaystyle \frac{a}{b}=\frac{c}{d}~$である。
真ん中の場合で考えるとわかりやすく、
n:m=a:b ~~~~ ならば~~~~n:m=c:d
が成り立つなら、$~a:b=c:d~$が成り立つということを、エウドクソスは主張しています。
実際、大きさの異なる正方形について、一辺と対角線の長さを比で表すことが可能になります。
正方形において、一辺の長さを$~2~$倍すると、対角線の長さも$~2~$倍となる。
この例では、無理数$~\sqrt{2}~$を$~2~$倍しています。
当時、ピタゴラス教団の影響もあって扱いづらかった無理数でしたが、エウドクソスによって、他の数と同様に計算が可能であることがわかったのです。
ただ、$~\sqrt{2}\times \sqrt{3}=\sqrt{6}~$のような数値計算は、先の時代を待つことになります。
無理数の数値計算は、一説によればアラビア生まれのようです。
(出典:The original uploader was Atilin at French Wikipedia., CC BY-SA 3.0, via Wikimedia Commons)
実数の稠密性と同等の定義
エウドクソスの比例論は、19世紀のリヒャルト・デデキント(Richard Dedekind, 1831年〜1916年)が提示したデデキントの切断とほぼ同等の意味を持っていました。
量の比$~\displaystyle \frac{b}{a}~$が、$~\displaystyle \frac{m}{n} \leqq \frac{b}{a} ~$を満たす有理数$~\displaystyle \frac{m}{n}~$の全体と、$~\displaystyle \frac{m}{n} > \frac{b}{a} ~$を満たす有理数$~\displaystyle \frac{m}{n}~$の全体に分けている。
当然ながら、エウドクソスの時代には集合論は無かったため、あくまで形が同じということ。
しかし、エウドクソスの比例論が実数の稠密性にまでつながる考え方で、無理数を正確に扱うための数学的な基盤を築いたと言えるでしょう。
功績:天文学者としても名を残した
数学者だけでなく、天文学者、医学者、哲学者などあらゆる学問に長けたエウドクソスは、初めて天体モデルを作成したことでも名を馳せています。
太陽の1日の動きと1年の動き(実際は地球の自転と公転によるもの)を、同じ中心をもつ2つの球で表しました。
惑星の軌道まではうまく説明できなかったものの、天体の動きを幾何学的なモデルで考えることは、数学の有用性を担保することに繋がりました。
天球上の三角形から、星座間の距離を求めたよ。
(AIによるイメージ)
大円と小円を使って、惑星の軌道をほぼ正確に表したよ。
(出典:See page for author, Public domain, via Wikimedia Commons)
エピソード:7kmの距離を通学した
アカデメイアでどうしても学びたかったエウドクソスは、借金をしてクニドスを発ちます。
住居費の高いアテネ中心部には住むことができず、生活費を安く抑えることのできる港町ペイライエウスに住み、毎日7kmもの距離を歩いて通学しました。
貧乏であることをバカにされたエウドクソスでしたが、プラトンは彼の才能に気付いており、エウドクソスの才能を開花させました。
まとめ
エウドクソスの生涯と功績について解説してきました。
- 積分法の先駆けとなる取り尽くし法を発明した。
- 比例論により、ギリシャ人の無理数への抵抗感をなくした。
- 貧困に負けず勉強し、天文学でも名を残すほどあらゆる学問に精通した。
エウドクソスは2ヶ月間ほどしかアカデメイアに通わず、クニドスに戻ったという説もあるよ
2か月だとしても毎日片道7kmの距離を通学するのは、すごい!
参考文献(本の紹介ページにリンクしています)
- 『カッツ 数学の歴史』,pp.95-97,共立出版.
- 『メルツバッハ&ボイヤー数学の歴史Ⅰー数学の萌芽から17世紀前期までー』,pp.86-91.
- 『数学の流れ30講(上)』,pp.104-105
- 『世界数学者事典』,pp.70-71.
- 『数学の歴史物語』,pp.64-65.
- 『ギリシャ数学史』,pp.151-157.
- 『数学者図鑑』, pp.22-23
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