数学史6-5 三大作図問題と3つの議題

この記事を読んでわかること
  • 三大作図問題等の古代ギリシャで有名な問題の中身
  • それらの問題に携わった数学者
  • それらの問題に関する歴史
目次

Ⅰ 三大作図問題と3つの議題

 古代ギリシャでは、次の6つの問題が数学者たちの関心を集めていました。

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問題関係する数学者
円積問題・アナクサゴラス(Anaxagoras, B.C.500頃-B.C.428頃)
・ヒポクラテス(Hippocrates,B.C.470頃-B.C.410頃)
立方体倍積問題・ヒポクラテス(Hippocrates,B.C.470頃-B.C.410頃)
・アルキュタス(Archytas, B.C.428頃-B.C.360頃)
角の三等分・ヒッピアス(Hippias, B.C.460頃)
通約不能・ヒッパソス(Hippasus, B.C.5世紀中頃)
・テオドロス(Theodorus,B.C.470頃-B.C.420頃)
パラドックス・ゼノン(Zeno, B.C.490頃-B.C.430頃)
無限小的方法の妥当性・デモクリトス(Democritos, B.C.460-B.C.379)
<表1> 6つの問題と関連する数学者

 特に円積問題、立方体倍積問題、角の三等分を合わせて三大作図問題と言います。
 三大作図問題は、約2000年もの間、古今東西の数学を悩ませる難問でした。
 
 通訳不能、パラドックス、無限小的方法の妥当性についても、当時の数学者を悩ませ、古代ギリシャ時代に活発に議論された難問です。
 
 ギリシャ数学を代表する、これら6つの問題の中身を、次章以降で大まかに見ていきましょう。

Ⅱ 円積問題

 三大作図問題の1つである円積問題は、別名「円の方形化問題」などとも呼ばれています。

円積問題

 1つの円の面積と等しい面積をもつ正方形を作図しなさい。

円積問題
<図2> 円積問題

 前提として、「作図」=コンパスと定規のみが使える というルールは当時も変わりません。
 
 この問題の起源は定かではないものの、史実上最初に取り組んだと言われているのはアナクサゴラスAnaxagoras,B.C.500頃-B.C.428)です。

Anaxagoras
<図3> アナクサゴラス
(出典:Eduard Lebiedzki, after a design by Carl Rahl, Public domain, via Wikimedia Commons)

 彼は太陽がペロポネソス半島よりも大きい赤熱した石であると主張したがために、牢獄に入れられました。
 その牢の中で円積問題に取り組んだと言われています。

 その後、この問題に取り組んだのはヒポクラテスHippocrates , B.C.470頃-B.C.410頃)で、月形図形(図4)から円積問題の解決へと挑みました。

月形図形
<図4> 月形図形

 しかし、この月形図形の研究には限界があり、円積問題の解決にまでは至りませんでした。

 その後も約2000年の間、数学者たちを悩ませてきた円積問題は、1882年にドイツの数学者フェルディナンド・フォン・リンデマンFerdinand Von Lindemann, 1852-1939)によって解決されました。

Lindemann
<図5> リンデマン(出典:Unknown authorUnknown author, Public domain, via Wikimedia Commons)

 彼は$~\pi~$が超越数であることを証明したため、円積問題は作図不可能と結論づけられたのです。

Ⅲ 立方体倍積問題

 三大作図問題の1つである立方体倍積問題は、立方体の体積を2倍にするための作図方法への挑戦でした。

立方体倍積問題

 1つの立方体の2倍の体積をもつ立方体を作図しなさい。

立方体倍積問題
<図6> 立方体倍積問題

 紀元前430年頃、アテナイを中心に疫病ペストが流行し、人口の3分の1が亡くなりました。

 そこで、デロス島のアポロン託宣所に代表団を送り、疫病を防ぐための方法を神に伺い立てたところ、

かみさま

アポロンの祭壇(立方体の形をしている)の体積を2倍にせよ。

と神託が下りました。
 そのため、別名「デロス問題」とも呼ばれています。

アテナイとデロス島
<図7> デロス島の位置

  この問題にまず取り組んだのは、円積問題にも取り組んだヒポクラテスであり、彼は比を使って作図の方針を示したものの、実際に作図をするには至らず断念しています。

 次に、アルキュタスArchytas, B.C.428頃-B.C.360頃)が、2つの円柱を組み合わせた3次元の作図によって解けることを提言しました。
 当然ながら、3次元の作図は現実的ではなく、机上の空論とされました。

 その後も特殊な状況下での作図方法が提案されたものの、定規とコンパスだけを用いた平面での作図方法は登場しませんでした。

 問題の誕生から2000年以上経った1837年、ピエール・ワンツェルPierre Wantzel, 1813-1848)が$~\sqrt[3]{2}~$は作図不可能であることを証明し、この問題に終止符が打たれました。

Ⅳ 角の三等分問題

 三大作図問題最後の1つは、立方体倍積問題と同時期にアテナイで関心の的となっていた、角の三等分に関する問題です。

角の三等分問題

 1つの角を三等分する直線を作図しなさい。

角の三等分
<図8> 角の三等分問題

 この問題に一定の解を導き出したのは、ヒッピアスHippias , B.C.460頃-不明)です。
 
 彼は円積線という特殊な曲線を使うことで、角の三等分ができることを示しました。
 しかし、円積線自体の作図が難しく、解決には至りませんでした。
 
 そして2000年以上経った1837年、立方体倍積問題と同様、ピエール・ヴァンツェルによって角の三等分は作図不可能であることが示されました。
 
 古代ギリシャで数々の数学者を悩ませた三大作図問題は、すべて作図不可能であることが長い年月を経て証明されました。

 ただ、エジプトやバビロニアの実生活に基づいた数学とは異なり、思考の精密さを問う数学が紀元前のギリシャで流行したことがわかるでしょう。

Ⅴ 通約不能

 三大作図問題よりも昔から議論の的となっていたのが、通約不能問題、すなわち無理数の存在に関する問題です。
 最も代表的なのは、$~\sqrt{2}~$に関する議論になります。

