プラトンの弟子の1人で、メナイクモスの兄でもある、ギリシャ時代末期の数学者ディノストラトス。
ディノストラトスは恵まれた人間関係と環境の中、円積問題に挑戦し、その功績からヒッピアスの発明した曲線が「円積線」と呼ばれるようになりました。
この記事では、ディノストラトスがヒッピアスの曲線をどう利用し、円積問題の解決につなげようとしたのかを中心に、ディノストラトスの生涯と功績について解説します。
時代 | 紀元前390年頃~紀元前320年頃 |
場所 | ギリシャ |

ディノストラトスの生涯
ディノストラトス(DIinostratus , 紀元前 390年頃〜紀元前320年頃)は紀元前4世紀の古代ギリシャの数学者です。

(AIによるイメージ)
ディノストラトスの年譜
ディノストラトスの活動場所
ディノストラトスの主な活動は、アテネのアカデメイアで行われました。
ただ、それ以外の情報は乏しく、弟のメナイクモスと同じアロペコネソスで生まれたかどうかも含め、ディノストラトスの生涯は明らかになっていません。
功績:円積線を円積問題に応用した
ディノストラトスの数学的功績は、ヒッピアスの円積線を円積問題に応用したことです。

円積線は角の三等分線問題のための曲線
円積線(クアドラトリックス)は約80年前にヒッピアスが発明した曲線です。
下の図で、点$~P~$は$~A~$を出発し、辺$~AO~$上を$~O~$まで一定の速さで動き、点$~Q~$は$~A~$を出発し、弧$~AB~$上を$~B~$まで一定の速さで動く。

点$~P~$と点$~Q~$は$~A~$を同時に出発し、$~O~,~B~$に同時にたどりつくとき、$~P~$を通り$~OB~$と平行な線分$~PP^{\prime}~$と、線分$~OQ~$の交点$~R~$の軌跡を円積線という。
円積線のアニメーション
(左のスライダーを動かすと、円積線が赤で描けます)
ギリシャの三大作図問題の1つである「角の三等分問題」を解決するために、ヒッピアスは円積線を発明しました。
円積線を使えば、簡単に角の三等分線をかくことができます。

しかし、円積線自体の作図が非常に難しい問題で、ヒッピアスはコンパスと定規で円積線を作図することができませんでした。
ディノストラトスが見つけた円積線の性質
ディノストラトスは、円積線に関して次の性質を見つけました。

上の図において、
\stackrel{\large\frown}{AB} ~:~OB~=~OB~:~OD
ディノストラトスはこの性質の証明も行っています。
$~\displaystyle \stackrel{\large\frown}{AB}=\ell~,~OB=a~,~OD=d~$として、
\ell :a=a:d
すなわち、
\frac{\ell}{a}=\frac{a}{d}
を背理法で示す。

(1) $~\displaystyle \frac{\ell}{a} < \frac{a}{d}~$と仮定する。
このとき、$~d < d^{~\prime} ~$となる$~d^{~\prime}~$が存在し、
\frac{\ell}{a}=\frac{a}{d^{~\prime}}~~~\cdots ①
である。
$~\ell > a~$より、$①$から$~a > d^{~\prime}~$。(各分数、分子のほうが大きい)
したがって、$~ a> d^{~\prime} > d~$なので、$~OD^{~\prime}=d^{~\prime}~$となる$~D^{~\prime}~$は$~OB~$上に次の図のようにとれる。

この図において、$~O~$を中心に$~OD^{~\prime}~$を半径とする円を描き、$~OA~$、円積線との交点を$~E~,~F~$、$~\displaystyle \stackrel{\large\frown}{ED^{~\prime}}=\ell^{~\prime}~$とする。

扇形$~OD^{~\prime}E~$∽ 扇形$~OBA~$より、
\begin{align*} \ell:a&=\ell^{~\prime}:d^{~\prime} \\ \ \frac{\ell}{a}&=\frac{\ell^{~\prime}}{d^{~\prime}}~~~~\cdots ② \end{align*}
なので、$①$と$②$より、
\begin{align*}\frac{a}{d^{~\prime}}&=\frac{\ell^{~\prime}}{d^{~\prime}} \\ \\ a&=\ell^{~\prime} ~~~\cdots③ \end{align*}
が求められた。
次に、$~F~$から$~OB~$に垂線$~FH~$をひく。

円積線の定義から、円積線上の点の高さと角度は比例するため、
\begin{align*} \angle BOF:\angle BOA&=FH:OA \\ &=FH:a ~~~\cdots ④ \end{align*}
であり、扇形の中心角と弧の長さは比例するため、
\begin{align*} \angle BOF:\angle BOA&= \stackrel{\large\frown}{D^{~\prime}F}~:~\stackrel{\large\frown}{D^{~\prime}E} \\ &=\stackrel{\large\frown}{D^{~\prime}F}~:~\ell^{~\prime} ~~~\cdots ⑤ \end{align*}
となる。
$④$と$⑤$より、
\begin{align*} FH:a&=\stackrel{\large\frown}{D^{~\prime}F}~:~\ell^{~\prime} \\ a\stackrel{\large\frown}{D^{~\prime}F}~&=~\ell^{~\prime}FH \end{align*}
であり、ここに$③$を代入することで、
\begin{align*} a\stackrel{\large\frown}{D^{~\prime}F}~&=~aFH \\ \stackrel{\large\frown}{D^{~\prime}F}~&=~FH \\ \end{align*}
が求められた。

しかし、弧と線分の長さが同じになってしまうため、矛盾。
したがって、$~\displaystyle \frac{\ell}{a} < \frac{a}{d}~$ではないことが示された。
(2) $~\displaystyle \frac{\ell}{a} > \frac{a}{d}~$と仮定した場合も同様の方法で否定される。
(1),(2)より、$~\displaystyle \frac{\ell}{a} = \frac{a}{d}~$が示された。$~~\blacksquare~$
※円積線。
円積問題がシンプルになった
ディノストラトスが見つけた円積線の性質により、円積問題は円積線が作図できれば解決する問題になりました。
半径$~1~$の円(面積$~\pi~$)の右上で、円積線をかく。

このとき、円積線の性質から、
\begin{align*} \frac{\pi}{2}:1&=1:d \\ \frac{\pi}{2}d&=1 \\ d&=\frac{2}{\pi} \end{align*}
であるため、$~\displaystyle \frac{2}{\pi}~$の長さが作図された。
次に$~OB~$や$~OA~$を延長し、下図のような平行線の作図を行うことで、$~\pi~$の長さが作図される。

さらに、直径$~\pi+1~$の円を描くことで、方べきの定理から$~\sqrt{\pi}~$の長さが作図される。

以上より、一辺の長さが$~\sqrt{\pi}~$、すなわち面積が$~\pi~$の正方形が作図できる。

ディノストラトスの発見により、円積線さえ定規とコンパスで作図ができれば、円積問題と角の三等分問題を一気に解決できるため、期待が高まりました。
しかし、円積線は定規とコンパスでかけないことがパッポス(Pappus , 260年頃~4世紀中頃)などによって予想され、雲行きが怪しくなります。
そして、19世紀にフェルディナンド・リンデマン(Ferdinand Lindemann , 1852~1939)やピエール・ワンツェル(Pierre Wantzel , 1813~1848)が、円積問題や角の三等分線問題は解けないこと、すなわち円積線は作図不可能なことを証明してしまったのです。
エピソード:プラトンの弟子&メナイクモスの弟
ディノストラトスはプラトンが創設したアカデメイアで学んでおり、直接彼から指導を受けたかは定かではないものの、プラトンの哲学と数学に深い理解を持っていました。

また、ディノストラトスの弟のメナイクモス(Menaechmus , 紀元前380年頃~紀元前320年頃)は立方体倍積問題に取り組んだ数学者であり、兄弟揃ってギリシャの三大作図問題の解決に向けて重要な役割を果たしました。

自分はアカデメイアで、ディノストラトス兄弟の教育に携わったよ。
まとめ
円積問題を中心としたディノストラトスの功績、そして彼の生涯について解説してきました。
- ヒッピアスの円積線で円積問題が解けることを示した。
- 三大作図問題の解決に向け、兄弟でギリシャ数学に貢献した。



兄弟で名を残すってすごいなぁ。



多分、数学史上最古の著名な兄弟数学者だろうね。
ただ、最も有名な兄弟数学者はベルヌーイ兄弟です。
参考文献(本の紹介ページにリンクしています)
- 『メルツバッハ&ボイヤー数学の歴史Ⅰー数学の萌芽から17世紀前期までー』,pp.94-96.
- 『世界数学者事典』,p.298.
- 『ギリシャ数学史』,pp.117-118.
- 『高校数学史演習』, pp.26-28
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