通約不能問題

 $~\sqrt{2}~$は、$~\displaystyle \frac{自然数}{自然数}~$の形で表すことができない。

 ピタゴラスPythagoras , B.C.569頃-B.C.500頃)が、ピタゴラスの定理を証明したころから、ピタゴラス教徒を悩ませていた問題でした。

Pythagoras
<図9> ピタゴラス
(出典:The original uploader was Galilea at German Wikipedia., Public domain, via Wikimedia Commons)

 ピタゴラス教徒の1人であるヒッパソスHippasus , B.C.5世紀中頃活躍)は、$~\sqrt{2}~$が通約不能であることを何等かの方法で示しました。

ヒッパソス
<図10> ヒッパソス
(出典:Boccanera G., Public domain, via Wikimedia Commons)

 さらにテオドロス(Theodorus , B.C.470頃-B.C.420頃)は、$~\sqrt{3}~,~\sqrt{5}~,~\sqrt{7}~,~\sqrt{11}~,~\sqrt{13}~,~\sqrt{17}~$が通約不能であることを幾何的に証明しています。
 
 バビロニアでは、$~\sqrt{2}~$の近似値を出すだけで終わっていましたが、紀元前のギリシャでは$~\sqrt{2}~$が無理数であることまで証明したという点で、エジプトやバビロニアよりも優れていたことは確かでしょう。

Ⅵ パラドックス

 古代ギリシャでは、無限に関するパラドックスが盛んに議論されていました。


 まずはパラドックスの定義を確認しておきましょう。

パラドックスの定義

 パラドックスとは、正しくみえる前提や論理から、納得しがたい結論に行きついてしまう問題のことをいう。

 例としては、次のような発言が挙げられます。

私はうそつきです。

 この発言は、以下の2通りの捉え方できます。

  • この発言が本当なら、この男の子はうそつきとなり、発言がうそでないことに矛盾。
  • この発言がうそなら、この男の子はうそつきでないことになり、発言がうそであることに矛盾。

 どちらにせよ矛盾が生じてしまうため、納得しがたい結論、つまりパラドックスと言えます。
 パラドックスの歴史も古代ギリシャのピタゴラスにまでさかのぼります。
 
 紀元前7~5世紀頃、ピタゴラスをはじめとするイオニア派と呼ばれる数学者たちが、万物の根源が何かということを研究していました。
 その中でもタレスは水、ピタゴラスは数が万物の根源であると主張しています。
 
 このイオニア派の考え方に反対したのはエレア派であり、彼らは万物の存在の単一性と不変性を教義としていました。
 
 そのためピタゴラス教団が、空間と時間はそれぞれ点と瞬間という最小単位を持つと仮定したことに対し、エレア派のゼノンZeno, B.C.490頃-B.C.430頃)はいくつかの問題(パラドックス)を提起しました。

ゼノン
<図11> ゼノン
(出典:ヤン・デ・ビスコップ, CC0, via Wikimedia Commons)

 その中の1つが次に示す「アキレスと亀」です。

アキレスと亀のパラドックス

 俊足のアキレスとゆっくり進む亀がいる。
 亀がアキレスよりも前方にいるとき、アキレスが進めば亀も進むため、アキレスは亀に追いつくことができない。

 ゼノンは他にも10個近くのパラドックスを考えました。
 ゼノンのパラドックスは、その後多くの数学者や哲学者に対し、無限の概念を考えることの難しさを提示しています。

Ⅶ 無限小的方法の妥当性

 イオニア派で、ゼノンよりも後の時代を生きたデモクリトスDemocritos , B.C.460-B.C.379)は、パラドックスという逆風に悩まされながらも、今で言う「カヴァリエリの原理」を用いて、円錐の体積が円柱の$~\displaystyle \frac{1}{3}~$になる理由を説明しました。

デモクリトス
<図12> デモクリトス
(出典:Unidentified engraver, Public domain, via Wikimedia Commons)
カヴァリエリの原理

 切り口の面積が常に等しい2つの立体の体積は等しい。

カヴァリエリの原理
<図12> カヴァリエリの原理

 三角柱を体積が等しい3個の三角錐に分割できることを明らかにしたデモクリトスは、カヴァリエリの原理を用いて、円錐の体積も円柱の$~\displaystyle \frac{1}{3}~$であると結論づけました。

円錐と三角錐 
<図13> カヴァリエリの原理による円錐と三角錐の体積

 しかし、ゼノンのパラドックスによって、立体を無限個の平面に分けるという考え方は、当時受け入れられませんでした。
 デモクリトスの考え方が認められたのは17世紀以降となってからです。

 無限を考えることの難しさを、この議論からうかがい知れます。


作図できるかという技術的な問題だけでなく、論理に関する問題も存在しているたのがギリシャらしいね

ギリシャ人は議論好きだったからね。
それゆえ、数学の発展もエジプトやバビロニアに比べて速かったんだ。

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